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茨とPM9:00
2024/02/20 21:55

「副所長お待たせしました」

 はいこれ。とテイクアウト用になっている二人分の食事と、ついでにお釣りと領収書を渡す。

「ありがとうございます。閉店までに間に合ったようですね」
「ぎりぎりだったんでちょっとおまけしてもらえましたよ〜。ラッキーですね」

 何気なく時計を見たら、ちょうど夜の九時を回っていた。ビルの中も電気が点いている部屋が段々と少なくなって、人の気配が昼間に比べて酷く薄くなる時間帯である。
 さて、私がESビルの一階にあるカフェにぎりぎりに滑り込んで自分と七種副所長の分の食事を買ってきたのは理由がある。

「さて、一旦休憩しましょうか」
「はい……」

 ずばり、火急の仕事が一気に入り込んできたのである。
 事の発端はとある俳優とアイドルの不倫熱愛報道で、それを女性側のアイドルの方が全面的に認め、妊娠まで一方的に発表したとかで今日の午後から芸能界は一気にてんやわんやになったのだ。俳優が出る予定だったドラマやバラエティーは代役を立てるとかであちこちでオファーが飛び、アイドルが出演予定だった歌番組にも代役のオファーが急に入り込む。
 そしてそこを、弊社の副所長七種茨が取りこぼすはずないのである。

「いやぁ助かりました。すみませんが引き続きお願いします」

 プラスチックの容器に入っているオムライスを無表情で食べる副所長をチラと見てから、私も一緒になってオムライスを食べた。サラダとスープまでおまけで付いているので、九時に食べる食事にしては少し重いかもしれないけれど空腹が限界を越えていたので今日は気にせず食べることに決めた。
 それにしてもこうして食事をしている副所長が珍しくて、私はついつい話を聞き逃してしまった。

「え?なんですか?」
「……引き続きお願いしますと言ったんですが、よっぽどお疲れのようですね。上がりますか?」
「いえいえ大丈夫です、すみません。ご飯いっぱい食べる副所長珍しいなぁと思って」

 素直に思ったことを言えば、七種副所長はきょとんとした顔をしてから、皮肉っぽく、けれどいつもの大声で笑った。

「いやぁ、あっはっは!自分も一応人間でありますからね!食事をして当然ですなぁ」
「いやそうなんですけど……なんかオムライスってチョイスのせいかいつもより年相応に見えますよ」

 オムライスの丸いフォルムが副所長の印象をずいぶんと柔らかくしてくれるのが面白くて、否、疲労のせいで面白く感じてしまって私は「あはは」なんて無礼にも笑いながらオムライスを崩す。大盛りで作ってくれた椎名くんには感謝したい。

「……ちなみにあなたのイメージですと、普段自分は何を食べているイメージなんですか?」
「え?大体カロリーバーみたいなのとかサプリメント飲んだりとか……乱くんがいるときは彼の食べたいものを一緒に食べているイメージです」
「まぁ、イメージ通りですね大方は。栄養として摂取出来れば自分はなんでも構わない性質なので」

 副所長は少し投げやりな感じでまたオムライスを頬張った。

「食事は重要ですよ。栄養とかそう言う面はもちろんですけど、美味しいものを食べるとそれだけ幸せになります!」

 現に今椎名くん作のオムライスが美味しいので、私はもう少し仕事を頑張れる気がしている。「遅くまでお疲れさまっす!おまけっすよ〜」と軽い調子でくれたスープやサラダも嬉しい。
 けれど副所長は鼻で笑うような感じで私をちらりと見た。上司とはいえそこそこに不快な笑みである。

「な、なんですか。美味しいごはんは正義です。この考えは曲げませんから」
「いえ。平和で何よりと思っただけです。部下であるあなたの精神状態が安定しているのはこちらの利にもなりますから」
「お気楽ですみませんね〜」

 ちょっと面倒になったので、私はこの会話を終わらせることを選んだ。別に私は彼の恋人でも家族でもないので、食生活をそこまで心配する義理はないのである。

「……」

 でもちょっとだけ。ちょっとだけ寂しい。美味しいものを食べるときに得られる簡単で、小さくてでも最高に幸せな瞬間を彼は知らないのかもしれない。私は会話の踵を返して、先ほどの話題に戻るべくご飯を飲み込んだ。

「えっと、副所長はじゃあ和食と洋食、どっちが好きですか?」
「なんですか急に」
「私は洋食っていうか、オムライスとかハンバーグとか、ちょっと子どもっぽいご飯が好きなんです」
「そうですか」

 言葉だけ聞くとそっけない感じだけれど、疲れた彼の目に少しだけ好奇心が滲んでいるように見えた。きっと本当は、食事が嫌いなわけではないはずだ。

「副所長はどっちかと言えば、どっちですか?」
「……食べられればどっちでも構いませんが、まぁ和食は好きですね。カロリーコントロールしやすいですし」
「魚?肉?」
「肉、ですかね。手っ取り早く空腹が満たせます」
「牛のしぐれ煮とか、鶏の照り焼きとか美味しいですよね〜」

 自分が作れるレシピの中、肉の和食を脳内で検索しながら言葉に出すと、副所長がぽかん、というか目をぱちくりさせてこちらを見ていた。

「興味ありますか?今度レシピお伝えしますからよかったら作ってみてくださいね」

 さすがに「作ってあげましょうか?」なんて言う勇気はなくて、私は情けなくも後ずさるようにそう言うと、副所長が少し不機嫌そうに最後のオムライスを頬張る。
 もしかしたら期待してくれたのだろうか。作りましょうかって、言えばよかっただろうか。

「……そうですね。ではそのレシピを元にあなたより美味しく作れるようになりましょうか」
「えぇ〜、それじゃあ私形無しです」
「あなたが話をややこしくしたんじゃないですか」

 ほら、もう仕事再開しましょう。と、副所長がゴミをまとめた。私も大人しくデスクに戻ろうとすると、副所長が不意に手を引いてきた。ぎくっとして反射的に副所長の顔を見れば、ちょっとふてくされたような顔をしている。

「作ってきてあげるって言うのかと思ったのに」
「え?」
「期待させないでください」

 もういいです。と彼が背中を向けた瞬簡、副所長のスマホに着信が来たのか電話を始めてしまった。
 さて私はと言えば、仕事のオファーの連絡をアイドルにする仕事を再開する。心臓が急激に拍を打つせいで、オフィス全体に私の心音は鳴り響いている錯覚すらしてしまう。普段と違う副所長の口調は、もしかしたらあれが素の口調なのかもしれない。残業まみれの夜九時過ぎに知るには、私には少し刺激が強すぎたようだ。
 次の連絡は天城くんだ。が、彼はこちらの様子が少し違うことにすぐ気が付いてしまいそうである。ここはそういうのに疎そうな桜河くんに連絡しようと、私は電話を鳴らした。数コールで、彼はいつものイントネーションで連絡に出てくれる。

「夜遅くに、ごめんね桜河くん。仕事の、オファーなんだけど……」
「?なんやいつもより声上擦っとらん?」


 秒でばれた。



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