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茨となんでもない夜
2024/08/09 23:12

 なんてことない、休日前の夜の話である。

 この時間に茨くんが訪ねてきてくれたのが非常に珍しくて、私は玄関先で彼を出迎えた時は思わずポカンとしてしまった。

「大きなライブは終わりましたからね。とりあえずひと段落なんです」

 そういうことなので、私は何聞かず「そっか〜」とそのまま相槌を打った。家に来てすぐは電話がチラホラ鳴っていたけれど、22時になる頃には彼のスマホが大人しくなるのは確かに珍しい。

「ライブすごくよかったよ。かっこよかった」
「それは何より」

 なんとかチケットを手に入れて観に行った公演は、初めてアイドルである彼を見たわけでもないのに私はすっかりその場で恋をしてしまった、もちろんずっと前から七種茨という人に恋はしているわけだけど、アイドルとしての彼にも恋をしてしまって、なんとなく苦しい。アイドルとしての茨くんはみんなのものだ。自分のものにならないのはとても苦しいのだと学ぶ。

「あれだ。私リアコになりそう」
「は?誰の」

 私はふわふわと夢見心地な舌でそんな事を呟いたけれど、私の方を見た茨くん声とは異様に鋭かった。ドスが効いた声に、私は勘違いさせてしまった事を悟って慌てて訂正する。

「七種茨!七種茨でございます!」
「選挙かよ」

 意味がわかんない。と不貞腐れたように唇を尖らせた茨くんに、私はちゃんと説明すべく言葉をドサドサ継ぎ足した。自分の中では目の前にいる七種茨とアイドル七種茨はなるべく分けて認識していたけれど、ライブを観てアイドルの方にも恋をしまってしんどいという話だ。あまりにも贅沢が過ぎる悩みに、茨くんは理解不能と言いたげに口をへの字にした。

「それだけかっこよかったってことだよ。私もうちわ作って持っていけばよかった〜。Edenもファンサ少しやるんだね」
「見つけてもやりませんよ。ただのバカップルになるじゃないですか」
「えぇ?!ずるい!!じゃあ今やってくれれるの?!」
「やんない」

 意地悪!と理不尽にも怒れば、不意打ちで茨くんが私にちゅっとキスをした。びっくりしすぎて目を閉じるのを忘れる。

「はいファンサファンサ」
「いやーーー!解釈違い!!七種くんはそんなことしない!!」

 あまりにも雑な対応は、素の表情を見せてくれている証なのだろう。ふいっと視線を外す仕草は、私の好きなものの一つである。
 お酒を飲むか聞いたら一杯だけというので、簡単なおつまみと一緒に焼酎を出した。私も便乗して缶チューハイを出しておく。焼酎のグラスと缶を鈍く当てて乾杯をしてから、おつまみとして出したきゅうりの漬物をポリポリ齧った。

「あ、漣ジュンくんだ」

 怠惰で付けていたテレビの深夜ドラマ枠に突如出てきたジュンくんに反応すれば、茨くんはそれに相槌を打つような独り言を呟く。

「あぁ、そういえばドラマの放映日でしたね今日は」

 とか言いつつ多分ちゃんとチェックしていたのだろう。さりげなくチャンネルを変えていた事を私は知っている。

「弟役かわいい〜」

 シーンは弟役のジュンくんがランニングから帰って来てヒロインと冗談を言い合うシーンだった。汗が似合い過ぎる。

「ふむ、やはりジュンのイメージに合う役柄でしたね。女優との実年齢が遠いので熱愛報道がどうの、とはすぐに囁かれないでしょうし」
「え、それは年齢差関係ないって。恋する時はするでしょ」
「……」

 それに関しては彼も思い当たるふしがあるようで、私はなんだか嬉しい反面少し気まずい。恐らく思い当たっているのは自分自身の事で、私にも関連しているのである。

「ま、まぁこの女優さん俳優と熱愛報道出てた気がするし……大丈夫だよ」


 返事はない。その代わりに彼が焼酎を飲み干したので私はおずおずとお酌をして、話題を切り替える事にしようと口を開く直前で、不意に足裏に違和感を感じた。くすぐったくて思わず足を引っ込めると、茨くんが指先で私の足裏をこしょこしょとくすぐっていた。

「わっ、話題変えたいからってやめてよ!」
「そういう事を口にする辺りは可愛くないですよ」

 茨くんはなおも人の足の裏をくすぐってくるので彼の指を払うように足をひらひら振ったら、足首を掴まれた。思わず「ヒィ!」と叫び声を上げると、茨くんは大層意地悪そうな笑みを浮かべた。

「そういえば自分、番組の企画で習ったんですよね。足裏マッサージ」

 そう呟いて、土踏まずの付近を思い切り指でぐりぐりと押された。

「いっ!!いたーーーーい!!」
「おや、消化器系が弱っているのではないですか?」
「いたたたたたた!!いやーー!!」
「この辺は眼精疲労ですね。随分疲れを溜めているようですよ」
「茨くんに言われたくな……あぁーー!痛い!いや!いや!!」
「近所迷惑です」

 そうは言うものの、少しお酒の入った彼は随分と楽しそうに私の足裏を押している。声も弾んでいるし、なんならニヤニヤと意地悪い笑みまで浮かべているではないか。

「ごめんなさいごめんなさいゆるして〜!!」
「それいいですね。もっと言って」
「なんで!!!」

 渾身の疑問符をぶつけるべく茨くんを見ると、なんだか先程よりも頬を紅潮させて、ついでに足首を掴んでいた方の手がふくらはぎを撫でている。

「えっ、うそちょっとまってよ」

 何に興奮したのかは知らないが彼が興奮している事に気がついて、私はつい焦ったような声を漏らす。久々に会えたのだしそんな気が無かったと言えば嘘になるが、きっかけが足裏マッサージなんてムードのカケラもない。けれど彼がぐい、と私に近づいた先、足裏にとある感触がして思わず叫び出しそうになった。

「お、おしおし、押し付けないで」
「責任取ってくれるならいいですよ」

 なんの?!とつい反射的に聞きたくなったけれどきっと私には理解できない理由を並べられるだけだろう。お酒が入ったのも彼にとってはいいきっかけだったのかもしれない。

「痛がってる姿かわいいですね」
「もう全然嬉しくないよ」

 クスクスと笑いながらも、いつもより彼の吐く息が熱くて荒い気がする。かわいい子ほどいじめたいというやつだろうか。きっとそうだろう。と、勝手に納得して、私はそっと背中に手を回したのである。



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