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斑の疲れを癒す
2024/10/27 22:34

「お帰りなさああい!ご飯がいいかあ?それともお風呂にする?俺でもいいぞお!」
「……ごはん」

 私が扉を開けて、ちゃんと閉じて鍵を閉めるまで大声を出すのを待っていただけでもよしとしよう。彼である斑くんは時々なんでも加減が出来ないので、お腹から出た声はマンション全体まで響きそうだし、誤った力加減のせいで骨がミシミシ言うのもかくやというほどの力で抱きしめられる。そうなるともう愛より先に命を危険を感じてしまうのも、仕方のない話だ。

「ご飯かあ!お腹空くまで頑張ってきた証拠だなあ!うんうんえらい子だ!ママが美味しいご飯と花丸をあげよう」
「わ〜い……」

 案の定、彼の胸筋に押し潰されるのではと錯覚するほど強い力で抱きしめられた後、わざわざ屈んできてちゅっちゅと小気味いい音を立ててキスをされる。大抵こういう風に突き抜けた愛情表現をする時の斑くんは、
 そう、驚くほど疲れている。


 手洗いを済ませて部屋着に着替えた私は、キッチンで鼻歌を歌う彼の元へは行かず、大人しくテレビの前のローテーブルの前に座った。匂いからして今日の夕飯はカレーのようで、私の昼を食べてから何も口にしてない空っぽの胃袋が一気に活性化する。

「サラダのドレッシングは何にしようか!」
「私ポン酢がいいな〜」
「いいぞお!」

 本当はそのくらい自分で取りに行って、ついでに食器を並べるくらいはやりたいのだけれど、それをやるとどこか不満そうになるのが疲れた斑くんの悪いくせだった。疲れている時にこうして私を介護レベルに甘やかす事で甘えているのだということに気づくのに大分掛かったので、疲れているのに手をかけさせることに抵抗があった私とはかなりすれ違って喧嘩をしたりもしたけれど、それらは全部無駄だったのだと思うと少し笑えてすらくる。

 そこから私は彼がこんな状態の時は黙ってやらせる事に決めたし、幼児になる事に決めた。ここまで来ると一種の幼児プレイ、そして一種のおままごとである。

「はい、出来たぞお。いただきますしようなあ」
「おいしそう!」

 疲れているのなら家事は私に任せて寝ればいいのに、こういう時にこそなんだかとても張り切ったカレーが出てくるのがおかしな話だ。ものすごく美味しそうなのがまた、斑くんの器用さと謎の底力を感じて少し怖い。けれど黙っておく。彼のやりたいようにやらせる事が一番のストレス発散方法なのだ。

「いただきます」
 私は手を合わせて綺麗に盛り付けられたカレーを見る。そこで気がついた。
「スプーン……」

 持ってくるね。と言おうとして気がついた。斑くんの手元にスプーンが二つある事に。

「……」

 読めた。今日は本当に心から疲れているようである。彼のままごと願望の数値が、今日は異様に高い。

「ほら、ママが食べさせてあげようなあ。あーん」
「あ、あ〜……む、ぐっ、」

 あーんと言ってる途中でスプーンを口に突っ込まれた。ママだと自称するくせにこういう所は雑である。けれど味は美味しくてムグムグと口を動かしてると、斑くんが大きな口を開けてカレーを食べている。よかった。胃の調子が悪いとかではないようである。そこに少しホッとしながらわざと彼をじっと見れば、斑くんは若干恍惚としたような笑みを浮かべながらまた私にカレーの乗ったスプーンを差し出した。大人しくそれを咥え、おいしいと笑うと彼の頬も目に見えて緩む。そこに私は、ほんの少しホッとしてしまう。

 普段どれだけ気を張って、肩に力を入れて生きているのだろうと心配してしまうのだ。職業上私の側にいるのはさぞかし大変な事だろう。なのにそれをも巧妙に世間から隠しながらこうして近い距離にいてくれるのだから、私だって彼に何か返したい。大好きだからこそ、自分が出来ることは全て彼にしてあげたいのだ。


 そう、例えそれが幼児プレイ一歩手前のおままごとだとしても。

「うんうん全部食べていい子だなあ!ママは嬉しいです!」
「おいしかったよ〜。ありがとう」

 いつもよりちょっとだけ舌足らずっぽい声でお礼を言えば、斑くんはさっさと立ち上がって食器を片付け始めた。
 そして私はというと、わざと彼の後を付いていって後ろから腰に抱きつく。そんでもってこう言うと、多分彼はびっくりするくらい喜ぶのだ。

「早く!一緒にお風呂はいる!」
「……!すぐやるからちょっとまっててくれ。洗ってあげるから」

 いつもより声がドロドロに甘くて、こんな声私しか知らないだろう。そんな所は私だって嬉しいものだが、いかんせん台詞が台詞だ。ワガママを言う小さな子のように頭をぐりぐり斑くんの腰に押し付けるととても嬉しそうに笑う声が上の方から聞こえてくる。こういう時は例え一緒にお風呂に入っても、彼は完全にママモードな上に究極に疲労困憊なので、色っぽい意味合いでは頑張れるはずがないのが私からするとややホッとする部分である。

 さて、そんな私が出来ることと言えば早くー!と駄々をこね、あやしてくれる斑くんに大人しく身体と髪を洗ってもらい、ドライヤーまで掛けてもらってから一緒に布団に入ることである。

 この間にワガママに見せかけて早く寝る事を促していき、彼は上機嫌のまま布団に入り5秒で寝た。寝かしつけをするはずのママが先にポックリ眠ってしまった状態である。

「……ふぅ、終わった……」

 思わずため息を吐きながら、斑くんの半乾きの髪を撫でる。量が多くて少しくせのある彼の髪はきっと明日爆発する事だろう。けれど私は頑張った。正直いい大人が恥ずかしいことこの上ないのに、早く早くやってやってあれもこれも!ママー!と小さな子どもより聞き分けがない子を演じて、思い切り甘やかされる事で彼を甘やかした。
私は真っ暗闇の中そっと布団から出た。実はまだ眠くないし、帰ってきてスマホを全くチェックできていないのだ。

「……いい子だね〜。おやすみ」

 彼のふわふわしている髪に軽くキスをして、私は寝室を出る。夜泣きはしないから、朝まで彼の安眠は保たれる事だろう。



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