TOP > 更新履歴 > 記事

斑とPM11:00
2024/02/20 21:59

 夜11時、玄関の鍵が開く音が聞こえて、私は音のする方へと向かう。一緒に住んでいる斑くんが家に帰ってきたのだ。今日は元々遅くなると聞いていたのできっと忙しかったのだろうと思い玄関に顔を出すと、彼はブーツの紐を解くためにこちらに背中を向けていた。

「お帰り。斑くん」

 その背中に言葉を投げかけると、わざわざ彼は手を止めてこちらにくるりと振り返ってくれた。

「ああ、ただいま」
「……」

 嫌な予感がした。
 妙にニコニコとしたその顔には覚えがある。これは彼の、機嫌が悪い時の合図だ。

「つ、疲れたでしょ。お腹すいた?今日は豚汁作ったの。食べる?」
「いいなあ豚汁。ぜひ頂くぞお」
「そっか。じゃあ温めるね」
「ありがとう」

 正直、機嫌の悪い斑くんは怖い。原因が私でなくとも、めちゃくちゃ怖い。

 笑っているはずなのにどこか殺気のような何かを本能的に感じ取りながら、私はそっと彼の元から離れてキッチンへと向かう。鍋に火を掛けている間に冷凍ご飯をレンジで温めていると、キッチンに斑くんが現れた。

「あ、斑くん。たくさん食べる?ご飯と豚汁以外に何か食べるなら……」
「いや、それだけで十分だ。そんなにお腹が空いているわけではないからなあ」

 先ほどのように笑顔を浮かべたまま、斑くんは鍋を混ぜる私に近づいてきてするすると頬を撫でてくる。彼の行動自体は別段特別なことではないし、どちらかというと機嫌が良い時にしそうなことなのに、指先が手を洗ったばかりのせいもあってかひんやり冷たくて何となく怖い。

「そうなんだ。すぐ準備できるから座って待ってて」
「ありがとう」

 そのままちゅっと頬と額にキスをして、斑くんはキッチンを出ていった。そして私はというと、彼の背負った負のオーラと愛情表現のアンバランスさに、やはり背筋を冷たくすることしかできなかった。
 もしや私、何かしただろうか。それとも今日は仕事で余程ストレスの溜まることをしてきたのだろうか。もし前者であるならそもそもあんな風にキスなんてしてくれなさそうだし、私が話しかけたことによる反応はそこまで悪くない。もし彼が私に対して怒るなら、というかあんまり怒られた事もないけれど、あんな誤魔化すようなキスはしてこない。

「聞いてみようかな」

 私は彼のストレスの原因は仕事で何かあったとアタリを付けると、豚汁とご飯をよそって彼の座るリビングへと向かった。ご飯は真っ白じゃ味気ないから、斑くんの好きなふりかけを振っておく。

「はいどうぞ。お待たせ」
「すまないなあ。ありがとう」

 斑くんの前に汁椀と茶碗、お箸を置くと私は彼の向かいに座ろうと腰を浮かせた。が、そこでガシッと腕を掴まれる。突然のことに思わず「ヒィ!」などと悲鳴を上げれば、斑くんは読めない表情のまま私の腕を引いて、自分の隣に座らせた。

「あ、ここ?」

 ここに座るの?という意味でそう言えば、彼が頷く気配がした。なんなんだろうか。余計に読めない。

「いただきます」
「どうぞ〜」

 彼の左手と私の右手は何故か繋いだまま、深夜の食事が始まる。私は無意識にテレビのリモコンを左手で手繰ってテレビを付けると、ちょうど斑くんがテレビに映っていた。この前撮影したらしいバラエティである。最近流行りの芸人と斑くんが共演していた。

「あ、いいな〜。この芸人さん好きなんだ私」

 何気なくそう言ったが、斑くんからの相槌はない。普段なら「そうなのか。サインもらってきてあげればよかったなあ」とか言ってくれるのに。少し心配になって斜め上にある斑くんの顔をちらと見て、私は再び背筋を凍らせる。
 冷たい視線が私を見下ろしていた。めちゃくちゃに怒っている。
 箸を持ったまま鋭い視線を私に向ける斑くんに、私は思わず座っているくせに腰が抜けそうになった。え、なに?彼の不機嫌はやっぱり私が原因なのだろうか。

「え、えっと……」

 空気に耐えきれなくて私がノープランで会話を切り出そうとしたところで、斑くんは一度繋いでいた手を離すと凄まじい早さで食事を平らげ、席を立ってしまった。
 本当に彼の怒りに対して心当たりがなくて、私は置いて行かれたような気分になる。なんでそんなに怒っているのだろう。いつもならきちんと話してくれるのに。

「なんで……?」

 半分泣きそうになりながらそう呟くと、さっさと食器を片付けた斑くんが戻ってきて、そのまま私の手を引いた。突然の事に口をパクパクさせながら後を付いていけば、風呂場に連れて行かれた。先ほど沸かしておいたお風呂が空気も読まずに柔らかい湯気を立てている。

