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零の鬼パロ
2024/03/19 21:31

 鬼が出る。鬼が出る。悪い事をしたら、鬼が来て攫っていくよ。山の向こうの向こうに攫っていって、男は食われて、女は嫁にされて子を産ませられるんだ。
 鬼が出るよ。悪い事をすれば、ほら、鬼が来た。


「零ちゃん、いる?」

 私は家から抱えてきた鍋と包みを持って朔間の家の玄関を覗き込んだ。日光が苦手という体質を抱えた、陽が沈むまでは動きが鈍い兄弟の為に私はいつもの通り夕食を持ってきたのだ。
 彼らの両親は遠い外の国で働いているらしく、私が幼い頃から、朔間の兄弟はずっと二人で暮らしていた。それを不憫に思ったうちの両親が食事を手伝ったりする内に、私も彼らと仲良くなったのである。小さな頃から知っているから彼らをちゃん付けで呼ぶ癖が直らなくて凛月ちゃんには少し煩わしそうな目をされることもあるけれど、習慣というものがどうしても抜けない。

「お夕飯持ってきたけど…食べる?」
「おぉ…すまんのう。助かるぞい」

 家の中には兄の零ちゃんだけが気怠そうに寝転がっていた。ここの兄弟はあまり仲が良くないから(兄の零ちゃんは弟の凛月ちゃんが大好きだけれど)一緒にいる姿は見ない。けれどそれにしても、最近弟の凛月ちゃんを全く見ていない気がして、私は心配だった。

「ねぇ零ちゃん。最近凛月ちゃん見てない気がするんだけど、大丈夫?」

 有り体に言えば、彼が家出とかしてないかを心配した。けれど零ちゃんは同い年とは思えない鷹揚さで笑うと、手招きして私を家に上げた。

「ふむ。凛月にも一人になりたい時間が必要なんじゃろ。あんまり構いすぎると我輩嫌われちゃうからのう。そっとしておるのじゃ」

 もう十分嫌われているのでは。という横槍は入れないに限る。私はその言葉に対して雑に返事をすると、持ってきた包みを開いた。おむすびを3つずつと、鍋には野菜を煮たものが入っている。零ちゃんは鍋の蓋を開けてから、にこりと微笑んだ。

「おぉ。美味しそうじゃのう。ごちそう様」
「これ凛月ちゃんの分ね。今日の内に帰ってきたら食べさせてあげてね。凛月ちゃんいつも食が細すぎるんだから」
「もちろんじゃよ、ありがとう。茶でも飲んでいくか?」
「うん」

 そう言いながら私は席を立つと台所でお湯を沸かし始めた。まだ陽が完全に落ちていないのに零ちゃんを台所に立たせると確実にお湯をこぼしたりと大惨事になるので、私がやる方が早いのだ。

「はいどうぞ」
「ありがとう」

 囲炉裏を挟んで、お茶を飲んだ。私の家で飲むよりも何倍もいいお茶っ葉を使っているのか、香りが全然違う。

「あぁ〜、零ちゃん家のお茶、やっぱり美味しい…」
「よければ少し持っていくか?」
「いい、いい。ここで飲んで行くのが贅沢だから」

 姉たちには勿体ないもん。と言うと、零ちゃんはくすぐったそうに笑った。私には隙を見せてくれる彼が私は大好きで、ついついあれこれ世話を焼いてしまうのだ。
 私にも、そのうち縁談がくる。きっとその相手は、零ちゃんではないだろう。そんな日が来ない事を願いながら、私はこうして彼らのお節介を焼く日々なのだ。

「そろそろ暗くなるから帰るね」
「外は危ないから送っていくぞい。最近狼が出るって言うしのう」
「大丈夫。一本道だもん」

 まだ陽が落ち切っていない外は彼にとって酷だろうと思って、私は零ちゃんの申し出を断ると、鍋を受け取りに来る約束だけして彼らの家を出た。朔間の家は村から外れた所にあるけれど、私の家からはそこまで遠くない。少し冷たい風が吹く中、私は家に帰るべく草鞋を引きずって歩いた。
 しかしふと、妙な気配を感じた。妙な視線を感じた。
思わず振り返る。視線は山から感じる。村とは逆の方向、鬼が出ると恐れられている山。行くのは止めた方がいい。危ない。山賊の視線かもしれない。

 そう思っているのに、私はその視線から、気配から逃げる術を忘れたかのように山の方へと自然に向かう足を止める事ができなかった。ふらふらとした足取りで、出てきたはずの朔間の家を通り過ぎ、山の麓へと向かう。
 ぶわ、と生臭い匂いがした。嗅いだことのあるような、無いような、嫌な匂い。あぁ、わかった。これ、血の匂いだ。 
 そう思う間もなく、『それ』と目があった。紅い瞳。零ちゃんとよく似た色の、けれど全く似つかわしくない、爛々とした紅。

