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レオと気まずい空気
2024/10/27 23:14

「……」
「……」

 レオくんが異様なほど無口なので、流石に私は気まずさに耐えきれずスマホを開いた。部屋には彼の操るパソコンのキーボード音がカタカタと響き、私は無音のまま調べる気もなかった今月の新作コスメのサイトなんて見ている。気になっていたリップの発売日が今週末だという情報を手に入れたが、あいにくと今知りたい内容ではなかった。

 私はこっそりとレオくんを盗み見た。相も変わらずパソコンをカタカタやっている彼に対して、私が抱えている不安と違和感は間違いない。何故なら今彼は確実に大好きな作曲作業をやっているわけではないのだ。ヘッドフォンを付けてないし、何より作曲をしている時のキラキラした顔をしていない。終始しかめっ面で、極め付けに眉間に皺なんて寄っている。レオくんの眉間、皺寄るんだ。なんてのんきなことを考えていた数十分前の私を叱りたい。

 そう、彼は何かに怒っているのだ。珍しく静かに、噛み締めるように怒っているのが私にもわかる。彼は基本何か怒りを感じた時は真っ直ぐ言ってくるタイプで、どちらかというと悲しみの方が隠しがちだ。そんな彼がいかにも「怒ってるんだけどわかってる?」と言った態度を、『態度だけ』で表現してくるのは本当に珍しいのである。

 目の前のスマホの画面のピントが段々とぼやけてくる。涙で見えないのではなく、それだけ目の前の事に集中出来てない。私は画面も朧げなスマホを片手に、とにかく彼の作業が終わるのを待った。静かな部屋は、いるはずの部屋の主がいないみたいで少し寂しくなる。私何かしたのかな。と数えきれないくらい考えてみたけれど、3回目くらいで思い出せないものは完全に無自覚に何かした証拠である。不意に泣きたくなってしまったが、まだ何も言われていない、彼の怒りを受け止めていないのに泣くのはお門違いだ。ぐっと耐えて、私は席を立った。コーヒーを淹れようと思ったのだ。
 レオくんがそんな私の背中を横目で一度見てから、またパソコンの画面に視線を戻したのは、私が知るはずもない。


「レオくん、よかったら……」

 彼の最近お気に入りのコーヒーを丁寧に淹れて、冷蔵庫にあったチョコレートと一緒に持って戻ると、レオくんは「ん、」と短く返事をしてからノートパソコンを閉じてローテーブルにあぐらをかいた。その仕草に一瞬で緊張しながら、私は向かいに座り、自分の分のコーヒーに口を付けた。レオくん好みに淹れたので、私には少し苦い。お湯で薄めればよかった。

「……」
「……」

 少し無言で、二人でコーヒーをすすった。微かに聞こえるズズ、という音になんとなくホッとするのは、彼が私のコーヒーを飲んでくれた嬉しさからだと思う。彼から私に対して怒っているとか、そんな話まだ聞いていないのに、私は勝手に自分が何かしたと思ってビクビクしているのがなんだか情けない。情けないけれど、レオくんに嫌われたら生きていけないのだから仕方がない。

「あの、」

 だから、勇気を持って私から切り出してみた。彼の感情を理解したいのなら、私からそれを教えてもらうのが筋だと思った。レオくんは私の方をチラリと見る。いつもは溌剌とした黄緑色の瞳が、今日はなんだか色味まで鋭く感じる。コーヒーカップの温かさに背中を押されながら、私は必死に言葉を繋げた。

「勘違いだったら、ごめんね。レオくんさ、その、怒ってる、よね」
「……」

 無言が怖い。それでも私は気圧されないように背筋を伸ばした。

「私考えたけど何が悪かったのかわからなくて。もし私がレオくんを怒らせちゃったのなら、何をしたのか教えてくれる?ちゃんと知って、謝りたい」

 目にぐっと力を入れて、込み上げそうになって涙を堪える。レオくんは一度私から視線を外すと、コーヒーを一口飲んでから、ゆっくりカップを置いた。コト、という陶器とテーブルが触れた音にまで、ビクリと肩を揺らしそうになった。

「……べつに、怒ってない」

 絞り出されたような声が、そんなことを言った。私がそれに対して首を横に振ると、それを見たレオくんがまたコーヒーで喉を湿らせてから、ゆっくりと呟く……と、思ったら、突然ポタッとテーブルを透明な雫が叩く。私はハッとして彼を見ると、なんとレオくんの方が泣いていた。

