TOP > 更新履歴 > 記事 茨とAM12:00 2024/02/20 22:01 「あっはっは!終わらん!」 ずっとPCと睨めっこしていた身体を椅子の背もたれに放り出して、まるで目の前で私と同じく目を虚ろにしたまま仕事を続ける彼の笑い声によく似た声で笑い飛ばすと、煩雑に付けていたテレビがちょうど0時のニュースを放送し始めた。つまり現在時刻はちょうど深夜の0時。そして終わらない仕事に苦しむ社畜が二人。 「……はぁ、」 珍しく向かいに座る彼、茨くんが投げやりなため息を吐いて一度眼鏡を外した。目頭を揉むように摘んでいる辺り、そろそろ眼精疲労が限界なのかもしれない。かく言う私も既に眼球がグラグラと外れて落っこちそうなのをなんとか骨が支えているかのような、不思議な重たさを感じている。既に目薬ではどうにもならないことは、なんとなく察している。 茨くんはアイドル事務所の仕事を。私は私で彼が社長を務める会社の仕事をそれぞれ持ち帰ってきては、彼の殺風景すぎる家で宿題よろしく励むことになってしまって既に何時間経ったのだろうか。普段はこんなになるほど忙しくないのに、今日に限ってあり得ないほど仕事が立て込んだ。 「ねぇちょっと休憩しない?」 淀んだ目で向かいに座る彼にそう言えば「そうですね……」といつもよりトーンの低い声で茨くんが呟いた。見た感じ、彼は昨日もまともに寝ていないように思う。 「コーヒーはやめとく?胃に悪そう」 「いえ、薄くてもいいんでコーヒーがいいです。頭をスッキリさせたい」 私は一つ頷くと、二つのマグカップにインスタントコーヒーをザラザラと流してお湯を注いだ。深夜に飲むには相応しくない香りなのはわかっているけれど、なんとなくホッとしてしまう温かい湯気を茨くんの元に持っていけば、彼も少しばかり表情を緩める。ノートPCを少しだけ閉じるようにして画面を視界から切り離すと、示し合わせたかのように同時にコーヒーを啜った。 「っは〜、深夜に飲んでも美味しい〜……」 最近のインスタントコーヒー結構美味しいよね。と言うと、茨くんが無言で頷く。 「このコーヒーお気に入りでね。見つけてからは家でも職場でもこれなんだ」 何気なくそう続けると、彼がちょっと憐れんだ目で私を見た。 「そっち、コーヒーマシン置いてませんでしたっけ?」 「置いてないで〜す社長。コーヒーマシン買って買って〜」 いいコーヒー飲んで仕事が出来るチャンスだと、私はここぞとばかりに猫撫で声で言う。というか彼が社長を務める他の会社には置いてあるのだとしたら、ちょっとずるい。 「そうでしたかすみません。検討します」 私は緩い返事をして、いつもより少し薄く作ったコーヒーを飲んだ。 「そもそもあなた、何故そんなに仕事を溜めているんですか?深夜0時過ぎてまで終わらない仕事を振るようなブラック企業を経営してるつもりはないんですけど」 少しキツい目つきを更にキツくして茨くんが言った。彼からしたら私がこんなに働いてるのは己の不甲斐なさを指摘されているようで不満なのだろうか。私は首をゆるゆる横に振って、それを否定する。 「違うよ。いつもは社長の頑張りによってもっとずっとホワイト企業です。実はね……」 茨くんの眉間に皺が寄る。私は社長に包み隠さず話す義務があるので仕方なく、そう仕方なく言葉にするのだ。 「営業部の課長が超大口の案件取ってきたはいいもののその存在をすっかり忘れていた上、別の案件の企画書を何も知らない新人に放り投げてまだ未完成。書類提出は明日の午前中!という部門総出で課長の尻拭いをしているであります」 「……そうでしたか。お疲れ様です。人事部と相談しておきます」 「お願いします」 話が早くて助かります。と言うと茨くんは今日その尻拭いに駆り出されている人を教えてくれ、と言ってくれた。多分確認後、手当に色を付けてくれるのだろう。 「社長がなかなか来れないのは分かってますけどちょっと寂しいからコーヒーマシン買って、コーヒー飲みにでも来てくださいね」 「そうですね。暫く副社長に任せっきりだった自分にも責任はありますから。今度行きます」 「待ってます〜」 茨くんが来るのなら私も普段は適当なメイクに適当な服を着ているけれど、ちょっと気合入れてちゃんと綺麗な格好で仕事をしよう。なんて思ってしまう。今はすっぴんに部屋着で大概だけれど、職場ではキチッとしている所をついつい見せたくなってしまう女の意地である。 極小音で付けられたテレビはいつのまにかトークバラエティーになっており、私はふとそちらを見た。ゲストは女優さんのようで、今度放送される予定の新しいドラマについての宣伝をしている。ドラマの一部を流している中、画面の中には目の前の人が映っていた。 「あれ、茨くん深夜ドラマ出るんだ……」 「あぁ、えぇまぁ」 「だから溜まった仕事片付けてるんだね〜お疲れ様」 楽しみだな〜と疲れた頭でぼんやり繋げようとした途端、突如ベッドシーンの一部が映った。女優さんと茨くんは10歳以上離れてる年齢差。ドラマの内容は先生と生徒の禁断の恋愛、という内容らしい。 「エッ!うそこの女優さんとベッドシーン?!すごい!!」 「……」 茨くんは黙りこくったまま、無言で薄いコーヒーをすする。ほんの一部しか映らなかったシーンが、疲れてショボショボなはずの私の脳を一気に刺激した。かたや目の前の彼は気まずそうに目線をそらしている。この表情を私はよく知っている。彼女なので。 「いや仕事なんだから別に何も言わないけどさ、なんなら隠しとこうと思ってたでしょ。深夜枠なら見ないだろとか思ってたでしょ」 「……いえ、そんなことは」 「なら普通に言えば良くない?むしろ自慢してほしいあの人とベッドシーンやったんですよ!くらいの気持ちで」 「言えるわけ無いだろ」 ムッとしながら、口調の崩れた茨くんが口を尖らせる。一応私のことを思って黙っていようとしたのだろう。そこに愛は確かに感じるのでもう撮ったであろうキスシーンについても何も思わないが、私はここを逃す手はないと、ニッコリ笑って言った。 「七種社長〜私美味しいコーヒー飲めるコーヒーマシンが会社に欲しいな〜」 「な、」 「隠されてたの、寂しいな〜そんなことで私が茨くんを嫌いになると思ったのかな〜」 深夜0時半。私の提案は見事可決された。後日最新式のコーヒーマシンが届けられ、人事異動が通達されたので会社の人たちにはぜひ感謝してもらいたい。 ちなみに後日見たキスシーンが思ったよりディープだったので、私は結局ヘソを曲げたのだ。 [prev][next] [Back] |