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マヨイとメイドパロ
2024/03/19 20:27

「旦那様はいつもいつもあんたばかり!私だって旦那様のことが好きなのに…!!」

 最期に聞こえた言葉はこんな感じだった気がする。ずっと親友だと思ってた同僚が私の胸を強く押して、その瞬間踵がガクッと地面から外れて砕けるような感覚がした。階段を踏み外した、と思う時間はなく、そのまま転がされた石ころのように重力に従って身体が落ちていく。
 その後は、あまり覚えていない。後頭部や首が痛かったような気も、あちこちから悲鳴が聞こえていたような気も、あの時聞こえた慟哭も、全部全部「気がするだけ」になってしまった。



「おはようございます……ご気分はいかがですかぁ?」

 そんな声でふと気が付く。反射的に目を開ければ、『ベッド』の横にしゃがみ込んでこちらを覗き込む人と目が合った。

「マヨイさま」
「はい、私です。ご機嫌いかがですかぁ?」

 外から『小鳥』がチチ、と鳴く声がして、すこし開いた窓から暖かい風が吹き込んできた。もう『朝』のようだ。

「朝ですね。朝は、起きる時間です」
「そうですよぉ。よく覚えてましたね」

 横になったまま頭をよしよしと撫でられて、少し『くすぐったい』。
 私は体を起こすと、ベッドから起き上がった。寝る時に着る服が、肩からずるっと落ちたのも気にせず布団を整える。『目が覚めたら布団を整える』のは、『朝』のお仕事の一つなのだ。
「あぁ、ほら、目の毒ですから……」
 マヨイさまが、ずり落ちた私の寝る時に着る服を直してくれた。

「……?起きたら布団を直さなければいけないので」
「女性がみだりに肌を見せてはいけないのですよ」
「……?みだり?めのどく?なんですか?」

 私には、記憶がない。自分に関する事はともかく、生活に必要な知識や言語も全て全て、忘れてしまった。
 マヨイさまが前に教えてくれたから、自分がどうしてこうなったのかは分かったけれど、全部わかっているかは、私にもよくわからない。
 でも、山奥のお屋敷でこうして色々と教わりながらゆっくり暮らしているのは、全部全部、マヨイさまのおかげなのだ。

「ふふ、目の毒、というのは見ると良くないもの、見ると欲しくなるもの、という意味です。みだりに、はやたらと、という意味ですが…そうですね。やたらと、の説明もしないといけませんね……」
「『目の毒』は、見ると良くない……マヨイさまにとって、私の夜寝る服がずれるのは、見ると良くないものだったのですね。申し訳ありませんでした」

 『悪いことをしたら頭を下げる』。それを実行すると、マヨイさまは『くすぐったい』みたいに笑った。

「違いますよぉ。どちらかと言うと、2個目の理由です」
「『見ると欲しくなるもの』。マヨイさま、この服欲しいですか?」
「夜着る服は『寝巻き』と言いますよ。……いえ、そうではないのですが……忘れてください」
「はい」

 マヨイさまが困ったように笑ったので、私は『目の毒』という言葉がわかるようになるまで忘れることにした。『新しく覚えた言葉』は、ちゃんと意味がわからないと使ってはいけないのだ。

「わかりました。そろそろ着替えてご飯を食べます」
「そうですね。そうしましょう。はい、今日着る服はどれですか?」

 私はタンスから黒いワンピースと白いエプロンを持ってきて、それをマヨイさまに渡す。

「あなたはこれが好きですねぇ」
「これが一番『しっくり』くるんです」
「……そうですか」

 マヨイさまが困ったように笑ったので、これは言わない方がいいのかもしれない。
 でもこの服は、私の中ですごく『心に残る』品物なのだ。

「ではご飯にしましょうねぇ。今日は卵とサラダと……」
「パンは私が焼くです!」
「ふふ、焼きます、ですよ。ではお願いしましょう」

 着替えて、私とマヨイさまは部屋を出た。今日も沢山言葉を覚えて、少しでも昔のことを思い出せたらいい。
 そうしたら、なぜ私はマヨイさまと二人で山奥にいるのか、きっとわかるはずだ。


 記憶どころか知識の全てを失った私が私でいられるのは、全てはマヨイさまが教えてくれたから。私はマヨイさまの屋敷でメイドをしていて、ある日階段から落ちて頭を打ってしまった。それからは、引っ越しをしたマヨイさまにそのまま付いてここへ来た。
 私にとってはそれだけあれば十分だ。それだけあれば生きられる。マヨイさまが優しく笑ってくれるなら生きられるのだ。
 マヨイさまに抱きつく時にする、ドクンドクンという不思議な音は私からはしないし、腕と脚と胸には不思議な模様の焼け焦げ跡があるけれど、何も怖いことはない。


「今日は朝食を終えたら少し外を散歩しましょうねぇ。植えた花のお世話をしなくては……」
「はい。『じょうろ』とお水と『バケツ』が必要です」
「そうですねぇ。日に焼けないように麦わらの帽子も持っていきましょう」
「むぎわら」
「草の名前ですよ。藁のことです」

 あぁ!なんと幸福で哀れな世界!



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