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泉とプライベート握手会
2024/03/19 20:34

 外れた。

 何がなど聞く必要性すら感じない。外れたのである。人気絶頂のアイドルKnightsの握手会に、見事に外れてしまった。新曲CDに付いてくる先行抽選はもとより、一般選考ももちろん落ちた。倍率は恐ろしい数字だっただろうし、私よりCDを積んだにも関わらず外れた人だってこの世には沢山いるのだ。でも悔しいし悲しい。なにせアイドルの瀬名くんに笑いかけてもらって、握手してもらって、綺麗な形の瞳に真っ直ぐに見つめてもらう時間が、砂塵と化したのである。

「無理……無理無理」

 あまりのショックにスマホを持ったまま一人ソファに突っ伏していると、そっと上から後頭部を撫でられる気配がした。ああそういえば彼が家に来てるんだった。とそこでようやく彼の存在を思い出したけれど、とにかく私は自分に余裕がなかった。でも彼の心配そうな声が聞こえた時、ようやく我に返ったのである。

「なぁに、どうしたの?大丈夫?」
「泉くん……」

 寝返りを打つように体勢を変えて上を向けば、私の様子を心配そうに見つめる彼の泉くんと目があった。その目を見て、私はぎゅっと目を細める。

「具合悪いの?」
「ちがう。外れたの。握手会」

 ここで泉くんは察したのだろう。途端に眉間の皺を深くしながら、それでも一応、という具合で聞いてきた。

「……誰の」
「Knightsの」
「……」

 泉くんの、無言の「バカじゃないの?」が聞こえる。聞こえるけど今の私には無意味だ。例え彼の泉くんが馬鹿にしようとも、アイドル瀬名泉と握手したかったのだ。私は。そして彼の無言はもちろん、私がKnightsでは瀬名泉推しであることを自覚した上のそれだ。なかなかに自信家である。

「あのさぁ、これ言っても無駄だと思うけど、あんた握手くらいならいつでも出来るでしょお?」
「私の泉くんはKnightsの衣装を着て私をお姫様扱いしてくれない」
「……」

 本当にこいつばかだよねぇ。という泉くんの心の声が聞こえるが無視だ。知らない。何を言われようと私はアイドルの瀬名泉くんにお姫様扱いされながら握手されたかった。
 すると深い深いため息を吐いた泉くんが、小さくわかったと呟いた。私は彼の方を見る。泉くんは髪をかき上げると、立ち上がって私を見下ろした。

「今日だけ特別だからねぇ」
「えっなに、」
「着替えてきな。ここで握手会やってあげる」
「えっ?!」
「衣装はないけどねぇ。俺は何着ててもかっこいいでしょ?」
「は、はい」
「よし、準備しな。そんなダサい部屋着で俺と握手する気?」
「しません。1時間ほどお待ちください」
「長っ。まぁいいよ」

 それからの私の行動は早かった。急いで部屋着を脱ぎ、シャワーを浴びる。服は握手会が当たったつもりで買っておいた新品のスカートを下ろして、メイクはベースからきちんと作る。コンシーラーも部分別に分けて使って、ハイライトはぎギラギラしすぎないように。結果、普段よりも顔の輪郭が濃くなった私が出来上がった。トータルで見てほしいから靴こそ諦めたけど無意味に鞄も持ち、リビングにいるであろう泉くん、もとい瀬名くんに声をかける。

「じゅじゅ、準備出来ました」
「いいよ」

 律儀に閉まっている部屋への扉をそっと開けて中を見ると、律儀にダイニングテーブルを移動させて即席の握手会場が出来ていて、瀬名くんはそこに立っていた。そこで私は立ち止まる。先ほどまで部屋着だった彼はきちんとした服に着替えていて、髪をワックスでアレンジしてくれていた。ふわふわした髪を少し後ろに流しているのがとても新鮮である。

「あっあっあっ、その髪新曲ジャケの……」
「後ろが詰まっておりま〜す」
「は、はは、はい」

 本人に注意を受けながら、私は下ろしたてのワンピースで手汗をゴシゴシ拭くと瀬名くんの前に立って、そっと彼を見上げた。優しく細まった目はもはや美の暴力である。そのまま手を差し出されたので両手で握手をすると、温かい手がそっと私の両手を包んでくれた。

