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巽と義妹のお屋敷パロ
2024/02/20 20:27

 血よりも濃い絆が欲しい。そう思い始めたのは、いったいいつ頃からの事だろうか。物心ついた時には遊郭の裏路地でうずくまって生きていた私は、そこらじゅうで枯葉のようにくず折れている女達を見ては、ふとそんな事を考えていた。血の赤なんて、体の外に出てしまえば色褪せて朽ち果てるものだと鼻で笑っては哀れな女たちを軽蔑して呼吸していた。
 だからこそ、あの時手を差し伸べてくれた人との絆は血よりも濃い、尊い何かであれるようにと思っていたのである。


「結婚……」
「はい」

 いつもの笑顔で、巽にい様はそう言った。
 彼は遊郭の裏路地で這いつくばっていた幼い私を拾ってくれた大きな家の一人息子で、俺のことは兄と呼んでくださいと優しい笑顔で言ってくれた人だった。私が今のように背筋をちゃんと伸ばして、足を閉じて椅子に座れるようになるまで見守ってくれた大切な人である。
 
 そんな人が、庭に咲いてる花の話題でも持ち出すかのように軽く口にした言葉に、私は思考がピタリと止まる。頭の中ではぼんやり考えていた事だけれど、いざ言葉にされると目を伏せるしか出来なかった。

「そう、よね。私ももうそういう歳ね」
「えぇ」
「でも、私のような生まれがどこかもわからない女がそうそう嫁いで大丈夫かな……?何か風早の家に迷惑が、」
「安心してください。あなたは立派な風早の女性ですよ」

 そう言って優しく笑う巽にい様は、清廉潔白な口ぶりで言った。この家に来た頃、何も信用出来なくて家の人たちを困らせていた私に根気強く話しかけ、諭してくれた人である。歳は数個上くらいで当時は彼だって少年だったはずなのに、それを思うたび頭が下がる。
 
 いわゆるお家同士の繋がりの為の結婚は、まだまだありふれていた。風早は教会の家であるからこそ、違った角度から取り入りたがる金持ちたちは多いのだ。その中から風早にとっても有益な家に私はきっと嫁ぐのだろう。思えば巽にい様しか子どもがいないこの家では、私は女であるだけで役に立てているのかもしれない。品位はだいぶ違うけれど、そこだけ切り取ると遊女であったであろう顔も知らぬ母と役に立てる方法は同じで、恐ろしい皮肉だ。

「えっと、そしたら私はどうしたらいい……?にい様やお父様がお相手を見つけてくるのよね」
「えぇ、既に縁組の相手は見つけております。今日早速家にいらっしゃいますので、顔合わせをしましょう」
「は、はい」

 私の耳に入って来たのは「今日来る」という話だけで、後のことはほとんど聞いていなかった。だからその時の巽にい様の言葉の違和感に全く気がつけなかったのだ。

「式はこの家で挙げることになりますが、構いませんかな?必然的に洋装になりますが」
「あ、なんでも、なんでもいい」
「そうですか。あなたならきっと白無垢でもドレスでもどちらでも着こなしますから、楽しみですな」
「ありがとう、ございます……」

 純粋に「楽しみだ」と言われてしまうと、少しだけ複雑な自分もいる。なぜなら私自身はきっと、巽にい様がいずれどこかの令嬢と結婚する様をそんなに手放しで喜べる自信が無いからだ。幼い頃からの刷り込みのようなものだと納得はしているのだけれど、あっさりと返せる手のひらもない。

「相手方のお名前はなんと言うの?」

 何気なくそう聞いたけれど、結局巽にい様はお相手の苗字しか教えてくれなかった。有無を言わさず嫁げと、そういう意味なのだろうか。あまりにもあっさりとした彼の反応に、私は悲しくなった。血よりも濃い絆、なんてとんだお笑い種だったのかもしれない。
 
 しかしその日の午後、風早の家にやってきた客人を見て、私は目を丸くした。訪ねて来たのは上品そうな老夫婦だけで、とても私の夫になるような人は見当たらない。ご両親だけいらしたにしても、夫婦の子どもならばもう私の父と言っても過言ではない歳だろう。
 私は悟られぬよう、顔を青くした。もしかしてお相手の男性は親子くらい歳の離れた人なのだろうか。
 不安のあまり、おろしたワンピースの背中が汗で徐々に湿っていく。ジッパーに沿って流れる冷や汗に気分が悪くなりそうだった。縋るように巽にい様を見れば、隣で彼はいつものように、否いつも以上に朗らかな笑顔で彼らを迎えている。
 そんな風に私の視界が徐々に暗くなっていく中、彼らは更によくわからない会話で、私を混乱の渦の中に放り込み、ぐるぐるとかき混ぜていく。

