TOP > 更新履歴 > 記事 紅郎を誘う 2025/11/04 21:14 耐えられなくなってきた。 私は白の薄手のロングTシャツを着ているせいでくっきりと見える彼の肩甲骨をいっそ凝視しながら、それでも落ちつけと自分に言い聞かせるようにコーヒーを一口飲んだ。ミルクも砂糖も入れ忘れているそれは普段ならすぐ口を離しているものだけれど、それすらも気にならないくらい思考にエネルギーが偏っていて、味なんてわからない。 こちらに背を向けてあぐらをかき、何か小さなものを抱えているように背中を丸めている、彼である紅郎くんの背中に思い切り飛びつきたい。腕をお腹に回して極力くっついて、首筋に後ろからキスをしたらきっと彼は照れたような呆れたような声で「こら、やめろ」って言ってくれるから、そこで回した腕に少し力を込めて強く抱きついて、胸の一つでも押し当てれば紅郎くんのことだから私の欲しいものを察してくれるはずである。 なんて事を先ほどから既に6回は妄想した。その度にちびちびと口をつけるブラックコーヒーは既に冷め始めていて、砂糖を入れても溶けなそうだからと諦めた。苦い。苦いような気がするけれどそれ以上に私は紅郎くんに抱きつきたくてたまらない。なんならまだ早い時間だけどベッドに誘われたい。 けれどそれは敵わない。なぜなら今、彼の手に私の頭を撫でる余裕はなく、綺麗な布地に占拠されているのだ。 「悪いな。どうしても今日中に仕上げなきゃいけなくてよ」 そう言って私の家に仕事を持ち帰ってきた紅郎くんが黙々と作業を初めて既にかなりの時間が経っている。忙しいのに私の為に時間を割いてくれたのがとても嬉しいから、仕事なんて持って帰ってこないでよ!なんて言うつもりは無いし、先程チラッと手元を見たらすごく綺麗な刺繍がコツコツ出来上がりつつあった。放っておかれて少しだけ寂しい反面、早く完成したものが見たいのも本音なのだ。 とはいえムラムラしてしまったものは仕方ないし、私はひたすら理性に耐えるしか無いこの現状がつらくてつらくていっそ笑えてきた。彼氏の肩甲骨に興奮している危ない女だけれど、そもそも恋人と一緒の空間にいるのだからおかしな話ではないし、紅郎くんがいい身体過ぎるのも悪い。骨っぽいフレームなのに、筋肉がしっかりついた均整の取れた身体。手足が長くて、指も長いけど少し太い感じが堪らなくかっこいい。 何よりその指で私に触れる時は、ハッとするほど丁寧で恐る恐るなのが、彼に愛されてる事を実感させてくれる。 「よし、これで……っと、どうした?」 結局私は我慢出来なくなって、紅郎くんが針を置いた瞬間彼に後ろから抱きついた。突然の私の行動に少し驚いたような声を出した彼だけれど、すぐに私の頭をよしよしと撫でながら、優しい声で言う。 「仕事にかかりっきりで悪かったな。もう終わったから、後片付けだけさせてくれや」 「……」 私は彼のTシャツを握るように抱きついて、頬を肩甲骨にくっつける。高い体温に、どうしたってときめいてしまう。 すると紅郎くんが笑うようなため息を吐いた後に、待ってろと呟いた後完成した作品をハンガーにかけた。こういうところが好き。自分の作品にちゃんと愛情を持って接するところ。 「折角会えたのに悪かった。ほら」 私の無言のワガママに対する彼の返答はこれだったのだろう。笑って手を広げてくれた彼に私は彼の予想通り、思い切り飛び込む。 しかしここからはきっと予想していない事だろう。飛び込んだ勢いのまま体重と重心を思い切りかけてなんとか彼をソファに座らせた後、両手で彼の頬を包んでキスをした。もちろん触れるだけのキスではもう物足りなくて、私の腰に回した彼の手がビクッと強張ったのを意識の端で捉えながら、紅郎くんの舌を欲しがる。 そのまま甘えるように、誘い込むようにソファに座る彼の太腿を跨ぐように座り、ぐい、と近づく。唇を離した瞬間にくぐもった舌足らずな声で「おまえ、」と呟いた紅郎くんの言葉を封殺するように、思い切り抱きついて彼の首筋に噛み付いた。 深く、熱く彼が息を吐いたのが聞こえた。腰に回っている彼の手が躊躇なく、私の服の中に入ってくる。素肌を撫でられると、期待のあまり声が漏れ出た。 ぐるりと世界が彼の手で反転した瞬間、一瞬視界に入った色彩豊かな刺繍は、女性ものの衣装依頼のようだ。私ではない、他の女性の為の衣装は完成したら彼の手から離れるのだろう。こうして可愛がられる、私とは違って。 そんな背徳的な優越感を感じながら、彼の熱の昂りを感じて一人笑う私は嫌な女かもしれない。 [prev][next] [Back] |