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泉がマーキング
2024/08/09 23:04

「突然連絡もなしに来てそれはないんじゃない……?」
「いいから入れて」

 傲慢だ。私は一度振り返って部屋の方を見てから、玄関先で逆光を浴びていつもよりいっそう眩しい泉くんを見た。しかめっ面の彼が海外から帰ってくるなりノーアポで来るのはこれで三度目である。以前は逐一連絡をくれたのにどうしたというのだろう。

「私今起きたから何もしてないの」
「うん」
「出来れば一時間くらい猶予がほしいの」
「日焼けするから早く入れて」

 全然伝わらなかった。遠回しに一旦帰ってくれって言ったつもりだったんだけど、彼は完全無視で玄関に入ってくる。諦めて、私は彼を家に通した。最近は私も忙しくて今日一気に掃除や洗濯をしようと思っていたので部屋は汚いままだ。とりあえず、と換気するべく窓を開けたら泉くんが不意に私の腕をぐいと引っ張ってからカーテンを閉めた。

「な、なに」
「あんた下着着けてないでしょ。なのに部屋の窓開けるとかどういう神経してんの」

 そういえば起き抜けの格好だったことを思い出す。ノーブラな上によれよれのTシャツと短パン姿だったのだが、正直一人の時はそこまで考えていなかった。

「ごめんごめん着替えてくるね」
「顔も洗って来な」
「は〜い」

 なるべく早めに身支度を終えて部屋に戻ると、泉くんが持ってきた袋からパンを取り出していた。キッチンではお湯を沸かしている気配がする。

「えっ朝ご飯買ってきてくれたの?」
「駅でだけどね」
「わ〜、パン屋さんのパン!うれしい!」

 ケトルで沸かしたお湯でインスタントコーヒーを淹れれば完璧な朝ご飯である。ありがたくいただくと、泉くんがちょっと笑いながらコーヒーを一口飲んだ。先ほどよりは大分機嫌がよさそうなので、私は思いきって聞いてみることにした。彼の行動は基本、彼なりの理由がちゃんとあるのだ。たとえほかの人が聞いたら理不尽な内容だとしても出来ることなら理解してあげたい。

「ねぇねぇなんで最近ノーアポで来るの?」
「……迷惑?」

 泉くんの形のよい眉が悲しそうに歪んだ。ちょっとびっくりして、私は首を横に振る。

「いや、そんなことはないんだけどさ、折角来てくれたのに私に予定があったりしたら悪いし、部屋も掃除出来てないから汚いし……」
「今日予定あるの?」
「ない」

 断言したら、泉くんが「やっぱり」という風に笑った。元々そこまで予定みっちりなタイプではないが、なんだか空しい。

「じゃあいいでしょ。掃除俺も手伝うし」
「えっいいよいいよ。折角帰ってきてるのにそんな、人の部屋の掃除に時間使わなくても」

 どっか買い物にでも行っててよ。と提案したが却下された。断固私の家事を手伝う気でいるみたいなので、私は観念してお願いすることにした。とりあえず洗濯機を回して掃除機が掛けられればいいだろうと思い、さっさと朝ご飯を終えると作業に取りかかる。

「洗濯機回すならこれ使ってみて。あんたこの匂い好きだと思う」


 そう言って彼が渡してくれたのは柔軟剤らしき小さなボトルだった。試しに嗅いでみると甘過ぎない香りが好みだ。

「あ、いい匂い。いいの?」
「あんたに渡そうと思って買ってきたの」
「ありがとう」

 遠慮なくそれを使って洗濯機を回してから、暫く無言で掃除をした。埃を払って掃除機を掛けて、消臭系のスプレーをカーテンなどの布物に掛ければもういいだろう。そうこうしている内に洗濯機が鳴ったので、浴室乾燥機で洗濯物を干す。柔軟剤が柔らかく香るのが心地よくて思わず胸いっぱいにそれを吸い込んで、私はようやく気が付いた。泉くんの使っている柔軟剤と同じ物な気がする。

「おそろいにしたかったのかな……」

 彼はたまに乙女のような可愛さを無意識に披露する部分があるので、それの延長線上のものだろうと納得した。そもそも私もその香りが気に入ったので後でどこに売っているのか教えてもらおうと思う。

「お待たせ泉くんありがとう〜って、あれ?」

 部屋に入って、ふわっとした香りにすぐ気が付いた。先ほどの柔軟剤とは違う、すっきりした香りが控えめに漂っている。よくみるとテレビボードの上に見覚えのないルームフレグランスが置いてあった。

「これ泉くん置いた?」
「置いた。あげる」

 当然、と言いたげな様子で彼はペットボトルの水を飲んだ。上下する喉仏は相変わらず芸術品のようである。

「なんかもらってばっかりでごめんね。ありがとう」
「気に入った?」
「うん、いい匂い。好き」

 率直にそう言うと、彼はパッと表情を明るくした。予想以上のリアクションに驚いていると手招きされたので近づいてみれば、そのまま思い切り抱きしめられる。家事をして汗をかいているのが恥ずかしかったので抵抗するべくちょっと暴れてみたけれど、ホールドは取れなかった。泉くんからは先ほど嗅いだのと同じ柔軟剤の香りがするけれど、どことなく違うのはきっと彼自身の匂いを混ざっているからだろう。

「ね、やっぱ泉くんに家事手伝わせるの悪いからさ、今度からまた前みたいに連絡くれる?ちゃんと掃除して綺麗にして待ってるから」

 私はやっぱりそこが譲れなくて優しい声で言ってみる。すると予想外に、彼は抱きしめる腕の力を強くした。締まる、というほどではないけれど少し苦しい上に、真意がわからない。思わず名前を呼べば、また少し寂しそうな声で彼は言った。

「じゃあ連絡はするから、家整えるの俺にもやらせてくれる?」
「なんで?」

 気恥ずかしいのかこちらを見ずに、私の肩口に顔を埋めながら彼は言った。

「柔軟剤もルームフレグランスも俺と同じ物なの。そうやって、勝手に安心したいだけ。ついでに掃除すれば一石二鳥でしょ」

 あぁ、それを言うのはきっとすごく勇気がいったんだろうなぁ。と、私は彼の頭をよしよしと撫でた。『ここ最近』連絡せずに来るようになったのは、最近距離に不安を感じていたからだと推測出来る。家事をすることでこの部屋に自分の存在を埋めておきたかったのだろう。要は粘着質なマーキングである。

「そうだね」

 でも私は世界一彼に甘いので、その行動はただのかわいいマーキングとしか思えないのである。



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