TOP > 更新履歴 > 記事 茨に買われる大正パロ 2025/11/04 21:21 行きは良い良い帰りは怖い。 親に売られりゃお先真っ暗。 嗚呼さやうなら私の人生。 せめて花の年頃で終わりゃんせ。 「……って、思ってたのに」 私は窓の外を眺めながらふぅ、と一つ息を吐いた。秋の心地よい風に揉まれた私のため息はふらふらと窓の外へと飛んでいき、今頃は帝国劇場かしら。時間を潰す為の夢想をしていると、そんな私を見咎めた秋の風がパラパラと手元の本をめくった。つい動くものに目がいってしまい、一寸前に疲れを理由に目を逸らした本の内容がまた頭の中に入り込んできて、私は顔をしかめた。 お料理は本に書いてある調味料の分量を覚えるよりもその場で足したり引いたりした方が美味しいものが出来るのに、なぜお菓子はきっちりと分量を計らないといけないのだろう。 そしてそれを、なぜ私がわざわざ勉強して一応夫であるあの人の為に作らなければならないのだろう。 親に売られた。食いぶちを減らして、お金を手に入れて、年の離れた弟を育てる為に。村から帝都に連れてこられて、私みたいな女の子が何人か男たちの前に立って値段をつけられる。しくしく、お母さん。とすすり泣く声が周囲から聞こえてくる事に気が滅入りそうだったけれど、見知らぬ男たちに弱ってる所を見られたくなくて虚勢の為に背筋を伸ばしてまっすぐ前を見ていたら、何故か少し年上くらいの綺麗な顔をした男の人が私を買った。 さっさとお金のやり取りが終わり、すすり泣く女の子をおじさんたちが品定めするこの場を私は足早に去る。 「自分、七種茨と申します。あなたは?」 名前を尋ねられたので、素直に声に出す。するとサエグサさんはふむ、と一度考えるように斜め上を見てから、こんな事を言い出した。 「それでは少々田舎臭……失礼、素朴過ぎますので、今日からこう名乗ってください」 そう言われて名前を変えられた。確か花の名前で、赤っぽい綺麗な花が咲くらしい。 「はい。ご主人さま」 人買いに買い取られたら相手をこう呼べと言われていたのでその通りにしたら、今度はサエグサさんが首を横に振る。その瞬間、乗っていた車が大きく揺れて、均衡を崩した私は横にいた彼に大きく寄りかかってしまった。 「あ、ごめんなさい」 「いえ。……それで、自分のことは旦那さま、もしくはそうですね、茨さんとでも呼んでください」 「えっと……茨さんって、名前ですよね?いいんですか?」 「えぇ構いませんよ。あなたには自分の妻になってもらおうと思って買ったのですから」 「え、えぇ?!」 あまりにも驚いて大きな声を出すと、茨さんは思い切り顔をしかめた。下品ですよ、と言われている気がして、慌てて口を押さえる。 「あなたは自分に買われた身ですので、生憎と拒否権はありませんよ。今日から自分の妻ですので、どうぞよろしくお願いします」 親に売られて花の内に死んでやると思っていたのに、いつのまにか結婚出来てしまった。行きは怖や、帰りも怖やな人生である。 旦那さまである茨さんの考えた、世間に知らしめる私との出会いの筋書きはこうだ。 実業家である茨さんの縄張りで、最近少女の人身売買が行われている事を知った茨さんがその場に乗り込むと、私が一人だけ売られていた。歳の離れた弟や両親の為に進んで人身御供になった私を憐れんで買い取ったら互いに一目惚れをしてしまい、そのまま私を自分の妻とした。といったような、少女小説のような筋書きである。実際の所売られていたのは私だけではないし、別に一目惚れもしてなければされていない。けれどこういう筋書きを取引先に話すと「なんて情の深い御仁だ!」と称賛されるという。 変なの。そんなので情の深さなんてわかるわけない。と、私は思うのだが、そういう建前を元に茨さんが私を妻としてお客さんに紹介すると、何故だか商売がするする上手く行くらしい。 