「えっ?!な、なんで?!どうしたの?!」

 私は目尻の寸前まで来ていた涙を引っ込めて、慌てて立ち上がりレオくんの隣に座った。レオくんは無言でグイグイと乱暴に袖で涙を拭うと、涙を誤魔化すようにまたコーヒーを飲んだ。かたや私は一気に混乱で目を回し、コーヒーなんて飲んでる場合か!と内心ツッコミを入れつつ、彼の隣で涙の意味を話してくれるのをじっと待った。やがて落ち着いたのか、レオくんが話し出す。

「1週間前に、おれ、仕事で車使ったんだ」
「うん」
「横断歩道で赤信号だったから止まって、歩行者がのんびり渡ってるのぼんやり見てた。そしたらおまえが、知らない男と目の前の横断歩道を渡ってたんだ」
「えっ」

 自分の事なのに、つい今しがた知った、というようなリアクションを取ってしまった。レオくんがつらつらと続きを話す。

「相手がスーツだったから職場の先輩とかだなって思ったんだ。昼ごはんの時間だったし、同僚と休憩に行くのかなって。でも街中の人から見たらおまえらきっと恋人同士に見えてるんだろうなって思ったらモヤモヤしてきて。でもおまえに聞いた所でそんなつもり無いってすぐに言ってくれるの、わかってるし。見当違いなヤキモチなのはわかってるのに、それでもモヤモヤしてあの男誰だよって言いそうになる自分がくだらなくて。不協和音で。そんなこと考えてたら自分にむしゃくしゃしてきて。怒ってるアピールして気を引こうとしたんだ。ごめん。折角会いに来てくれたのに、嫌な空気にした」

 きっと私に直接言うのはとても恥ずかしかっただろうことを、レオくんは一生懸命話してくれた。かっこつけな彼のことだから、きっと今恥ずかしくて隠れてしまいたいと思っているはずだ。でもそれを臆することなく話してくれた所に勝手に愛を感じて、私は先ほどよりも一層泣きそうになっていた。人が愛おしくて泣くことなんてあるんだ、なんて思う。全部全部、レオくんが教えてくれたことである。

 私は彼の手にそっと触れると、ぎゅっと握った。冷たい手に、体温を分けてあげる。レオくんがハッとしたようにこちらを見た。綺麗な瞳は、いつだって私を見てくれている。

「あのね、まずごめんね。勘違いさせちゃった事に気づかなくてごめん。一緒に歩いてた人は職場の人だよ。同期の子のお誕生日祝いをみんなで買うからどうしようかって話をするから会社の外でお昼とったの。その子がオフィスでお昼してたから」
「うん」
「でね、それだけモヤモヤレオくんが悩んでたのに、気づいてあげられなくてごめんね。せめてモヤモヤしてることには、早く気づいてあげられればよかったのに」
「ううん。おれが知られるの恥ずかしくて、いつも通りでいようとしただけ。出来なかったけど」

 レオくんは怒りは隠す事は少ないけれど、悲しみは隠してしまう。私の彼に対する見方が合っていて私は心底ホッとした。彼は怒っていたのではなく、悲しかったのだ。それを隠す為にあんな風な態度でいたのだろう。ごめんね。とまた心の中で謝りながら、彼に抱きついた。いつもは照れ隠しなのか「うわっ!」などというリアクションをとることが多いレオくんが、無言で抱きしめ返してくれる。

「レオくんに何かしちゃったかなって、すごく不安になっちゃった」
「う〜、ごめんな」
「こっちもごめんね。でもこれからは、何かあったらなるべく言ってほしいな。大抵のことはちゃんと話聞いてあげられると思う」
「……大抵?全部じゃなくて?」

 私は彼の少し不安そうな顔を見てから、パッと笑ってみせた。

「うん!レオくんが他の女の子と横断歩道歩いてるの見たら、モヤモヤして話聞けそうにないかも!」

 そうおどけて言うと、レオくんも「そっか!」と言いながら眩しい笑顔を見せてくれる。彼の抱えた感情は間違いじゃないんだということを、わかってもらえたようだ。

「まぁそんなことないけど。おれの場合」「いや、レオくん隙が多そうだから芸能界の肉食女子に食べられないように気をつけてよ。ほんとに」
「う、うん」

 声のトーンを本気度高めにしてそう言うと、ぎこちない動きで彼は頷いた。



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