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レオのおっちょこちょい
2024/08/09 23:08

 おれの彼女は、おっちょこちょいな上にすっとこどっこいだ。おれも大概なのはおれなりにわかっているつもりではあったけれど、自分のことにはてんで気づかないのはよくある話で、彼女もわりとそういう所がある。
 そんな所が好きだったり、場合によってはやきもきしたりするのだ。恋愛ってそういうものなんだろう。霊感だけではどうにもならないあれこれがあるものだ。


「なぁ」
「ん〜?」

 彼女が遊びに来てくれた休日、掃除や洗濯を終えてのんびりしていた時。スマホをいじっている彼女の顔をふと見た時に、おれはとあることに気が付いた。

「おまえ眉マスカラ、右側塗ってないぞ」
「えっ」

 慌てて部屋をきょろきょろ見回してから困ったように眉を下げ、そうだとばかりに自分の鞄を漁る。たぶん鏡を探していたんだろうなという予測をつけたら案の定で、おれが差し出した鏡で自分の眉毛をパッと見てから「あぁ〜……」と呟いた。

「な?塗ってないだろ?」
「忘れた〜……」

 左だけ塗って満足しちゃった。と恥ずかしそうに笑う彼女が可愛くて、でもそんな忘れ方するのがおかしくて思わず声を上げて笑ったら、彼女がまぁいいか。と気にしないことにしたのも面白かった。確かに髪の色がそこまで地毛から離れているわけではないから眉マスカラだってよく見ないとわからない。今日はもう家から出る予定もないから、彼女の眉毛が染まっていようといまいとどっちでもいい話だ。

「今日新しく買ったアイシャドウでね、早く試したくて忘れた」

 確かに目元がキラキラしている。それが新しいものなのかは正直言われないと気が付かないけれど、おれと会うしか予定が無いであろう今日におしゃれしてきてくれるのは、何となく嬉しい。

「キラキラでいいな。眉毛半分しか茶色くないけどっ!わはは!」
「メイクいらずのすっぴん美人には永久にわからないもんね。まぁいいや」

 そう言ってごろごろ床に転がりながら彼女を見上げていたおれのつむじをぐいぐい押して、彼女が笑った。つられて笑うと、ぱちんと頭の中で何か弾ける。リズムの渦がぐるぐる頭の中を巡って、外に出してくれと全身を叩いてくる感覚がした。

 おれは少し身体を起こして、テーブルの上にあった髪をペンを床に引きずりおろして五線譜を書く。浮かんできたそれを書き殴っていると、彼女がまたそっとスマホをいじり始めるのが視界の端に映った。ごめん、ちょっと待って。すぐ書き終わる!と心の中で謝ってからペンを走らせていると、不意におれのスマホがけたたましい音で鳴った。それすらも霞の向こうだったけれど、特に気にする必要はないと思っていた。けれど慌てるような声で彼女がおれの背中を揺さぶったので、仕方なくおれは顔を上げたのだ。

「ちょっとちょっとレオくん!瀬名さん瀬名さん!」
「え〜?セナ?いいよ放っておいて」
「だめ!はい出て!」

 セナが連絡してくる時は大抵おれが何かやらかしているという認識の彼女に、おれは渋々と電話を取る。もしもし〜?と緩く返事をすると、怒号ではなく至って静かな、怒ってないセナの声が聞こえてきた。

「れおくん?今最寄り駅着いたんだけど、何か買っていった方がいいものある?」
「え?なんでセナがおれの家の近くにいるんだ?」

 あっけらかんとそんな事を言うと、聞き慣れた怒りの声がスマホから飛び出してきた。

「言ったでしょお?れおくんが勝手に俺の鞄に入れてそのままにしていったUSB、外出ついでに持って行くって!忘れたとは言わせないよぉ!?」
「あっそうだった!ごめんセナ!何もいらないから来て来て!」

 全く。とぼやきながら切れた電話でようやくそんな話をしていたことを思い出した。ついでに三人でのんびりお茶の時間にでもすればいいやと思っていたら、目の前の彼女がギギギ、と音が鳴りそうなくらいぎこちなくおれの方を向いた。

