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ジュンにおんぶしてもらう
2024/03/19 20:20

 眠い。

 突如入り込んだ某女優のスキャンダルのせいで仕事が押しに押して、人生で初めて職場で朝を迎えてしまった日の夕方、私は既に眠気の限界に差し掛かり、意識は急カーブを曲がる寸前だった。
 朝方に仮眠室で休みはしたものの睡眠が取れたわけでもなく、どうせ使い道なんてないだろうけど一応、といった具合にロッカーに入れておいた着替えが役に立ってしまった。足がだるい。シャワーじゃなくて湯船に入りたい。寝たい。寝たい。

「これを終えたら今日はもう上がってください」

 会議室までの道のり、横でそう呟いた七種副所長も同じ時間働いているはずなのにどうしてか元気そうである。

「副所長、眠くないんですか?」
「眠いと言えば眠いですが、睡眠不足と疲労には慣れてますので」

 慣れるもんなの?という疑問はさっさと空気に溶かした。あとはEveがCM出演を決めたのでそれの打ち合わせに参加するだけである。と言っても副所長の経営するアイスクリーム屋のCMなので、身内しかいない打ち合わせだ。副所長がクライアントなので、私は一応コズプロ側のスタッフとして来た。

 ミーティングルームに入ると既にEveの二人は来ていて、先に渡していた資料をちゃんと読み込んでいてくれた。資料、ちゃんと事前に完璧に作っておいてよかった。今の私が作ったら確実に誤字脱字の嵐である。

「……というわけで、絵コンテの説明は以上です。殿下、ジュン、何かご質問は?」
「ううん、ないね!小さな子にもお年寄りにもわかりやすい内容で、ぼくはいいと思う」
「オレも。アイスの華やかな色味と新曲のイメージぴったりだし、文句ありません」
「漣くんも巴くんもありがとうございます。ではこれで進めますね」

 もはや誰がクライアントで誰が事務所側なのかよくわからなくなりそうな打ち合わせは流れるように終わった。話もまとまったし、ようやく家に帰る目処がつきそうである。

「それではよろしくお願いします。失礼し、」
 ます。まで言ってみんなで立ち上がり部屋を辞そうとした瞬間、一瞬ガクッと意識が落ちた。頭から世界がすっぽ抜けたような感覚に驚いていると、ふと身体を支えてくれている自分ではない人のじんわりした体温と、そこに掛かった微かな衝撃に驚く。びっくりして目を開けば、そこには私以上にびっくりしている漣くんの顔が近くにあった。咄嗟に倒れそうになった私を支えてくれたようである。

「び……っくりした。大丈夫っすか?」

 立てます?と聞かれて縺れそうな舌で答えようとしたら、あっという間に別の方向から椅子が差し出されたので大人しく座る。行動の早い副所長が持ってきてくれたようだ。

「貧血ですかね。顔色悪いっす」
「あ、大丈夫。大丈夫です……すみません」

 まだぼんやり白い視界でひらひら手を振ると、困ったように眉を下げる漣くんと、真剣な顔をしている副所長が見えた。

「はいこれお水だね。飲める?」

 巴くんが水を差し出してくれたので、ありがたく口に含んだ。冷水機のお水がひんやりと身体に差し込まれていく。

「本当にすみませんただの睡眠不足なので……ほんと、気を遣って頂くほどでは」
「とりあえず医務室へ行きましょう。少し寝てから帰宅してください」
「はい」

 副所長の冷静な指示に、私は迷惑かけまいと逸る気持ちのせいですぐに返事をする。段々、ぼやけた視界が元に戻っていく。

「すみません。働かせ過ぎてしまいました」
「いいえそんな……こちらこそすみませんこれくらいで」

 私より働いている副所長は元気そうなのに申し訳なくて、早く彼らをこの場から解放するために立ち上がろうとしたら、側にいた漣くんが慌てて体を支えてくれた。

「まだ動かない方がいいですって!」
「もう大丈夫です。ありがとうございます」
「医務室まで一緒に行きます。乗ってください」

 ……乗ってください?謎のフレーズが聞こえて漣くんの方を見れば、彼は私に向かって背を向けて、しゃがみ込んでいた。
 あ、これおんぶする姿勢だ。無理。無理無理。

「えっい、いやっ無理無理、いいですいいです!」
「大丈夫!ジュンくんぼくを抱えることだって出来るから、安心しておんぶしてもらっちゃえばいいね!」
「その方が効率いいですね。ジュン、お願いします」

 お願いしないで!私は嫌だ嫌だと首を振る。これで「おひいさんより重いっすね〜」とか思われたらどうする。立ち直れない。

「一人で行けます!行けますから!」
「一人であちこち行ける子は貧血で倒れたりしないね!いい加減に観念して!」
「そうっすよ。もっと具合悪くなったらやべぇし……早く乗ってください」

 また同じこと言った!と混乱していると、副所長がぐっと私の背中を押した。それに逆らえず漣くんの背に覆い被さるようになっと私を「よいしょっ」という掛け声と共に漣くんが持ち上げる。もうダメだ。幻滅されたに違いない。

「すみません……すみませんすみません……」
「気にしないでくださいよぉ〜。おひいさんより全然軽いっすから……」
「ジュン。フォローが下手くそですよ」

 具合が良くなったら帰りなさいという指示を副所長と何故か巴くんからもう一度もらい、私は漣くんの背中に揺られてESビルをほぼ縦断する事になった。恥ずかしくて顔が上げられないから俯いていたら彼から微かにミントタイプの汗拭きシートのようなさわやかな香りがして、思わずドキリとしてしまう。体調が悪いのに不謹慎である。

「あ……っ、オレ汗臭かったらすみません」
「いえこちらこそ……不快な匂いしてたら申し訳ないです……」

 そういえば私はシャワーで軽く汗を流した程度である。最悪のコンディションだったのを忘れていて、余計に罪悪感が募る。

「いい匂いだから大丈夫っすよ」
「え?ほんと?よかった……」


 あの時は全く頭が回ってなかったので大丈夫と言われて安心してしまったのだが、医務室に着いてから漣くんが「セクハラまがいのこと言ってすみません」て丁寧に頭を下げてきた理由が、後々でわかった。



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