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紅郎吸血鬼パロ・2
2024/10/27 22:55

 ──これは、夜毎吸血鬼が少女の血を求めて扉を引っ掻くことなる、少し前の話。

「ほら、これやるよ」

 その日紅郎は、少女に一つの宝石を手渡した。深く紅く、煌めきよりも沈んだ輝きを放つその石は遠い遠い昔に気まぐれに買って、時折箱から出しては眺めていた紅郎の気に入りの品の一つである。未だに朽ちない辺りは真の名品だったようなので、これならば今日少女にプレゼントする品としては妥当だと思ったのだ。

「わぁ、綺麗な石!くださるんですか?どうして?」

 私これももらったばっかりなのに。と少女は今着ている黒のエプロンドレスの裾を摘んだ。どうやら地下の書庫でメイドという仕事が世にあることを知った少女がそれに憧れていたので、見よう見まねで紅郎が作ってあげたエプロンドレスを彼女は大層お気に入りのようである。

「それとは別だ。お前、今日がなんの日か忘れちまったか?」

 俺は覚えてるのによ。と少し揶揄うように言うと、少女は慌てるように目線を斜め上にして考える仕草をしてからはたと思い出したように手を叩いた。

「私が紅郎さまに拾われた日!」
「覚えてるじゃねぇか」
「お誕生日!」
「まぁ正確には違うだろうけどな。おめでとうさん。多分お前はもうこの国では成人の仲間入りだろ。だから受け取ってくれや」
「成人!大人!わぁ!」

 そっかぁ!と笑う少女を見ていると、およそ成人を迎えた女性には見えない。本当に彼女がこの国の成人年齢に達しているのかはわからないけれど、紅郎が彼女を拾った時の背格好を考えるとそのくらいが妥当なのでは、と思う。

 ありがとうございます!と、笑顔の少女は氷のように冷たい紅郎の手から宝石を受け取ると、まるで温かいとでもいうようにそっと両手で握りしめた。

「絶対絶対、大事にします。ありがとうございます」
「ああ」

 綺麗。と、少女は宝石を上にかざし、中を覗き込むように見つめた。彼女の白い指と紅い宝石の対比が、窓の外の夜空の濃紺によく映えた。

「これからも私、頑張って紅郎さまのお役に立ちますね」
「てめぇが楽しくやってんなら、それでいいけどよ。……つか、真名を呼ぶな」
「はぁい」

 少女は悪戯をした時のように首をすくめたけれど、きっと反省はしていないだろう。彼女にとって紅郎の真名は生涯で手に入れた宝物の一つなのだと、自惚れなのはわかっていてもそうなのだと感じてしまう。

 ふくろうの鳴く声が開け放した窓から滑り込むように聞こえてきた。それにつられるように吹く涼しい風に、紅郎はなんとなく目を細める。

 何もない場所だ。彼女が楽しいと思える娯楽も、珍しくて美味しい食べ物も、同じ種族との繋がりも、ほとんどない。本来はこんな所にいてはいけない少女を、たまたま拾ったからといっていつまでも解放してやれていない自分に紅郎は何年も情けなさを感じていた。

 彼女にそれとなく街に行くことを勧めたこともあった。しかし彼女は決まって「ここから追い出すくらいなら私の血を全部吸って殺してください」と笑顔で言う。そんなことは絶対にしたくないから消去法で彼女をここに置くという言い訳が果たして世間一般では通る物なのかさえ、もはや紅郎には判断がつかなかった。

 彼女の血を求めた事はないし、吸った事もない。けれどその誘惑的な香りはどこまでも紅郎を苛む。それが日常だった。


 ふと、そんな事を考えていたらすっかり時間が経っていた。彼女の気配はいつのまにか薄くなっていて、とうに眠った事がわかる。
 不意に顔が見たくなって、紅郎は初めて眠る彼女がいる部屋の扉をそっと開ける。案の定、小さな寝息を立てながら眠る少女は生贄の祭壇がとてもじゃないが似合わないほど無防備だった。

