TOP > 更新履歴 > 記事 こはくと座敷牢で房中術指南 2024/03/19 20:46 一から仕込まなあかん。と呟いた母はにっこり微笑んで、ほなうちとこにちょうどええのがおるわ。とにんまり笑ったのは叔母さんではなくもっと遠い、いとこ叔母と呼ばれる類の親戚のおばさんだった。どちらの視線も私に向かって少しの悦楽と少しの悪意を放っていて、私は微かに身を震わせる。朱桜の一族の末端中の末端である私も、とうとう役目を任せられる年齢になってしまったのだ。 女子である私が任せられる仕事は特に重要かつ、鍛錬が必要である房中術、俗世間的に言えば色仕掛けである。けれどこれは女性にしか出来ないもので、加えて私の家の若い女は私1人だった。もっと朱桜に近い家ならば姉さんが複数人いらっしゃるらしいけれど、こういった仕事は朱桜に近い分家には回ってこない。あちら方は家を繋ぐのも役目の一つだから、どこぞの知らない男を孕む可能性がある仕事はしないのだ。 「ええか。花街の女はもっともっと、沢山の男相手してんねん。あんたはそうやない。それだけ幸せなことと思わなあかん」 何言ってんの。と思った。いつから私は女郎になったのか。と言い出しそうな口をどうにか閉じて、私は静かに頷いた。この家に生まれた時点でもう終着点に立っているのだから、騒いだって仕方ない。 「ちょうど、桜河の家に年頃の近うてええ指南役がおるさかい。あんた、暫くお世話になり」 はい。と一つ返事をして、大した荷物も持たずに私は桜河の家に行くことになった。少し事情があるらしい桜河の長男の話は決して表には出してはいけないらしい。私は深夜にこっそりと、かの家に来るとすぐに屋敷の奥に通された。そこで思わず目を剥く。 「よろしゅうな」 短い挨拶をした桜河のご長男は、なんと座敷牢の中にいた。さすがにそれは想像していなくて私は後ろを振り返る。気づくとここに私を連れてきた案内役の人はいなくなっていた。 「あの、桜河こはく様、ですか」 「せや。ぬしが指南受けに来た子ぉやね」 「はい」 こんな湿っぽい所ですまんなぁ。と軽く言ったこはく様は、随分と牢の中に慣れているようだった。私はひたすらに目が泳ぐ。事情があるとは聞いていた。しかし「少し」と言っていたではないか。これは決して「少し」ではない。 「御指南、よろしくお願い致します」 わざと硬い口調で言えば、こはく様は「ええよ」と手をひらひら振った。 「緊張せんでええし、堅苦しくする必要もあらへん。ぬしはんとわしは同じ朱桜を守る家の子じゃ。上も下もあらへん」 そう言って柔らかく笑ったこはく様に、私は思わず顔を赤くして俯いた。全然男性に慣れていないのに、果たして房中術なんて習得できるのだろうかと、自分でも心配になってしまう。 「でも、」 しかしこはく様は、目線を不意に強くした。意志の強い藤色の瞳は、微かな殺気を滲ませる。 「指南はお遊びではやらへん。ついて来てもらわなわしも困るさかい。あんじょうきばりや」 「はい」 そこからは早急に、こはく様の指南は始まった。まずは男という生き物についてよく知らない私に、自分とは違う生き物だということを自覚しろと彼は言った。まずはじっと相手の体を見る。事前に本で学んだ通り、こはく様の身体は私と全然違う。着物を着ていてもわかるくらい、骨を覆う肉の質も違うようだった。私は無意識に自分の腕を掴む。鍛錬している分同年代の女の子よりも筋肉質かもしれないけれど、それでもこはく様の肩の輪郭や腕の線に比べたら脂肪の多い腕だ。 「そんな、生まれて初めて男を見たような顔せんでもええで」 「うちは父がもういないので」 「さよけ」 視線を斜め下に逸らしたこはく様のまつ毛が、音もなく翳った。 「触っても?」 「ええよ」 無意識に、自分からこはく様に触りたいと申し出た。全てはお役目を全うする為の術を身に付ける為だったけれど、それ以外にも純粋に興味が湧いたのだ。 私はそっと、彼の着物の袂に手を入れて、彼の鎖骨辺りを摩った。こはく様はどこか可愛らしい顔立ちなのに、肌の硬さや張りは私とは全然違った。自分でもわからないくらい心臓が高鳴り、頬が火照る。そんな私を、こはく様はじっと見つめてから静かに言った。 「始めよか」 「はい」 そうしてこはく様の指南は、衣擦れの音と座敷牢の格子の軋む音と共に始まったのだ。 艶事といっても、指南だ。こはく様は終ぞ私が上手くできなければ叱責したし、一歩間違えば危険である事を声を荒げて伝えてきた。