「え、レオくん……瀬名さん、くるの?」
「うん。あと十分しないくらいで来るぞ。おまえが買ってきてくれたクッキーみんなで食べよ」

 そう言うと、彼女は弾かれたように立ち上がり、寝室へと引っ込んでいった。なにやらバタバタとしている気配がしたので後を追って中を除くと、部屋着を脱いだ下着姿の彼女がタイツを履こうとしていた。

「え、なんでタイツ履いてるんだ?」

 おれの質問を無視して、彼女はスカートを履いてニットを着ると、今度洗面所に飛んでいく。何がどうなったのかさっぱりわからなくてヨタヨタ付いていくと、なんと今度は顔をザブザブ洗って、持ってきた化粧ポーチを広げ始めた。

「えっ、えっ、なんで化粧し直すんだ?!」
「だって瀬名さん来るんでしょ!?待って待って!せめてベースと、アイメイクとリップだけさせて!」
「なんでだよ!」

 つい口をついたのがお笑い芸人のつっこみみたいだけど、おれの本心がたくさん詰まった言葉はこれだった。だって、彼氏であるおれといる時はゆるい部屋着で、眉マスカラ片方忘れててもまぁいいかって言うのに、セナが来るってなったら慌ててかわいい服着て化粧するって、おかしいだろ。なんでおれじゃない男の為におしゃれするんだよって思ったら無性に悔しくて、一気にイライラが爆発した。
 おれはズンズン彼女に近づくと、化粧ポーチを漁る彼女の手首を捕まえた。驚くようにこっちを見た彼女を一睨みしてから、顎を捕まえて唇に噛みつくようにキスをする。びっくりした彼女がおれの身体を押そうとしたけれど力はおれの方が上だ。突き放すどころか巧く丸め込んで、塗りたてのリップがぐしゃぐしゃになるまで唇を重ねたら、ちょうどインターフォンが鳴った。いいタイミングでセナが来たようである。

「な、なにすんの!?」
「うるさいっ!おれ以外の男の為に綺麗になろうとしてるおまえが悪い!」

 そう言いきって、玄関まで来たセナの為に扉を開けた。

「セナ!いらっしゃい!上がってって!クッキーあるぞ!」
「こ、こんにちは……瀬名さん……」

 おれの後を追って玄関に来た彼女を背中に隠すように追いやって小さな意地悪をしていると、セナがどん引きした顔でUSBをおれに渡すと「いい。ここで帰る」と言ってさっさと去っていった。

「あれ!?帰っちゃった」

 なんで!?と彼女の方を振り向くと、彼女配置度俺の顔を見てからどん引きした後、青ざめながらおれの唇を強めにぬぐった。

「いや、レオくんの口、リップべったりだよ……」
「あっそうか!」

 忘れてた!と言えば、彼女が深いため息を一度吐いてから、呆れるように、でも声を上げて笑った。
「瀬名さんじゃなくてもどん引きだよこれは……。どうしよう。ごめんなさいってちゃんと言っといてねレオくん」
 うん、とおれは一つ頷く。すると彼女がその場でせっかく着たニットを脱ぎながらまた寝室に戻ろうとしているので、おれはそんな彼女のスカートを掴んだ。ウエストがゴムだったのだろう。ぐいっと引っ張ったせいでストンと彼女のスカートが脱げる。

「うわ!やめて!」
「だから!なんでセナが来るってわかった途端着替えたの!?」
「レオくんが適当なダサい女と付き合ってるって思われて、恥ずかしい思いしない為にでしょうが!!」

 そうなんだ。と、スカートが脱げたせいでタイツ姿の彼女のお尻を見ていると、彼女が呆れたように言った。

「あのね、眉マスカラ片方忘れてたり、こんなタイツ一丁の姿なんて本当に気を許している人にしか見せられないっていうか、気を許してても恥ずかしいんだよ。私はレオくんにだけそれを見せてるの。わかった?」

 彼女が言ってくれた言葉があまりに嬉しくて、陽気なファンファーレが脳内で鳴り響いていたおれは、彼女がその後「だからスカート返して」と言っていた言葉を全く聞いていなかった。
 もう!と言いながらスカートを脚から外し、タイツ姿の彼女が部屋着に着替えてくるまで、おれはスカートを持ったまま、にやにやと恥ずかしい顔をやめることが出来なかった。

 おれも彼女と同じ。おっちょこちょいで、すっとこどっこいだ。後日セナにそう言われて、内心またにやけてしまった。



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