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茨の執事パロ
2024/10/27 23:07

「お嬢様失礼いたします!茨であります!」

 朝食後ノックの音とともに部屋に入ってきた茨は、執事だというのに軍人のように折り目正しい敬礼をした。彼は小さな頃から我が家に仕えている、若き執事である。

「お嬢様。本日のご予定を申し上げてよろしいでありますか?」
「えぇどうぞ」

 今日の予定は午前中に兄の商談に顔を出すのが一件。母の友人が訪ねて来られるので挨拶をするのが一件。午後からは家庭教師が二人いらっしゃるので勉強。夕方からは自由時間、夜は父と父の友人の会食に同席、といった具合らしい。
 家庭教師が来るの以外はほとんど、遠からず私の縁談に繋がるものだろう。母の友人も、兄の商談相手も、みんな『ついで』にこの家の年頃の娘を見に来て品定めするのだ。こういった家に娘として産まれた以上は付いて回ることである。
 どんな人が来ても私が結婚の意を示すはずがないことを、母辺りはもしかしたら気が付いているかもしれない。私はどんな形であろうとも、今目の前で私の予定を並べ立てている人が好きなのだから。

「わかったわ。ありがとう茨」
「本日もお忙しくていらっしゃいますな」
「ううん。仕方ないもの」

 力なく茨に笑いかけると、彼はそれを気にする様子もなく「そういえば」と言葉を繋げた。

「お嬢様にも一応お耳に入れておいて頂きたいことがございまして。今お伝えしてもよろしいですか?」
「え、うん。なぁに?」

 珍しい茨の問いかけに私は頷くと、茨はにっこりと微笑んでから口を開いた。

「自分にもとうとう縁談が舞い込みまして、受けようと思っております!いやあ、長い間お世話になりましたお嬢様!」
「へ……」
「お嬢様よりお先に話がまとまってしまい申し訳ございません!あっはっは!」
「え、えええええ!?」

 茨のまるで煽るような報告に、私は思わず大声で叫んだ。何事かと慌てたメイドが三人程私の部屋に駆け込んできたようだけれど、あいにくと覚えていない。


 もうそこから、私の魂はほとんど抜けたままだった。兄との商談に来た方や母の友人と一緒にやってきた彼女の甥の顔なんて全く覚えていないし、今日学んだことは何も身についていない。夜の晩餐の席でバイオリンを弾くよう求められた時は、私は一体何を弾いたのか父が「その辺で……」と止めてきた。

「もう無理」

 夜、空腹も感じない身体を這うようにベッドに伏せて、私はこぼれそうになる涙をどうにか寸前で留めた。お祝いすべきことなのはわかっている。大好きな人が伴侶を見つけたのなら、祝福してあげなければならないことだってわかっている。
 でも、そうなれるにはまだまだ時間がかかりそうだ。

「もう結婚なんてどうでもいい……」

 
 物心ついた時から、既に茨は執事見習いとしてこの家にいた。最初の頃はとてもじゃないけれど執事なんてやれるような感じじゃなくて、毎日のように屋敷から逃げ出そうとしていた。

『茨、茨また逃げようとしたの?』
『うるさい!俺は執事になんかなりたくない!さっさと逃げ出してやるんだ!』

 庭の倉庫にお仕置きとして閉じこめられた小さな茨によく食べ物を持って行くと、彼は早くこんな所から消えてやると暴れていたものだった。

『逃げるのはよくないわ。出て行くなら自分の力で出て行ってみなさいよ』

 まだ幼かった私はお姉さんぶってそんな事を言って、彼を説得しようとしていた。いつしか茨も自分の立ち位置を理解し、めざましいスピードで一人前の執事になった。
 そうして、昔私が言ったように自らの力でこの家を出て行くのだろう。念願叶った、といった所だ。
 でも私はその年月の中で、いつしか茨のことが好きになっていた。彼は陰険な部分もあるし何を考えているかわからない所もあるけれど、たまに見せる本心から楽しそうな笑顔とか、大好きだったのに。