「あ、わわ、」
「今日は来てくれてありがとうお姫さま」
「ひゃい!」
「緊張してる?大丈夫」
「あ、あの、あの!新曲すごくよかったです!瀬名くんの歌声が大好きで!いや歌声だけじゃなくて!全部好きです!」
「ふふ、ありがとう嬉しい。すごく伝わったよ」

 そう言って最後にきゅっと強く手を握ってくれて、私の動悸も有頂天だ。もう叫び出したい。

「はいお時間です離れてください」
「あ、あぁ、」

 セルフで剥がしのスタッフもこなす瀬名くんと手を離し、私は一旦部屋から出た。
すごい。アイドル瀬名泉、めちゃくちゃ騎士さまだった。お姫さま扱いってすごい。

「おつかれ〜」

 扉の前に座り込んでいると、瀬名くんがしれっとアイドルモードを解除して私を呼びに来た。ニンマリ笑って楽しそうな声で言う。

「どうだった?お、ひ、め、さま」
「アイドル瀬名泉やばい」
「ゴミクズの語彙力でどうも」

 ほら、と私を立たせる為に掴んでくれた手はもう彼氏の泉くんで、なんだかホッとしたような残念なような不思議な感覚である。けれど1時間かけておめかしした価値は確実にあったと断言できる。私は彼にありがとうと深くお礼をすると、どこか自慢げな泉くんは戯れ心が出たのか、突然こんな事を言い出した。

「ねぇ俺も握手会やりたい」
「えっ?なに?」
「だからぁ、今度は俺がお姫さまやるからあんたが握手会開いてよ」
「な、なんで」
「あんたばっかりいい思いしてずるいから。ほら早く準備して」

 そう言うと泉くんはひらりと踵を返し、リビングを出て行ってしまった。一方私は何をどうしていいかわからず、でもとりあえず先ほどの泉くんの立ち位置に行く。そのまま所在なさげに扉の方を見ていると、握手する側の私よりも自信満々な顔の泉くんがバーンと会場に姿を現した。そうしてそのまま私の前にさっさと来てにっこり笑うので、うっかり見惚れそうになるのをなんとか堪えて彼の手を両手で包んだ。

「こっ、こんにちは。今日は来てくれてありがとうございます!」
「写真集見ました。どの写真もすごく可愛かったです」
「えっ?!写真集?!」

 突然変化球のアドリブをされて慌てる私を、泉くんはそれはもうニコニコと楽しんで見ている。負けてたまるかと私も彼にゴミクズの語彙力と言われた頭をフル回転させて答える。

「あ、ありがとうございます!思い切って脱いでよかったです!初めてのヌード写真集なので、張り切りました!」
「……」

 そう来るか、と目を細める泉くんに何故か少し溜飲が下がる。すると負けず嫌いの泉くんは、握手したままの手をそっと引いた。腕につられるように私もつい軽く前につんのめる。すると泉くんは彼の前に晒された私の手首に頬を一度寄せてから、ちゅっと音を立ててキスをした。泉くんの頬の柔らかい肌の感触の後、もっと柔らかくて甘い気配に、思わず背筋を電流が走る。驚いて目を丸くしたまま固まる私に、泉くんはほとんど真顔で呟いた。

「例え妄想でもヌード写真集売ってる設定になんてしないで」
「な、なんで」

 わざとそう言った。泉くんも勿論そんなの心得ているだろうけれど、あえて彼は言ってくれる人だから。

「そういう写真を他のやつが構えるカメラの前で撮ったって時点で普通に嫌だから。あんたのことそこまで知ってる男は俺だけでいいの」
「う、うん」

 妄想なんだけどね。と言うほど私も野暮ではないし、先ほどからわざと頬や唇ではなく、あえて握手をした手を握り返して手首にキスをしてくる泉くんがもどかしい。柔らかい唇の感触がいつもと少し違う風に伝わってくるのが、何故だかものすごく恥ずかしいのだ。

「もうごっこ遊びやめよ。あんたは満足したでしょ」
「うん。ありがと、う」

 遊ばれるように、舌先で手首の血管の辺りを突かれる。普段あまり触らない部分に思わず肩を跳ねさせれば、先ほどのアイドルと同じ人物とはおよそ思えないほどギラギラした目の泉くんと目が合った。

「俺はまだ満足してないけどねぇ」

 つい私も。と呟いて泉くんに抱きつくと、彼は一度私をぎゅっと強く抱きしめ返した後、足早にリビングのカーテンを閉めて戻ってきては珍しく早急にソファに押し倒してきた。
 お風呂入ったしちょうどいいか。なんて考える私も私である。



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