TOP > 更新履歴 > 記事 零のインキュバスパロ 2024/03/19 20:25 6:20起床。今日は一回のアラームで起きられた。 「おはよう嬢ちゃん」 「おはよう。悪いけど飛ばないでくれる?埃が舞う」 「大丈夫じゃよ。我輩昨日掃除機かけたから」 ケトルで少量のお湯を沸かして、水と割ってぬるま湯を飲む。熱湯の白湯では冷ますのに時間が掛かって飲めないからだ。 「そっか、ありがとうすごい助かる」 「……のう、嬢ちゃん。昨夜の事おぼえておるか?」 デフォルメの悪魔みたいな翼を畳んで床に降りた男は、ニコニコと機嫌良さそうに言った。黒い癖のある髪に紅い瞳、白い肌は見る人全てを魅了するような美しさ、と言われれば納得の美貌である。 零と名乗った彼は、己を夢魔だと言い突然私の部屋にやってきた。その時の事は色々と省くが、とにかく彼は夢魔としての仕事を遂行しようと、毎夜努力しているようである。 詰まるところ夢の中で私とセックスをしようとしている、もしくはしているのだろうが、それらは残念ながら全て無効なのだ。 主な原因として、私が仕事の疲労で熟睡してしまい夢を覚えていないからである。 「全然覚えてない。もしかしてまたしたの?夢とはいえ勘弁してよ」 はぁ〜、と深いため息を吐きながら、ぬるい白湯を一口飲んで頭をスッキリさせつつ化粧下地を顔にぺたぺたと塗った。眉毛まで書いておけばアイメイクは会社のトイレで出来る。というか昨日の疲れが取れていない。現代社会における地獄である。 「我輩は夢の中でおぬしに受精させるのが仕事なんじゃもん。真面目に仕事をしておるだけじゃ」 「朝から生々しいこと言うのやめてくんない?合意のないセックスは人間界では犯罪なんだけど」 「何を言う。昨夜の嬢ちゃんはあんなに……」 「無効!!」 続きを聞きたくなくて、私は会話を遮った。私は熟睡してるせいで覚えていないけど、もし零が昨夜夢の中の私に所謂そういうことを仕掛けてきたのだとしたら、彼はその記憶をばっちり持っている上で朝から生々しい事を言っているのだ。 「とにかく私仕事行ってくるから、もし家にいるなら翼しまって人間に化けなさいよ。私に愛想が尽きて他の人探すなら渡した合鍵はポストの中にでもいれて!行ってきます!!」 「いってらっしゃい。心配せずともおぬしの帰りをちゃんと待っておるよ」 「心配してない!」 バタン!と慌ただしく扉を閉めれば、いつもより一本前の電車に乗れる時間である事に気がついた。早めに会社に行ってメイクをするのと、それからコンビニでコーヒーも買える時間がありそうだ。 「もしかして私の体の疲れが取れないのって零のせい?」 現金な事を言えば彼の顔は本当に整ってて、もし人間である彼に誘われたらふらふらとついて行ってしまうかもしれない程度にはタイプだ。だがしかし零は人外、それも夢魔というなかなか濃い種族である。彼らにとって種の存続の為に人間の夢の中に忍び込んで襲う事は仕事だし、人間の倫理観は基本的に通用しない。 なので可能なら私が繁忙期で死にそうな今、厳密に言うと夢を見ないくらい熟睡している今のうちに出て行って欲しいものである。ただ、彼が家の掃除や洗濯、日用品の補充をしてくれるのは助かる。 そうやって理由づけている私も私なのだ。 「覚えていてくれないってのは、なんとも寂しいのう」 慌ただしく彼女が出て行ってから、零はポツリと呟いた。昨夜夢の中に入り込み、夢の中でも眠る彼女にそっと近づいてから髪をくすぐるように撫でればむず痒そうに笑う無防備な笑顔が可愛かった。「やめてよ」と言葉では言うのに内心はもっと触れて欲しいと言ってくれているようで嬉しくて、そのまま唇を重ねれば甘えるように応じてくれた。夢魔は性欲を司る悪魔だ。相手に欲しがらせるよう促すのも容易く、また自分だって欲しくなる。仕方がない。そういう種族なのである。 それからたっぷりと時間を掛けて楽しんで、夜が明ける前には夢から抜け出した。最後に何度も「今日は覚えていておくれ」とおねだりしたら、夢の中の彼女は「ちゃんと覚えてる」と言いながら「だって零のこと好きだもん」と付け加えて抱きついてくれたのが、夢魔の本分を一瞬失うくらい嬉しかった。だからこそ、今日の朝彼女の態度が全然違うことに少し寂しくなったのだ。 夢魔、特に男性型のインキュバスは夢の中で人間の女に受精させることで種族の存続をする。そこにあるのは本来備わった欲と、生存本能だけなのだ。 そのはずなのに、零は未だに夢の中でも彼女の中で果てた事がなかった。万が一彼女がその夢を覚えていたら、彼女が受精してしまったらこの関係は終わりになってしまうからだ。 否、それが夢魔と人間の関係としては自然である。けれど零には今までにない戸惑いが湧いては溢れて、その雫がひたひたと零自身を濡らしているのだ。 夢魔の零は知らないのだ。その感情が、人間界でいう「恋」と呼ばれる物である事を。 「さて、確かお醤油が切れそうだったのう。買いに行くか」 指をパチンと鳴らして、翼を仕舞い人間らしい服装に着替えると、零は彼女が付けてくれたコウモリのキーホルダーが付いたこの家の鍵を取り出す。 人間から初めてもらった贈り物。この家に、彼女の元にいていい証。零は今の所、それで満足なのである。 「お醤油は、こいくち、濃口……」 歌うように言いながら、零はこの部屋を出た。 [prev][next] [Back] |