TOP > 更新履歴 > 記事 ジュンの誕生日を祝うコズプロスタッフ 2024/08/09 23:01 「あっ、漣くん!」 不意に声をかけられて振り返ると、声の主を予想した通りの人がそこに立ってこちらに手を振っていた。外から帰ってきたのか手に持ったハンカチで自身を仰いでいる。彼女の首をつつ、と汗が一筋伝ったのが見えて不覚にもドキリとしながらも、彼女に数歩近づいた。彼女はコズプロのスタッフなので、何か仕事の用事だろう。 「お疲れさまです。なんですか?」 平静を装って返事をしたつもりだけれど、声が少しうわずった気がして恥ずかしい。彼女に声をかけられるとまるで飼い主に褒められる犬のように喜んでしまう自分がいる。もし尻尾があったら、ブンブンと大げさに振ってしまっているだろう。 すると彼女は先程伝っていた首筋の汗を手にしたハンカチで拭きながら、外の日差しにも負けない明るい笑顔をくれた。 「お誕生日おめでとう!直接言えてよかった〜!」 「あ、ありがとうございます……!」 「これからバースデーイベントだし、夜は皆さんでパーティーだから言える機会ないかなと思ってたんだけどよかったです。引き止めてすみません」 ぱちぱちと小さな音で拍手をする仕草をしながら、彼女はいつもの優しい声音で言う。その声が好きだけれど、もちろんそんな事は言えるわけもない。ハンカチを持っているせいで拍手の音はその布に吸い込まれ、パフパフと情けない音を立てた。 「いや、……嬉しいです。すごく」 「準備は裏方に任せて思い切り楽しんでくださいね!」 ハンカチごと手を振りながら、彼女はオフィスへと戻って行った。こちらにも聞こえるくらいの声量で「副所長、オードブルの納品もう少し早めていいですか?!」などと言っている。自分を祝う為に沢山の人が動いてくれるのが嬉しくて、ジュンは一人小さく拳を握った。これから軽くシャワーを浴びてからバースデーイベントだ。誕生日は毎度どの事務所のアイドルも盛大に祝ってきたのを見ているので、楽しみである。 誕生日を純粋に楽しめているのは、きっとここ1.2年のことだろう。なんの疑問も持たず、ただひたすらに産まれてきた事を感謝される日。そんな日が来るとは、きっと路地裏の野良犬だった頃からしたら予想すらしていなかった。 いろんな人に愛されている事を実感して、ますます体に力が湧く。それと同時に、先程の彼女がくれたハンカチごしのパフパフとかわいらしい音をさせた拍手が、全身に響いている。 1分にも満たない会話だったというのに、緊張で服の下は汗でびっしょりだった。誕生日を覚えていてくれた、と言えば都合がいいほどに彼女は自分の誕生日イベントの運営に携わっているが、それでもわざわざジュンを見かけて声をかけ、忙しいのに直接祝ってくれたのが本当に嬉しかった。祝いの言葉に優劣や順位なんてつけられるものではないけれど、特別の中の一個として、いつまでもしまっておきたくなる。 仕事とはいえ暑い中汗をかきながら自分のために奔走してくれているのが、不謹慎ながらなんともいえない恍惚感を呼び寄せた。 「そういや、いつなんだろ……」 シャワーを浴びながら、不意にジュンは彼女の誕生日が気になった。べつに恋人でもないのだから個別でお祝いをするわけでもないが、おめでとうは言いたい。普段よりぬるめの湯を浴びながら逡巡し、グリグリと首を振る。彼女に直接聞くのはまだ難しい。実はそこまで深い会話なんてしたことはないのだ。なんとなく目で追って、なんとなくそこから目が離せなくなっただけなのだから、突然誕生日なんて聞いたら気味悪がられるかもしれない。 シャワー室から出て、身体を拭いてから服を着る。髪を拭きながらふとEdenの他のメンバーならどうやって彼女の誕生日を聞くかをなんとなく想像した。 日和や凪砂ならきっと空気の読めない場面で突然聞いても違和感がないだろう。その場の勢いで彼女も答えてくれそうだ。茨は従業員の細かいデータも頭に入れているので、直属の部下である彼女の誕生日なら既に知っている可能性が高い。 「……」 Edenの中では自分が一番、誕生日なんて突然聞いたら驚かれるポジションにいる事に気がついてズンと肩を落とした。今だけは日和や凪砂のキャラクターがほんの少しだけ羨ましい。なりたくはないけれど羨みたくもなる。 「茨、教えてくんねぇかな……」 ドライヤーで髪を乾かしながら安易な考えでそう思ったけれど、自身が教えてもいない人間から突如誕生日にお祝いの言葉なんてもらったら気持ち悪いだろうという答えにたどり着いた。悪手にも程がある、と考えを改める。 髪を乾かすまで。それまではうんうん唸ってあれでもないこれでもないと思考を巡らせて、髪が乾いたらそこからはバースデーイベントの事だけを考えることにした。 「漣くんお疲れ様でした。バースデーイベントとてもよかったです!」 そんなジュンに、予期せぬ幸運は降りてきた。夜に行われたジュンの誕生会に彼女が駆り出されていたのだ。そういえば昼間にオードブルが、などと茨に報告していた気がする。まさか彼女がいてくれるなんて思わずに、ジュンは背中にだらだらと汗をかいた。もちろん緊張からくるものである。 「ありがとうございます。ファンの人達にも楽しんでもらえてよかったですよぉ〜」 なるべく平静を装って、ジュンは彼女からのジュースの酌を受けた。パチパチと弾ける炭酸が透明なプラスチックカップの中で元気に跳ねている。 「スタッフなのに参加させてもらっちゃってすみません」 そう言って申し訳なさそうに肩を落とす彼女にジュンは首を振った。首を振って、勇気を振り絞る。 「いや、嬉しい、嬉しいです!参加してくれて!」 その時、ふと視界の端に茨が映った。彼のニタリとした笑みを見て、ジュンは納得した。バレている。自分の気持ちがバレている。自分以外のよりにもよって厄介な相手に。 しかし目の前の彼女はホッとしたように笑って「よかった〜皆さんのお邪魔になったらどうしようかと思って」なんて言うから、控えめでいじらしいその態度に今度は全身から汗が止まらない。今だ。言え。今なら言える!とジュンは己を奮い立たせた。 「あっあの!」 「はい」 「たっ、誕生日、いつですか?!」 ぽかんとする彼女、吹き出す茨。硬直するジュンの思考。しかし彼女は少し笑って、365日の内の特別な1日を、そっと教えてくれた。 [prev][next] [Back] |