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茨が主人なメイドパロ/湿度高め
2024/08/09 22:55

 私がメイドを勤めるお屋敷の主人である七種茨さまは、若くして大きな屋敷を持つ資産家だった。縁戚から受け継いだという小さな会社をあっという間に大企業へと成長させた彼の手腕はさることながら、容姿端麗なその姿を世の女性たちが放っておくはずもなく結婚適齢期に差し掛かった旦那さまには凄まじい量の縁談が舞い込む……と思いきや、そうでもなかった。

 なぜなら旦那さま、もとい茨さまはそういった件に関してとある負の噂を抱えたばかりなのだ。
 そう、彼はついこの間『婚約者に逃げられた男』なのである。

「茨さま。失礼いたします」

 コーヒーをトレイに乗せてノックをしてから部屋に入り、一礼して彼の机にコーヒーを置くと、茨さまは一度顔をあげて「あぁ」と声を漏らした。

「ありがとうございます。ちょうど喉が渇いた所でした」
「恐縮です」

 一礼して部屋を去ろうとすると、旦那さまは「ちょっと」と私に声をかけて足止めをした。くるりと振り返ると、重たい生地で出来たメイド服が気だるそうに揺れる。

「この書類、あと20分ほどでここに来る部下に渡してください。応接に通さず結構。急ぎの物なので玄関先で渡してください」
「はい」

 茨さまから大判サイズの封筒を受け取り、私はもう一度礼をして扉に手を掛ける。封筒は分厚くて、いかに茨さまがお忙しいかがわかる。

 そう、最近の茨さまはいつにも増して忙しい。なぜなら猛烈な勢いでお見合いをされているからである。ちなみに今日も1件お見合いの予定が入っているので急いで仕事の書類を部下の人に届けてもらう必要があるのだ。
 書類を大事にケースに仕舞い込み、私は当初の仕事に戻る。茨さまのお見合いは大体この屋敷内で行われるので、応接の間の花瓶に花を生けている最中だったのである。

 花用のはさみを握り、私は水を張ったたらいの中で薔薇の茎を切った。茨さまの情報によると今日いらっしゃるお嬢さまは薔薇の花が特にお好きとのことなのですぐに手配をした。今回のお見合いはうまくいけばいいと思う反面、なんとなくもやもやとした気持ちを抱える自分がいる。それもそうだ。もしお見合いがうまく行けば、そっくりそのままそのお嬢さまが奥さまになるのである。お噂を聞く限り、今日来る令嬢はかなりの浪費家でわがまま……否、天真爛漫と聞いている。

 けれど仕方ないと、私は花瓶周りの水気を綺麗に拭いてからため息を吐いた。茨さまは結婚を急いでいる。なぜなら、社交の場においては暗黙のルールで妻帯者の方が有利になる部分が多いのだ。なので当初、知り合いから紹介された令嬢を婚約関係を結んでいたはずなのに、いつのまにか婚約者の令嬢は茨さまの前から姿を消していた。

「さあ?自分と添い遂げる自信がなかったのでしょうな」

 茨さまはさほどダメージを受けた様子もなく淡々とおっしゃっていたが、それが答えだ。彼はきっと婚約者の令嬢を愛してなどいなかったのだろう。社交界で有利な立場になる為の駒以外の何者でもなく、それ以上でもそれ以下でもなかったのだ。結果、令嬢は庭師の男と逃げたと聞いたが、個人的には幸せに生きていて欲しいと願うばかりだ。『茨さまのせいで』『婚約者が逃げた』と世間に吹聴し彼女を攻めるような情報を流さなかった辺り、当初の令嬢はそこそこ茨さまに好かれていたのではとも思うが、もうその真相は藪の中だ。


 そうこうしていると茨さまの部下の方がいらしたので書類を渡し、私は厨房に今日のお見合いで出すお菓子の確認をしに行った。わがまま、もとい天真爛漫な今回のお見合い相手はメロンを使ったケーキが大変お好みだというのでシェフに頼んで作ってもらいながら、私は再度茨さまの部屋を訪ねる。

 ノックを三回して、彼の声が聞こえてから名前を名乗る。部屋に入ると、茨さまが着替えをしている最中だった。あとはネクタイを締め、ジャケットのボタンを留めるだけのようだ。立ち姿を見ると、とてもお見合いを断られ続けている人には見えない。

「書類、お渡し致しました。応接の準備も完了、厨房の確認も終えております」
「ありがとうございます。お茶はディンブラでお願いします。彼女は紅茶はそれしか飲まないそうですので」
「はい。準備済みです」
「いつも助かります」