「こんなことなら早く好きって言っておけばよかった」

 その願いを叶えようとは思っていないけれど、少なくても今言うよりも彼を困らせるようなことはなかったのでは、と思う。
 すると部屋の扉がノックされた。出る気にはなれなかったけれど「誰?」と答える。

「茨ですお嬢様。失礼しても?」
「茨……」

 こんな時間に何の用よ。なんて意地の悪い言葉が出そうになって、引っ込める。大人しく扉を開ければ、ジャケットを脱いだラフな格好の茨が姿を現した。

「どうしたの?」
「いえ、ちょっとした確認作業です」

 メガネのずれを直した茨が、少し歯切れを悪くしながら言う。私は彼に言うべき祝福を封じ込めたまま、とぼけたように先を促した。

「なに……?」
「いえ、あの……今朝申し上げたことに関して、なんですけど」

 心臓がぎゅっと締め付けられる。今一番聞きたくない内容だ。私は不意に出そうな涙をまた必死にこらえて、彼の言葉を待つ。当の茨はなぜか罰が悪そうに言葉を濁してから、ようやく口にした。

「あの……大変無礼な事を申し上げまして、怒らせてしまったでしょうか」
「え?」

 無礼なこと?と聞き返すと、茨は今朝、自分の縁談がまとまった話と、私より先に話が決まったと煽るようなことを言ったことを気にしていたようだった。そんなの彼なら言いそうなことである。私がショックを受けたのはそこではない為、首を横に振った。

「い、いいえ。あなたなら言いそうなことだし、祝い事ですもの。自慢したくなる、わよね……」

 本心じゃないけれど、頑張って口にした。すると茨が「でも、」と珍しく言いよどみながら言葉を続ける。

「本日のご予定、お嬢様はほとんど注意散漫だったと報告を受けまして。もしや自分の冗談が通じていなかった……というか、自分との縁談が不満なのでは、と思いまして。今一度きちんと話を、すべきかと」
「あぁそうだったの……え?」

 幻聴かと思って、私は目を見開く。今彼は『自分との縁談』と言ったのだろうか。

「ですから、自分との縁談が不満なのでしょうかと。旦那様からお話は行っているはずです」

 頭が真っ白になりつつある状態でなんとか茨の話を飲み込むと、曰く茨は自分で数年前に会社を設立し、その経営がうまく行けば私と結婚する許しをお父様からもらっていたと。今現在茨の会社はすこぶる順風満帆なのでここでの執事業を辞め、社長に専念すると。ついでに兼ねてからの約束だった私との結婚の許しをとうとう昨日お父様から得たというのだ。

「……ねぇ、何一つ知らない。私、何一つ知らないわ」
「えっ……」

 さすがの茨も焦るように視線を泳がせた。全部全部、お父様が伝え忘れていたようである。 
 そうなると、朝の茨の言葉がおかしくてしかたない。彼からしたらまとまった縁談をネタにした、じゃれ合いの一つだったのだろう。なのに私がその後注意散漫もいい所だと聞いたのなら不安に思っても仕方ない。

「もういいわ。もういい。とりあえず最初からお願い茨」

 お父様には明日詰め寄ることとして、私はまず茨に言葉を強請った。今の話を聞いて、彼が私をどう思っているかわからないほど、私だってばかではない。
 すると茨は一度苦い顔をしてなんとかこのぐちゃぐちゃな状況を飲み込んでから、胸に手を当てて、やけっぱちのような声で言った。

「小さい頃、お嬢様はよく俺にここを出て行くなら自分の力で出て行ってみなさいと言いましたね」
「言ったわ」
「ですので俺は自分の力で出て行きます」
「……うん」
「あの時から俺はずっと、出て行くならあんたも一緒にと、勝手に決めていました。その、お慕いしています」

 いつもの冷静さをどこかに吹き飛ばした彼の言葉に、私は大きく頷いてから涙をこぼした。先ほどの涙とは、もちろん意味合いが違う。



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