「あなたの田舎臭……いえ、素朴な感じがより真実味を帯びてくれるんですよ」 さすが、人身売買の場で一人仁王立ちしていた胆力ですね。と言われてようやくなぜ彼が私を買ったのかがわかった。単に度胸を買われたのだ。それもそうだろう。こんな大嘘、ビクビクついていたらすぐに悟られてしまう。 「こんな設定ですのでそこまでマナーに精通していなくて構いませんが、妻らしさは醸し出してください」 「はぁ……」 そんなこと言われても結婚した自覚なんて無いし、茨さんに恋したわけでもないのにどうしろとと思ったけれど、流石に茨さんも同じ思いを抱いたのだろう。私に洋菓子の作り方の本を渡してきて 「これを作れるようになって、出来れば来客時にでも出せるようになってください」と言われた。 帝都って美味しいお菓子やお料理がいっぱいあるのに、田舎娘の作ったケーキ?そんなのお出しするの?と首を傾げたが、また茨さんなりの筋書きがあるのだろう。 妻と言っても買われた身なので大人しく作り方を勉強しているが、外国語が多くてそれを調べるところから始めるのは中々に骨が折れるのだ。 そして冒頭に戻る。私は今度いらっしゃるお客さまの為に、せっせとブランデーケーキを作る羽目になったのだ。 「バターを溶かして、メリケン粉をふるいに……ああもう。一度作ってみなきゃわからないや」 私は席を立ち、いそいそと厨房へ向かう。本を片手に四苦八苦しながら作ったケーキは全然膨らまなくて、ブランデーの酒精が抜けてないせいで随分と辛かった。 「まずい」 そもそも実家では甘味なんてほとんど食べられなかった私が、ケーキなんて作れるわけがない。不貞腐れそうになりながら後片付けをしていると、いつのまにか帰ってきていた茨さんが、執事さんに鞄を預けながら近づいてきていた。 「ただいま帰りました。こんな所で何を?」 「お帰りなさい。ケーキの勉強をと思ったんですが、その、失敗して……」 材料を無駄にしてしまった事を謝ろうとすると、茨さんは私の手元を覗き込んでから、ペシャンコのブランデーケーキを一つつまんで口の中に放り込んでいる。思わず「あ」と反応すると、彼は辛くてべったりしたケーキをモグモグ頬張った。 「まずいでしょう」 「えぇ。まずいです」 「材料無駄にして、すみません」 「構いませんこのくらい。それよりもこの調子でどんどん練習してくださいよ。それすらもいい話のタネになりますので」 何を言っているのかわからなくて、私は首を傾げる。すると茨さんは酒精の抜けていない濃いブランデーのせいか少し咽せてから、こんな事を言った。 「妻が夫の来客に美味しいケーキを振る舞う為に必死に練習してその試作を夫が食べるなんて、話だけ聞くと仲睦まじく聴こえるでしょう。そういうのが好きな輩が多いので逆に助かりますよ」 「そういうものですか?」 「はい。ですのでまた作ったら食べさせてくださいね。上達ぶりが知れるので」 「は、はい……」 あなたの根性があれば大丈夫ですよ。と頭を撫でられた。今日の茨さんはとても機嫌がいいようで、綺麗な顔で優しく笑っている。 「私、茨さんに買われて幸せなんだと思います。その恩には報います」 「……それは重畳。期待していますよ」 最後にぽんぽんと軽く頭を叩かれてから、彼はまた仕事部屋に入っていった。こうなると寝室も別な私たちはきっと明日の朝くらいまで顔を合わせることは無いはずだ。彼の背中に向かってひらひら手を振りながら「お仕事頑張ってください」と声をかけると、茨さんはいつもの曇りのない声で「はい」と応えてくれた。 先ほどの言葉に嘘はない。私は幸せなのだろう。こんなにまずいケーキを試食してくれる夫がいるのだから。 買われた日に話された、私たちの出会いの筋書き。実はこれが半分以上真実であった事を私が知るのは、彼の子どもを産む決心がついた頃の、遠い遠い未来なのである。 [prev][next] [Back] |