「凛月、ちゃん…?」

 譫言のように言いながら近づくと、より血の匂いが近づいた。山の麓の隅、私の足元に広がる血溜まり。その中に、凛月ちゃんはいた。
 周囲には狼が数匹、二度と動かない姿で転がっていた。その中で凛月ちゃんは、狼の血を口元に付けて爛々と目を光らせてこちらを見ていた。

鬼が来るよ。悪い子の所には、鬼が来るよ。鬼が来て、血を全部啜って、肉を全部喰らっていくよ

 凛月ちゃんの食が細い理由がここでようやく理解できた。鬼には、人間の食事なんて口に合わなかったのだ。
 そう頭が理解した瞬間、プツンと何かが切れるように視界が真っ暗になった。足の力が抜けて、そこへ倒れ込む。転がっていた石に頭をぶつけたのか、すごく頭が痛かった。

「…見られた」
 凛月ちゃんの声が小さく遠く、聞こえた気がした。

 目が覚めた。重たい体を動かして周囲を見る。気がつくと私は見知らぬ家の中にいた。

「え、ここ、どこ…」

 慌てて体を起こす。そこで頭をぶつけた事を思い出して、そっとそこに触れた。包帯が巻いてある。

「なに…?」
「目が覚めたかの。よかった」

 耳慣れた声がして、私はそちらを向いた。そこには零ちゃんがいた。零ちゃんがいたけど、
 私が知っている零ちゃんではなかった。

「れ、れい、ちゃん…?」
「そうじゃよ。どうした?頭、痛いのかのう?」

 見慣れない着物を着て、怖い怖い雰囲気を纏った零ちゃんは、しゃがみ込んだ狼に寄り掛かって盃に口を付けていた。狼はブルブルと震えて、まるで零ちゃんを怖がって怯えているようだった。
それに、お酒。苦手って言ってたのに。

「ここ、どこ…?私どうしたの?」
「……凛月を見たの、覚えておるか?」
「凛月ちゃん…」

 そう言われてハッとした。そうだ。私は見た。凛月ちゃんが狼の血をすすっている所を見た。

「……鬼、なの?零ちゃんも、凛月ちゃんも」
「賢いな」
「凛月ちゃんが家にいなかったのは、いつもお腹が空いていたから?人間の食事じゃお腹は膨れない、から?」
「最近凛月は特に鬼の力が強くなり始めだったからのう。飢えて飢えて仕方なかったんじゃよ。許してあげておくれ」
「零ちゃんは…?あなたはどうして、いつも、私の食事…」

 恐怖から震える声でそう呟けば、零ちゃんは私の知らない顔で笑った。

「妻になる女の食事は食べたいものじゃからな。それは人間も鬼も変わらないんじゃよ」

 予定は少し狂ったがのう。そう言って、零ちゃんがゆっくりと立ち上がった。床板の軋む音に、私はビクリと肩を揺らす。

「怖がらんでおくれ。鬼とはいえ、恋もする。劣情も催す。睡眠欲もあるし、食欲もある。人と、同じなんじゃよ」

 嘘。違うじゃない。人間は狼の血でお腹を満たしたりしないもの。

「見られたからには人里へ降りてもらうわけにはいかない。おぬしには我輩の妻になってもらう」

 耳を疑う言葉。信じられない、と言った風に顔を上げれば、無理やり口を塞がれた。零ちゃんの舌越しに、熱い感覚が流れ込んでくる。きっとさっき盃で飲んでいたお酒だ。

「三三九度とはいかぬが…契りの酒じゃな」

 そんなに蕩けた顔をしないで欲しい。錯覚しそうになる。私が鬼としての食事をする凛月ちゃんを見たから、貴方は凛月ちゃんを庇ってこんな事をしているんでしょう。目から、自然に涙が零れ落ちた。まるで日常を落っことしたかのようにポロポロ零れる涙を、零ちゃんが着物の袖で拭う。

「今宵は初夜になる。我ら鬼にとって、妻との初の宵は最も大切なものなんじゃよ。あぁ、早く日が落ちればいいのう…」

 気がつけば、外から明るい気配がしている。彼らが苦手な朝日が昇り始めているのだ。
 逃げなければ。逃げないといつか絶対に、殺される。そう思うのに、零ちゃんの人間としての顔がチラつく。
 呑まれた方が楽だろうか。自身も心に鬼を棲まわせて彼の妻として彼の子を、鬼の子を産む方が楽だろうか。
 愛した人の子を産む事は、幸福な事だ。それがたとえ、鬼の子だとしても。

 その日、太陽が落ちるまで私はそう自分に言い聞かせた。逃げればよかったのに。口では逃がさないと言っていたけれど、きっと優しい彼は私が逃げても追ってこないのに。
 それでも私は、粗雑な三三九度を受けたのだから、彼の妻になる事を選んだのだった。



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