房中術とは言っても桜の一族の伝えるそれは相手の精気で自身が不老になる、というものではない。いかに相手を籠絡させて、狙いを定めやすくするかの暗殺術の一手だ。だからどんな事をされてもその刹那に小刀を相手の急所に刺せなければ意味がないのだ。 「うぅ、いた、いたいぃ……」 「せや。こういう事をする奴は大抵痛がる姿に興奮する。そういう素振り見せながらさっさと締めて果てさせぇ。狙うなら果てた一瞬、その一点だけ狙え」 「はい」 私は右手でこはく様の背に手を回しつつ、左手には布団の下に隠した人差し指程の長さの小刀を取った。ついでに時機を見計らって強引に出した涙をほろほろ零しながら締めると、こはく様が小さく呻いた。その刹那、隠した小刀で喉元を掻き切る直前で手を止める。 「……まぁ、ええやろ。相手がわし以上の手練れやないなら死んどる」 「はい。ありがとうございました」 指南が終わると、こはく様は何にもなかったかのように私の上からどいた。その瞬間にぽたりと彼の汗が胸元に落ちるのがなんとなく扇情的で、私は思わず目を逸らす。指南とはいえ、まだこはく様しか知らない私は無意識に彼に惹かれていることに気付かないふりをしながら、桜河の人が持ってきた湯桶で手拭いを濡らして体を拭く。このまま何かの手違いでこはく様の子でも身籠ってしまいたいとほんの少しだけ考えて、そんな事は許されないと思い直す。 私が一通りの術を身につけたら、もうきっと、こはく様とは二度と肌を合わせるどころか、会うことも叶わないのだろう。こは様は本家の大お館様が亡くならないと外に出られないらしいので、それはいつになるかわからない。出してあげたいなんて大それたことは、考えない。 「もう今日はここで寝てってええよ。屋敷内も、見張り以外は寝てるやろ。朝になったら自室に戻ったらええ」 こはく様が時計を見ながら言った。既に時刻は日付を越えており、座敷牢の中はいつも以上に空気が沈んでいる。こはく様は指南の際に汚れた敷布をさっさと変えると、その上に寝転んだ。 「もう今日の指南は終わりやさかい。何もせんから、こっちにおいで」 「え、でも」 「ここ、布団がこれしかあらへん。夜は冷えるで」 そう言ってぽんぽんと自分の隣を叩くこはく様は、指南の時よりも目尻を甘くして笑っている。ついその誘惑に負けて隣に寝転ぶと、こはく様は私の肩を布団に入れてから、ゆっくり頭を撫でてくれた。 「こんな過酷な指南、大変やなぁ。辛いやろ」 「い、いいえ」 実際のところ、辛くはなかった。理由はどうあれ今の所は、こはく様だけにしか触れていないのだから。 「えらいなぁ。ええ子や」 「こはく様に、ご迷惑とお手数をかけてしまって……」 すみません。と小さな声で謝って、無意識に彼の着物を掴んだ。私はいい。けれどこはく様は好きでもない女を抱かなければいけないなんて、きっと辛いだろう。けれどこはく様はまた私の髪を弄ぶように撫でながら「かまへんよ」とくすぐったそうに笑った。 「こういうお仕事は、よくされるのですか?」 ずっと聞きたかったことを、私は勢いで聞いてみた。座敷牢の中、この布団の上でこはく様は一体何人の女の子に指南をしたのだろう。けれどそんなこと、指南の最中は聞けるはずもなかった。叱責覚悟で呟けば、こはく様はまたよしよしと私を撫でると温かい手で私の目元を覆う。すると途端に強い眠気に襲われて、私は意志に反して意識を手放した。 「……こんなお役目、そうそう受けるわけあらへんやろ」 こはくは小さな声で呟いて、深い寝息を立てる少女を見た。自分とはまた違う角度で悲しい家の定めに巻き込まれている遠縁の少女が哀れで、愛おしさすら感じる。 指南の際は情を含ませてはいけない。今の彼女ならこはくの微細な感情の動きも、きっと読み取ってしまうだろう。それだけ床の上では、どんなに隠しても無防備になる瞬間が生まれるものだ。 こはくは仰向けに寝返りを打った少女のはだけた浴衣を、襟元をかき合わせるように直そうとして一度手を止めた。指南の最中、何度も口付ける彼女の肌の味は、既に舌に記憶してしまっている。いずれは忘れるべきものだけれど、今だけは。 「今だけは、わしのでええかな」 彼女が起きない声量で呟いてから、こはくは緩んだ襟の奥、彼女の胸元に二度三度と口付けた。唇よりも背徳感の増すその肌の味に、指南する側の自分が彼女の術中にいる事実をこはくはまざまざと実感するのだった。 [prev][next] [Back] |