「では、正式な手続きは来月。式はそこから三月後、ということでよろしいですかな」

 巽にい様がそう言うと、老夫婦は満足そうに頷いて私を見た。そして口々に話し出す。

「一時の間だけれど、よろしくねぇ。向こうの家でも不便はさせないから安心してちょうだいな」
「すぐにこの家に戻ってこれるようにするからね。私たちはそれで充分だから」

 そんな老夫婦の言葉に、巽にい様はにこやかに礼を言う。何が何だかわからない私もとりあえず彼に倣って礼を言えば、老婆は「この歳でこんなお嬢さんが娘になってくれるなんて、嬉しいわ」と、両手を組むようにして呟いた。

「あ、あの。すみません。私のお相手のお方は……」

 詰まる喉でなんとか声を出してそう言ったけれど、老夫婦は「何を、」と笑って取り合ってくれなかった。思わず、隣に座る巽にい様の顔を見る。
 いつものような、穏やかな笑顔で私を見ている。思い切り目が合ったのに、彼は答えをくれなかった。


 終始穏やかな顔合わせが終わり、老夫婦は車に乗って帰っていった。ポツンと残るのは、私と巽にい様の影だけではない。私の疑問と疑念、それから不安も一緒に所在なく立ち尽くしている。

「にい様……。今日来たお客様について教えて」

 私は勇気を出してそれを口にした。結婚のお話に来たはずのお客様は、結婚について何も話さずに帰っていった。ただ、私が彼らの娘になるということを匂わせただけだ。

「はい。では俺の部屋に行って話しましょう」

 にい様がそっと私の背中に手を当てて、部屋へと誘導していく。行きがけに使用人にお茶を頼み、私たちは巽にい様の部屋へと入った。いつもは落ち着く場所で、でも少し緊張する空間なのに、今は気持ちが逸るせいで何も感じない。
 まずはお茶を口にしてから、私はもう一度先程と同じことを言う。見えない霧に向かって紙飛行機を飛ばすような、不透明な違和感を突き進む感覚が恐ろしい。でも巽にい様なら、巽にい様だから、この不安の霧を払ってくれるだろうと私は信じているのだ。

 巽にい様はゆっくり話し始めた。いつものように小さな頃から、私を落ち着かせる為のお話や、色々なことを教えてくれた時と同じ声音で言う。

「まず今日来たお客様のことですな。彼らはこれからあなたの親御さんになられる方です。資産家なのですがお子様を授かれなかったようで、今回の事に是非ともと賛同してくださったのです」
「今回の事……?」
「えぇ。あなたは現在籍も風早家に入っておりますから、まずは他家の令嬢になっていただかないと」
「どういうこと……?」

 老夫婦の元に子どもがいないとすると、誰が私の結婚相手なのだろう。頭の悪い私では到底理解が及ばなくて、私は彼の次の言葉を待った。
 すると巽にい様は、私の手をゆっくりと取った。まるで壊れ物を扱うかのように優しく掬い上げるように軽く触れ、私の手を取ったのだ。

「俺と結婚するには、まずあなたには一旦風早から籍を抜いてもらわねばなりません。そこで彼らと養子縁組を組み、あちらのお嬢様として、俺と結婚するんですよ」
「……!」

 言葉が出なかった。巽にい様の事は誰よりもなによりも慕っていたし、きっとこの感情は家族の情だけでは整理できない部分もあるだろう。けれど、まさか。

「わ、わたし、巽にい様と結婚、するの……?」
「はい」

 迷う事なく、巽にい様は言った。
 そして私の手の甲に、まるで恋人に触れるように唇を寄せる。温かくて熱い彼の唇が、全身を痺れさせていく。
 目が合った。彼はいつものように慈愛あふれる笑顔で、こう言うのだ。

「あぁよかった。ようやくあなたの望むものあげられる」

 それはなに?と、私は聞いた。回らない舌で。

「血よりも濃い絆です。血が繋がっていない俺たちがそれよりも濃く繋がるには、これしかないでしょう」

 あぁよかった。幼い頃からあなたにずっと与えたかったものだ。
 そう言って、巽にい様は何度も私の手の甲に口付けを落とす。指に指を絡め、彼は丁寧に、けれど執拗に唇を重ねていく。少しずつ呼気が上がり、部屋に浅く早い呼吸音が響いた。それが私のものか、はたまた巽にい様のものかはよくわからない。彼の様子に、私も気を当てられたのだ。
 私は自然と微笑んだ。唾液をごくりと飲んだ喉から出る声は、甘えるように深く重く唇から溶け出していく。

「……嬉しい。巽にい様」

 ずっとずっと、それが欲しかったの。
 私のその言葉に恍惚とする彼の表情は、初めて見る顔だった。
それが男女の愛なのか、過剰すぎる奉仕の精神なのか、憐憫なのか、劣情なのかは分からない。
 ただ私は、血よりもずっと赤いそれを、手に入れられたのだろう。



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