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零の執着
2024/10/27 22:47

 また持ってきてしまっていたようだ。

 零は自身の手首に引っかかっているなんの変哲も無い茶色のヘアゴムをぼんやり見つめながら、それを手首から外して自分の髪を雑にまとめた。首回りが暑かったのでちょうどいいと自分のものではないそれを勝手に使って、レコーディングブースの中に入る。発熱する機材の影響かしっかり入っているはずの冷房の効きが薄く感じる室内で、そのヘアゴムは非常に役に立った。

 昨日うっかり彼女の家から拝借してしまったヘアゴムを、恐らく彼女は無いことに疑問を持ちつつもやがて気にしなくなることだろうと踏み、今日からそのヘアゴムは零の物になったのだ。

 小さな物であれば、零が借りたけれど失くしてしまったと言えば彼女は大抵「まぁいいか」と気にしなくなる性質の持ち主だった。それはインクの切れそうなボールペンだったり一本のヘアゴムだったり、片方しかなくなったピアスだったりと取るに足らないものである。それをそっと家に持ち帰って、彼女の片鱗を部屋に置いておくのが零は好きだった。
 
 彼女は良くも悪くも良識を持った女性で、零の仕事への理解も非常に深い。そんな彼女に助かる部分も多かったが、あまりにも理解を示してくれるのは零の複雑な心のどこかを寂しくさせた。それを埋めるのが、失くしたとうそぶいて家にそっと住まわせる彼女の小さな私物だったのである。


「ねぇ零くん。この前貸したヘアゴム知らない?」

 しかし今回は珍しく、数日後に彼女の家を訪れた零にそんな事を切り出した。もちろん零はそのヘアゴムの行方を知っている。今は零の家の小さな箱の中、片方しかない彼女のピアスと一緒に収まっている。

「ヘアゴム?なんだったかのう」

 しかし零はしらばっくれた。今更彼女に返す気も起きなかったし、どちらかというといつもは小さな物がなくなった程度では特に気にすることのない彼女が、ヘアゴムの行方を気にしているのかが気になった方が大きい。

「そっか〜、じゃあどこかで失くしちゃったんだなぁ。ちょっとショック」
「……そんなに大事に使っていたのかのう」

 さりげなく、零は自身が知りたかった事に探りを入れる。チラと彼女を見ると、困ったように眉を下げていた。本当にショックを受けているようである。

「人からもらったものだったからさ〜」

 そう言って彼女は屈み込み、ベッドの下を覗いている。もちろんそんな所にヘアゴムなんて無いことは、零が一番よく知っている。
 しかし零にとっては、彼女の言った言葉が何より重要だった。人からもらったと彼女は言った。自分ではない誰かからもらったものを、彼女はこうして探し回るほど大切にしていたということになるのだ。
 おもしろくない。零は舌打ちしたい衝動を抑えて、コーヒーを飲んだ。苦くて顔をしかめる。

「……誰にもらったんじゃ?」

 さりげなく。あくまでさりげなく零は自身にとっての最重要事項を言葉に乗せた。誰にもらった物を、こうして彼女は大事にしているというのだ。どこの誰が、彼女の『大切』の一端を握って離さないというのだ。気に入らない。もうあのヘアゴムは家に帰ったら捨ててしまおうと零は決める。彼女と自分の繋がりを確認する為の物に、他人の存在の介入なんて必要ないのだ。

「ん〜……職場の人」

 彼女はそれだけぽつりと言うと、諦めた。と一つ呟いてから零の隣に座り、スマホをいじり始めた。もしかして失くしたことを謝罪しようとしているのだろうか。また自分の知らない誰かからもらって、それを大事に使おうとしているのだろうか。
 嫌だ。自分が彼女に対してだけ妙に独占欲が強いことになんて、とうに気が付いている。その上で、それを自覚した上で、その独占欲を彼女にぶつけたくなってしまう。試すようなことを言って、安心したくなってしまう。

 零はわざととぼけたような態度を取って、彼女の腕を掴んだ。ヘアゴムを彼女にあげたという見たこともない誰かに向かった嫉妬で力が入りそうになる指をなんとか緩めて、それでも離すまいと彼女の服ではなく腕を掴んだのだ。そうして白々しく、彼は言った。

「嬢ちゃん思い出した。すまぬ。我輩ヘアゴム借りたはいいものの自宅で失くしてしまったんじゃ」
「……あ、そうなの?」

 真正面から謝っているふりをして、今度は試す。彼女に真正面から向き合うよう偽って、その実穿った角度から試すように言った。

「よほど大切にしていたんじゃな、本当にすまぬ。我輩が新しいものを買ってくるのでは、埋め合わせにはならないかのう」

 さも申し訳ないとでも言いたげに零は眉を下げた。彼女の優しさに潜り込んで、見知らぬ人物からの貰い物を完全に封殺する。彼女が身につけるものに他人の影など片鱗も見せてほしくないなんて感情は、決して滑らかで美しいものではないとわかっている。狭量なことも自覚しているが、そこはどうしても譲れなかった。
 すると彼女が首を横に振った。表情は明るい。

「ううん無いなら無いでいいの。あのゴム太さとか髪結んだ時の伸び具合とかがちょうどよかったから、どこで買ったのかもらった人から聞けばいいだけだし。私こそ気にさせちゃってごめんね」

 彼女の腕を掴んだ零の手を、彼女がぽんぽんと撫でた。そのテンポに安心して、零は手を離す。

「そうか。じゃが失くしてしまったのは我輩だしのう。今度ヘアゴム買って持ってくるぞい」

 零は手を伸ばして、彼女の髪に触れた。もしかしたら今でも彼女の髪をあのヘアゴムが束ねていたかもしれない事実に、また一人きつく目を細める。どう処理したらいいかわからない感情の袋小路。零はもはや、出たいとすら思っていない。


「零くんまた持って帰ってたんだな。あれ……」

 零が帰った日、彼女はこっそり呟いた。それから一人、手で口元を隠す。口元が緩む事実を覆い隠す為である。踵を返して部屋に戻り、戸棚の中からヘアゴムを出して彼女は髪を束ねた。零が持って帰ったものと全く同じ色のそれは、あと二本残っている。
 誰も知らないであろう朔間零の後ろ暗い執着心に触れるのが、彼女の快感になりつつある。



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