「え、なに?なに?ねぇ、」

 言葉にならない、ほとんど涙声で彼に何かを訴えれば、突然斑くんが脱いだ。びっくりして一歩後退すると、上半身裸の斑くんが私の手を再び思い切り掴んだ。もうほとんどホラーである。

「ひぇえ!」
「疲れたから、背中流してくれないか?」
「え、あ、そういうこと……」

 わかった。とズボンの裾を捲ろうと腰を折って屈んだら、そのまま背中から引っ張って上着をスポーンと脱がされた。

「えっ?!なに?!」
「どうせ濡れるんだから裸で入った方がいいだろう」
「……」

 何に怒ってるのかわからない今、従っておく方がいいかもしれない。と本能が悟った。私は大人しく下も脱ぐ。本日二度目の入浴である。
 けぶる湯気の中、斑くんが洗い場でお湯を被り始めたので私は一旦湯船に入ってじっと彼を見る。どう切り出そう。突然「ごめんね」なんて言っても意味なんてない。私がもし無自覚なまま怒らせてしまったのなら意味を知った上で謝りたいし、そうでないにしてもこの不機嫌の原因を知りたい。
 彼は身体が大きいし正直威圧感も凄まじいけれど、意味なく機嫌を悪くする人ではないのだ。いつだって他人の為に怒る人なのだから、その怒りを理解してあげたい。

「……ね、頭洗ってあげよっか」

 湯船からそう声を掛ければ、斑くんが頷いたので私は湯船から上がって彼の頭を洗う。ワックスのせいで指の通りが悪い。結構毛量の多い頭をワシワシ洗っていると、まるでライオンたてがみを洗ってるような気分になる。
きちんとトリートメントまでして軽くタオルで拭けば、彼はようやく一息ついた顔をした。そこで私は恐る恐る、話しかけてみる。

「疲れた?」
「そうだなあ」
「大丈夫?」
「ああ」

 やはり返事がそっけない。私では彼の疲労を取ってあげることは出来ないのだろうかと悲しくなりながら斑くんが体を洗い切るのをぼんやりピントを外して見る。そろそろ彼が湯船に入るだろうから出ようと腰を浮かせたところで、私の肩をぐっと斑くんが掴んだ。思わずビクッと身体を揺らせば、彼は遠慮なく湯船に入り込んでくる。

「うわぁ!」
「ははは!」

 ザバーっと、湯船のお湯が一気に流れた。洗面器がお湯に浮いて、ふわふわ漂っている。

「狭いよ。私出るから」
「おおっと、そうはいかないなあ!」

 突如後ろから思い切り抱きしめられて、私は再び悲鳴をあげる。さっきまであんなに機嫌が悪そうだったのに、いつのまにか元に戻っている。裸なのに触られるのがむず痒くて抵抗したけれどそもそも力で勝てるわけないのだ。

「……なんで、帰って来てから機嫌悪かったの?」

 観念しつつ、折角だから聞いてみた。今なら話してくれるかもしれない。すると斑くんは暫く黙り込んでから、突如ポカンとしたように「……え?」ととぼけた。

「いやとぼけても無駄だよ!帰って来てからすごい機嫌悪かったじゃない。ちょっと、怖かった」

 ぐるっと振り返って強く彼を睨むと、髪からポタポタ雫を垂らしながら、斑くんは気まずそうに頭をかいた。

「あ〜……その、機嫌が悪かったわけじないぞお。そう見えたなら謝る。ごめん」
「うそ。私だってただボーッと側にいるわけじゃないもの」

 むせかえる湯気の中、温かいお湯のせいか他の理由かはわからないけれど、斑くんが目を伏せて、少し顔を赤くして言う。

「その、な。最近あんまり会えなかったから……充電したかったんだよなあ」
「充電?」

 言っている意味がわからない。けど察することは出来る。そしてそれはきっと、言われたらとっても恥ずかしいことだ。

「そっ、そっか。じゃあ私そろそろ出る……」

 そのまま立ち上がろうとしたけど、結局阻まれた。大きな質量の気配がして、そのまままた思い切り抱きしめられたのだ。

「ひ、」
「甘やかして欲しかったんだ。会えなくて寂しくて、忙しいのに頑張る糧が足りなくて。だから子どもみたいに拗ねちゃったんだ。でかい図体してるのにな」
「斑くん……」
「恥ずかしいよなあ……」

 そんなこと言われたら、このまま出るわけにもいかなくなった。私は彼の濡れた頭をよしよしと撫でて、今度は私から抱きつく。

「よしよし。いいこいいこ」
「!」

 よしよし。とまた言いながら頭を撫でる。いつも強くて大きい斑くんだって、甘えたい時があって当たり前なのだ。

「……今何時?」

 斑くんが身体を擦り寄せて来た。私は「もうそろそろ12時になるんじゃない?」と答える。

「もう眠い?」

 彼の言いたい事を的確に理解して、私は「眠くないよ」と答えた。



[prev][next]
[Back]

Copyright (C) 2016 PB All Rights Reserved.