 茨さまなりの最大の賛辞をもらい、私は頭を下げて返礼とする。彼はよく人を褒めるけれど、大体はその先にある別の目的の為の第一手として相手を褒めるだけだ。助かった、という彼自身が抱いた感想に近い礼は珍しい。私はなんとなく、彼が会話を欲しがっているような気がしたので、ゆっくり口を開いてみた。

「……本日のお見合い、うまくいくとよいですね」

 当たり障りないことを言ったつもりだったけれど、茨さまは一拍置くように黙ってから、少し目線を細めて呟いた。

「身近に優秀な人材がいますので、その人が頷いてくれれば見合いなどする必要もなく、話が早いのですがね」
「……」

 失敗した、と思いつつ私は重たいスカートをまた揺らす。茨さまがネクタイを渡してきたので、近づいて彼の首に回した。一気に距離が近くなったからか、声音が先ほどより囁くようなトーンになる。思わすドキリをしながらも、慣れた指先は素早く丁寧に彼のネクタイを締めた。いつもと違う香水の香りは、きっと彼なりの反抗心だ。

「そもそも当初の婚約者が逃げたのも、彼女にも責がないとは言い難い。なのに当の本人は素知らぬ振りを見せ続けるので、俺はわがまま女と見合いする羽目になろうとしているのですが」
「……申し訳、ありません」
「おや?なぜあなたが謝るのですか?俺の話の中の彼女が、自分だという自覚がおありで?」

 私は唇を噛んで、締め終わったネクタイから手を離した。が、その瞬間一気に腰を引き寄せられて、そのまま後頭部を掴まれた。反射的に目を閉じたのがいけなかった。まるで口づけされるのを受け入れてしまったようである。二度、三度と角度を変えて口づけをされてからようやく抵抗する力が手に戻り、私は彼を引き離した。

 これから他の女性と見合いをする男からの口づけが、心地よいわけなどない。

「戯れはこれで、」
「おやめください、と?どの口が?」

 苛立つような口振りでそう言った茨さまの声に重なるように、玄関のベルが鳴った。お見合い相手がいらっしゃったのだろう。

「さて、今日の見合いはどうなることでしょうね。俺はいつものように相手に提案するだけですが」

 では。と部屋を去る茨さまの背中が何を言いたいのかもわかっている。わかっているけれど、臆病な私はどうしてもその背中を追うことなど出来なかった。


「あぁ、婚姻に際して一つだけどうしてもお許しいただきたいことが」

 茨さまはお見合いの最後、必ず令嬢たちにこう断りを入れる。彼の美しい容貌や一見穏やかな物腰にすっかり茨さまを気に入った令嬢は、身を乗り出すように聞くことだろう。なになに?なんでも言って!と。すると茨さまは笑顔でこう言うのだ。

「自分は忘れられない女性がいますけれどそれでもよろしいですか?あぁ、それと自分の生活の世話は専属のメイドがおりまして、その者に仕事の面もサポートさせています。あなたよりもメイドと時間を共にする方が長くなるでしょうが、構いませんか?」

 色好いお返事をお待ちしています。と茨さまは言う。そして賢い令嬢ならばすぐに察して、縁談を断っていくのだ。由緒正しい賢いご令嬢が、自分はメイドよりも格下だと言われ、侮辱だと取らない人はいないだろう。 そうして段々と賢い女性たちから断られ続け、とうとう茨さまの容姿にしか興味がないような、茨さまの言葉の真意に気が付かないような女性とお見合いを始めた。完全に、私への当てつけだった。私が「そんなバカな女と結婚するくらいなら茨さまからのプロポーズをお受けします」と言ってくるのを、笑いながら待っているのだろう。
 


 元々の婚約者は茨さまに嫌気が差して逃げたのではない。庭師と一緒になりたかった婚約者と、メイドを自分のものにしようとした茨さまが意気投合して、そういう風にでっち上げたのだ。ついでに彼からの求婚を否定する私に罪悪感を植え付ければ上々だ、という次第である。
 
 茨さまが愛しているのが私自身なのか、はたまた私の能力なのかがわからなくて否定をし続けているこの時間が大変不毛であることはわかっている。私は彼をもう放っておけないことも自覚している。

 子どもみたいな当てつけの愛情表現ではなく、先ほどわざと私に命じて花瓶に生けさせた他の女の為の薔薇の花を引き抜いて、心の底から跪いて懇願してくれればいい。それだけなのに、彼はそこがわからないのだ。



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