「……」

 紅郎はそっと指先を動かして、長い爪で彼女の髪を梳かした。とろとろと蕩けそうな髪の感覚が爪の先が伝わってきて、微かに髪の香りが匂い立つ。それに居た堪れなくなって紅郎はそっと手を離そうとしたところで、彼女が勢いよく寝返りを打った。

「……!」

 その刹那、紅郎の爪先が、彼女の喉元をわずかに引っ掻いてしまった。傷は浅いものの、吸血鬼の爪は鋭く少女の皮膚を確かに裂いてしまう。しまった、と紅郎は慌てた。そこで咄嗟に起こした行動に、紅郎は今後苛まれることになる。

 紅郎は彼女のこめかみの付近を片手で掴むと、小さく何かを呟いた。人間を眠らせることが出来る吸血鬼の秘術だ。少女の寝息がより深くなった。吸血する相手を深く眠らせて暴れさせない為の術である。そんなものを、この世で一番大切な存在にかけた。

 自分が臆病な生き物だと紅郎は自覚している。喉元を伝う血液を舐めとる時に彼女が目を覚まし、自分を非難し、怖がられて遠ざかられる事を咄嗟に恐れたのだ。あれだけ自分を慕って側にいてくれる大事な存在を、彼はいつのまにか手放せなくなったのである。

「悪い……責任は、取る」

 誰にも聞こえない贖罪は、己の為にだけだった。いやに響いた声にもちろんは返答はないけれど、既に頭の中は彼女の血の匂いでぐらぐらと沸き立っていた。微かな血の匂いも嗅ぎ分ける自身の特性を呪いながら紅郎はそっと、まずは傷をぴったり塞ぐように彼女の喉元に唇を寄せた。何度か唇を押し当てている内に、唇に彼女の血が触れる。それを舐める。全身の肌が粟立った。

──吸血鬼にとって、愛おしい者の血液ほど依存性のあるものは存在しない。

「……うっ、ぐ……っ、」

 必死に理性で己を押し留めながら、今しがた唇を合わせた所に舌を這わせた。舌の敏感な部分が血液の生ぬるい温度を広い、やがてそれが味覚の集まった部分に辿り着くと恍惚として脳が蕩けた。我慢できずに噛みつきたい衝動に耐え、けれど耐えきれなかった舌は彼女の血液を求めて傷口を何度も這った。這っては離し、また唇を付けては舌を出す。じゅ、と吸えば甘美な味が咥内を支配した。

 うまい、うまい、うまい。
 もっと。
 もっとくれ。
 だめだ。
 離せ。

「いい加減に、しやがれ……」

 紅郎は己の爪で、思い切り自身の腿を突き刺した。服と皮膚を突き破り、肉に痛みが届く。そこでようやく我に返った。
 見ると少女の喉元の傷は軽いものだったはずが深くなっており、ぱっくりと割れていた。
 それを見て、紅郎は項垂れた。やってしまった。傷つける事だけはしないと誓っていたのに。

 彼女に対して申し訳ないという気持ちと、奥の奥でまた味わいたいという本能が交差する。長く生きてきて、今ほど死んでしまいたいと思った事はなかった。
 もう触れないと誓った方がいい。けれど自分が頭を撫でた時、彼女がとても嬉しそうに笑うのを知っている。もしそれが無くなれば自惚れではなく彼女は悲しい思いをするに決まっている。泣きそうな顔をさせるなんて、耐えられそうにない。

「守るから安心しろ。大丈夫だ。もう俺は、お前に手を出す事はしない」

 だから許してくれ。と紅郎は跪き、未だ深い眠りにつく彼女の手を懇願するように強く握った。守ると言ったのは、紛れもなく自分という化け物からである。


 次の日から彼女は少しの間、貧血と秘術の副効果で苦しんだ。熱を出したのだ。
苦しそうな中、彼女はそれでも自分のような化け物に手を伸ばし、名前を呼んできた。それを見て、紅郎は不意に泣きそうになる。
 大丈夫だ。もう絶対にあんな事しねぇ。

そう心臓に刻み込むように誓って、紅郎は彼女の頭を撫でた。
 今後彼は毎夜毎夜本能に抗いながら、少女の部屋の扉を引っ掻き苦しむ事になる。



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