TOP > 更新履歴 > 記事 零と薫とPM8:00 2024/02/20 21:34 ESビルに併設されているカフェ・シナモン。軽食とコーヒーなどが提供される、立地以外は至って普通のカフェである。営業時間はESビルに合わせて少しだけ長いもののケーキのテイクアウトも可能なこのカフェは、アイドルを始めとした芸能関係者やESビルで働く人間にとってなくてはならないものなのだ。 羽風薫は雑誌のインタビューの仕事を終えると、コーヒーを飲むべくシナモンの前まで来た。相手のインタビュアーが聞き上手なのもあってか、こんなに舌を滑らかにしてしまってたのは久しぶりだった。インタビュー自体はESの会議室で行われたものの渇いた喉には美味しいコーヒーだろうと思い、シナモンまで降りてきたのである。 時刻は夜の8時ちょうど。夕飯もついでに食べてしまおうかと空腹にも目を向けた瞬間、一気に舌と胃袋が食事を欲しがった。カフェシナモンのピラフは、薫の最近のお気に入りなのである。 「……?」 相変わらず時間があればアルバイトをしているコズプロの椎名ニキにブレンドとピラフを頼み、空席を探そうとした所で視界に見慣れた黒が目に入ってきた。 レジの横にあるケーキのショーケースの向かい、比較的目立つような席でドロリと視線を濁したUNDEADの我らがリーダー朔間零が、脚を組んでケースを睨むようにそこにいたのである。 「ぇ……っ、うわ、零くん。どうしたの珍しい」 喫茶店にあまりにそぐわない雰囲気を纏った零は視線だけで薫を見ると、ボソリと薫の名前を呼んだ。その声はザラザラと耳に掠れて響く。 「薫くんか……」 声を掛けてしまった手前、そのまま通り過ぎるわけにもいかない。薫は零の席の向かいに腰を下ろすと、同じように脚を組んだ。 「なに、なんかあったの?こんな目立つ席に座らない方がいいよ」 ただでさえ目立つんだから。と少しの嫌味も含めて付け加えれば、零は「そうじゃの……」と気のない返事をする。何か落ち込んでいるような悩んでいるような、そんなマイナスな雰囲気を感じとり、薫は自分の疲れを癒すのを早々に諦め零の相談役になる事を決めた。学生の時とは違い、零と薫は常に対等なのである。 「モンブランか、チーズケーキ」 「は?」 「モンブランかチーズケーキで、悩んでおる」 零がまたレジ横のケーキのショーケースを見ながら言った。確かに本日のケーキはモンブランとチーズケーキである。まさか、と薫は色んな意味で背筋を冷たくした。 「え……っどっち食べるかでそんなに悩んでるの?だとしたらさすがの俺もドン引きなんだけど」 目を細めて言うと、零は子どものように首をふるふる横に振った。彼が小さな声で、一応のオブラートを被せて話してきた内容を聞いて、ようやく薫は零の背負うどんよりとした空気を理解することが出来たのである。 どうやら今朝、一緒に住み始めた彼女と喧嘩をしてしまったらしい。原因は最近彼女が飲み会に参加している事が多く、ただでさえ自分が忙しくて一緒にいられる時間が少ない中で彼女が他の男と酒を飲んでいるのが気に入らなかったのだという。 零にしては珍しく「そんなに酒が好きなんて知らなかったのう。初耳じゃな」などという嫌味を投げ込んだら、案の定彼女から「付き合いってもんがあることは零くんが一番よく分かってるんじゃないの?」なんて見事なカウンターを喰らわされてしまい、そこから仲直りが出来ていないと言う。 なのでケーキでも買って帰って仲直りをする作戦にしようとはしたものの、果たしてどちらのケーキを買えば彼女が喜んでくれるかをひたすら考えているうちに思考のドツボに入り込んだ、というわけらしい。 薫はすっかり呆れたように目を細めた。正直どっちでもいいじゃん。なんて言おうものなら、余計に悩んでクローズまでお店に居着きかねない。なんとか言葉を選んでから、薫はなるべく優しい声で言った。 「ん〜……零くんはさ、要はその子に対して言い過ぎたな。悪かったなって気持ちがあるわけでしょ?」 「……うむ」 「じゃあ問題はどのケーキを買っていくかじゃなくて、ケーキをきっかけにちゃんとごめんねって言うこと、なんじゃないかな」 零が抱いたどんよりとした空気が、少しだけ緩んだ気がした。あと一息だ。と薫は言葉で押しに掛かる。 「ちゃんと言わなきゃ。最近一緒にいられなくて寂しかったからつい言っちゃったって。他の男と一緒にいるのが気に食わなかったってさ」 「う……うぅむ……」 「零くんは肝心な時に言葉が足りないんだよ。頑張って」 そう言って背中を押す代わりに、足先をコツンとぶつけた。その瞬間に顔を上げた零は、少しスッキリした顔をしている。 「その通りじゃ。ありがとう薫くん」 「うんうん」 しかしその直後、零がポケットに入れていたらしいスマホを手にして、慎重な手付きで何か操作をした。直後、目を見開く。 「え、なに、どうしたの……?」 「あ、あの子がもう帰ってくるって!」 「あの子?あぁ、え?まだ8時だよ?」 どうやら彼女は飲み会から抜けてきたらしく、家に帰ってくる途中で零に連絡をくれたようだ。すると零が薫の分の伝票を引っ掴み、ついでに何故かモンブランとチーズケーキを2個ずつ買って、そのうちの半分を薫の前に置いた。 「薫くんありがとう!もう悩んでる時間が惜しいので我輩帰る!これはお礼じゃ!」 ドンと置かれたテイクアウト用に梱包されたチーズケーキとモンブラン。 「え、えぇ〜。俺はいらないってぇ〜……」 さて薫に降って湧いた新たな悩みは、このケーキを誰と食べるか、である。 [prev][next] [Back] |