TOP > 更新履歴 > 記事 夏目と我慢の限界 2024/03/19 20:20 そんな日があっても、べつにおかしくなんてないでショ。 そうやって開き直る事に決めた夏目は、背後で微かに聞こえるシャワーの音をかき消すように無理矢理ため息を吐いた。けれどシャワーのやまないお湯が彼女の体をぴしゃぴしゃと打つ音は延々と反響して夏目の背中をズブリと刺してくる、そんな幻覚に襲われる。 ちら、と無意識に時計を見れば、彼女が風呂に入ってから大体30分くらい経とうとしていた。のんびり屋の彼女はなんでものんびりしているものだから、風呂ものんびりと入っている事だろう。夏目も彼女のそんな所が好きだから早くしろと咎める事はないし、むしろ自分も長風呂な方である。 ただ今夜だけは勝手が違った。一言で言うと、無性に彼女の肌が恋しい。 有り体に言えば、セックスがしたかった。 久々の逢瀬である事もその願望を増長させたし、先程ふと襟ぐりの広いカットソーを着ていた彼女の胸元が不可抗力とはいえ見えてしまったことも引き金の一つだ。言うならば彼女の匂いがそこかしこでするこの家に来た時点で夏目の期待値はぐんぐんと上がっていたわけで、シャワーの音なんてその先を期待するBGMに他ならないわけである。 誰に追われているわけでもないのに謎の焦燥感が夏目を襲う。居心地が悪くて思わずソファに突っ伏せば、先程彼女が脱いでいったカーディガンが放ってあった。 「……」 一度、思考を止める。それからチラッと視線だけで廊下の先を見る。まだ上がってこないだろう。 そこからの行動はシンプルである。カーディガンをおもむろに手に取り、夏目はそれをじっと見た。ベージュ色の無難な、よくある量販店のカーディガンである。もう一度風呂場の方を見る。彼女の気配は遠い。 ばふ、と夏目はカーディガンに顔を埋めた。そのまま静かに息を吸い込めば、大好きな彼女の匂いが脳をぐらぐらと揺らしてきた。彼女自身の匂いと柔軟剤の匂いと、それから最近お気に入りなのだと付けていた香水の匂い。香水というよりはボディミストのような、花のようなナチュラルな香りが彼女のイメージにぴったりである。 「はぁ、」 一人切ないため息を吐いて視線を外せば、ちょうどテーブルに彼女が愛用しているであろう香水の瓶がちょうど置いてあった。手にとって、噴射口をふらふら鼻先で揺らして香水本来の匂いを嗅いでみると、先程嗅いだ香りとはだいぶ違っていた。カーディガンに移っていた匂いは色んな匂いと混ざって、今がちょうどラストノートなのかもしれない。 もう一度カーディガンの匂いを嗅ぐと、やはり先程とは全然違う香りがする。こちらの方が断然夏目が好きな匂いで、まだ彼女が戻ってこないのをいいことに胸いっぱいに吸い込んだ。そして気づく。否、気づいているが気づいていないふりをしていた。 ムラムラが増長している。 「だっテ……」 不貞腐れた子どものように言い訳を呟きながら、夏目はだんだんともどかしくなってきた体を落ち着かせようともがいた。どっちにしろ久々に会ったのだから、彼女だってその気でいてくれているかもしれない。なら夏目が罪悪感を抱く必要はない。気持ちが同じならそのまま文字通りその気持ちを繋いでしまえばいいだけだ。 ただ、ほんの少し早く夏目がその気になってしまっただけである。 「……したい」 言葉にすると余計にその欲が強くなった。カーディガンをオカズに一度抜いてしまおうかと思っている矢先、突如風呂場から彼女が夏目を呼んだ。その声に驚いて、夏目はらしくなくカーディガンを取り落とすと慌てて風呂場へと向かう。冷静に、冷静に。あくまで一人ムラムラしてましたなんて事を、気づかれないように。 「どうしたノ?」 「あ、ご、ごめんね」 彼女は風呂場の扉を薄く開けて夏目を見た。風呂場の中にこもっていた湯気がむわっと夏目に覆い被さる。すりガラス越しに彼女の肌が見えて、夏目はそれをなるべく見ないように、でも不自然に思われないように視線を外した。 すると彼女がにゅっと扉の隙間から何かを夏目に差し出してきた。女性用のカミソリのようである。 「え、なんなノ?」 「あの、ほんと〜に申し訳ないんだけど、後ろの毛を剃るの……手伝ってくれない?」 そう言って彼女が髪を手で上げた。むせ返る湯気の中、うなじから背中にかけて、水を弾いた彼女の素肌が晒される。夏目は思わず固まった。見たことがないわけではないけれど、今の彼にとっては過剰摂取もいい所である。 「あ、あのね、あのね、今度友達の結婚式があって、ドレス着るから髪上げるじゃない?だからうなじが結構出るの…!こんな事頼んで本当にごめんなんだけど、頼めるかなぁ……」 恥ずかしいのか早口になりながら、彼女が夏目の顔を見るために体を捻ってこちらを見た。髪を上げるために腕を上げているせいで、胸のシルエットが夏目の目に飛び込んでくる。 無理、むりむり。毛なんて剃ってる場合じゃない。いや、剃ってあげたいけれど、今はそれどころじゃない。人間ならば誰しも、我慢の限界がある。夏目にとって、それがたまたま今なだけだ。 夏目は自分の服が濡れるのも構わずに腕を上げた彼女の身体を思い切り抱きしめた。そのまま露わになっているうなじに吸い付く。先程とは違う、石鹸の香りが真正面から飛び込んで来た。 「ひっ!」 彼女が悲鳴や喫驚に近い声を上げた。指をじわりと身体に這わせると、全身をぐっしょり濡らしているお湯が夏目の手を伝って手首やその先を濡らしていく。 「ね、もう全部洗ったノ?」 「ま、まってまって」 待てない。もう十分待った。自分は決して、待ても出来ない駄犬なわけではない。 「背中は明日、やってあげるかラ、ネ、お願い……」 「な、なつめくん……」 「したい、」 興奮のあまり途切れ途切れになりながらそう言えば、彼女がゴクリと息を飲むのを感じた。身体を引き寄せたままグイ、と外に出るよう促せば、彼女が一歩、風呂場から外に出る。 彼女の了承か含まれているはずの一歩に、夏目はとことん甘えられる喜びを享受した。 [prev][next] [Back] |