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日和と引越しする彼女
2024/10/27 23:17

「えっ、きみ一人暮らしするの?」

 私がつい10分ほど前にその事を伝えて、そこからもう物件は見つけてあることとか、少しずつ自炊も頑張りたいなどといった具体的な事を話したはずなのに、当の日和くんはその辺を一切聞いていなかったらしい。今になって「なんで一人暮らしするの?!」なんて言い出した。その話は私が一番最初に「私実家出ることにしたんだ」と伝えた辺りで返してほしいリターンだったのでは、と思う。思うけれど彼にとってはよっぽど驚いた報告だったのだろう。案の定アイドル業で鍛えたのか元来のものなのかはわからない大きな声でリアクションをした結果、日和くんのそばでウトウトしていたうちの猫が驚いて逃げていった。

「だって、そろそろ一人で色んな事できないとな〜と思って。ここにいると私何もしないもの」

 勿論実家にいてもきちんと家事を手伝う子もいるだろうけれど、私にはそれが出来そうにない。強制的にやらなければならない環境でないと家事スキルが身に付かなそうなのである。

「で、でも一人は危ないね。それに寂しくない?」

 日和くんがオロオロとしながらそんな事を言い出したので、私は首を横に振る。猫とすぐ会えなくなるのは寂しいけれど、一人でやっていこうというやる気や好奇心の方が勝っている。

「物件もそこまで値段が高くなくてセキュリティがちゃんとしている所を見つけたの。あまり広くはないけど初めての一人暮らしならちょうどいいかなって」

 ほらこれ。と契約予定の物件の間取りを見せれば、日和くんが顔をしかめた。彼の事だからこんなに狭いのか、などと思っているに違いない。

「あのね、日和くん。一人暮らしだとこのくらいが普通だから……」

 彼がいる寮は数人と共同らしいけれど、きっと恐ろしく広いのだろう。実家も豪邸だし、彼にとってはウォークインクローゼットレベルなのかもしれない。彼が珍しくあまりに剣呑な顔をしているので、落ち着いたら遊びに来て欲しいなんて言えなくなってしまった。少し過保護だなぁと思いながらも、基本わがままな彼がこんなに過保護な面を見せるのが珍しくて、私は少し笑ってしまう。それに気づいた日和くんは、頬を少し膨らませた。

「どうして笑うの?ぼく、きみの心配しているだけだね」
「ごめんごめん。それだけ心配してくれるの嬉しいな〜って思っただけ」

 機嫌なおして。と言わんばかりに彼に抱きつけば、日和くんは「それでぼくの機嫌がなおるなんて思わないでね!」などと言いつつもしっかりと抱きしめ返してくれている。彼が大事にしてくれているのが伝わって、私は余計に嬉しくなった。

「ね、日和くん。きっと日和くんにとってはものすごくものすごく狭い部屋だけどさ、落ち着いたら遊びに来て」

 きっと私の事を好きでいてくれる彼の事だから、この誘いを断らないだろうと思って、私は勇気を出してそう提案してみた。日和くんが少し長い沈黙の後、「ほんとう?」とつぶやく。

「もちろんだよ。あのさ、あの、泊まってってくれても、いいし」

 我ながら大胆な誘いだが、勇気を出す。彼とのもう一歩を踏み出したいが為に一人暮らしを始めるのだと言ってしまえば、はしたない女だと思われると思って言わなかったけれど、これも私の本音なのだ。実家だと日和くんと触れ合える場所がそもそもなく、私たちはあまりそういったことをしていないのが現状なのである。

 きっと日和くんの事だから、「こんな狭い場所に寝るの?肩どころか全身がこりそうだね!」とか軽口で返してくるだろうと思って、私は彼の顔を見るべく顔を上げる。そして目を見開いた。

 日和くんが、顔どころか耳まで真っ赤にしている。

「と、泊まっ……」
「……日和くんが嫌じゃなかったら、ね。狭いし」
「泊まって、いいの?」
「い、いいよ」

 恥ずかしくて口を尖らせながらそう言うと、日和くんは何を想像したのか、固まって動かなくなってしまった。真っ赤な顔は女の私より遥かにかわいくて、まだ引っ越しは少し先であるにも関わらず何を想像したのだろうかと邪推してしまう。
 わかっているくせに、私も少し意地悪である。

「日和くんのえっち、」

 口調は唇を尖らせて、目線はじっとりと。でも心臓は高鳴らせながらそう言うと、日和くんは慌てて私から身体を離した。

「ち、ちがうね!そういうのじゃ……」
「ちがうの?」

 少し甘えるように言えば、日和くんが珍しく目線を泳がせながら、本当に本当に小さな声で言った。

「……ちがくなくて、いいの?」

 私は小さくうなずいて、ゆっくり彼にキスをした。その問いに対する具体的な答えは、近いうちに狭い狭い1Kの部屋で夜、言ってあげようと思う。



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