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泉とフィレンツェのカフェにて
2024/10/27 23:19

「わ〜、知らない国みたい」
「知らない国でしょ。あんたの場合」

 長期休みに初めて来た、彼の現在の拠点イタリアフィレンツェは空気も風の匂いも町の雰囲気も何もかもが違う。イタリア語はもちろん英語もさっぱりな私にとって今頼りに出来るのは泉くんだけなので、ここでは彼の言うことをちゃんと聞くという約束を既に二回、泉くんと空港でした。まさかの小さい子ども扱いである。

「何飲む?」
「えっとね、カプチーノ」
「わかった」

 とりあえず荷物を置いて、私達は泉くんおすすめのカフェへと来た。入店すると男性のウェイターさん、いわゆるカメリエーレが注文を取りに来てくれたので、コーヒー以外にも何かを頼んだ泉くんを私はぼんやり見る。すっかりこっちの生活が慣れているのか迷いなく注文を済ませ、一息ついた彼は椅子の背もたれに寄りかかった。

「こっちのカフェってレストランみたいに注文聞きにきてくれるんだねぇ」
「全部がここみたいなスタイルではないよ。カウンター席がメインの店も多いし。あんたいるから落ち着ける席がある店にした方がいいと思ってここ選んだだけ。家から近いし」
「へ〜」

 初めての海外である私をちゃんと気にしてお店を選んでくれていたことがなんだか嬉しくて、思わず頬を緩めた。そもそも日本で泉くんとカフェなんて到底入れないけれど、ここでは日本ほど注目されることもないようなのが私からしたら正直嬉しい。恋人とカフェでデートするなんて初めての体験である。

「ね、ね。コーヒー以外になんか頼んだの?」
「ここの名物。甘いものならなんでも好きでしょ」
「すき!」

 だと思った。と笑ってくれる顔がなんだか久しぶりに彼に会えた現実を更に加速させてくれた。と同時に一抹の不安を感じる。カフェの名物スイーツを、スイーツなんて滅多に食べない泉くんが把握していることに違和感を感じたのだ。

「……甘いもの、誰と食べに来たの?」
「れおくん」

 あまりの即答ぶりと、彼のややうんざりした顔に嘘はなさそうである。私はあっという間に晴れた不安を、カフェのすぐ近くを流れる川へと放り投げたのだった。

 暫くしてから注文していた料理を持って、カメリエーレが私たちの前に来た。パイのようなものを二つと、コーヒーカップを二つ。泉くんの方にはカフェオレを、私の方にはカプチーノを置いてくれたのだが、私の目の前の真っ白なカップの中、白とベージュが綺麗に混じり合ったハート型がぽっかりと浮かんでいた。

「わぁ、ラテアート!」

 思わずカメリエーレを見れば、ぱちんと一つウインクをされてから彼がカウンターの先をちらりと見る。そこには恐らくバリスタの男の人がひらひらと私に向かって手を振っていた。さすがの私でもあからさまなアプローチ具合に思わずドキドキしてしまう。

「……チッ」

 それと同時にサッと顔を青くして前を見れば、泉くんが凄まじい眼光で私を睨みつけていた。反射的に身を竦ませて、視線を泳がせる。

「い〜い身分だねぇ。目の前に彼氏が入るのに?他の男にアプローチされて?舞い上がるんだ。ふ〜ん」
「ち、ちちち、ちがうもん!あれはあれでしょ。おあいそ的な!」
「まぁね。あのバリスタれおくんにも同じ事してたから」
「えっそれは」
「真意は不明」

 泉くんが苛立ちそのままに自身のカップに口を付けたはいいものの「あちっ」という小さな声を共に反射的にカップを唇を遠ざけた。舌を火傷したのか苦々しい顔をしている。

「だ、大丈夫……?」
「ふん。あんたもさっさと飲めば?あのバリスタの愛情たっぷりのカプチーノ」
「の、飲みにくくなること言わないでよぉ……」

 折角はるばるイタリアまで来たと言うのに、彼の機嫌は真っ逆様だ。けれど確実に私が悪いので、彼の機嫌が直るまで大人しくしていようと泉くんが頼んでくれたパイにフォークを入れた。カスタードクリームがたっぷり入ったカスタードパイは、さくっと軽い食感で崩れていく。口に入れた瞬間溶けるようなパイ生地とほの甘いクリームがたまらなかった。

「あっなにこれ!おいしい!泉くんこれすごいおいしい!」
「……」
「うわ〜コーヒーに合う!砂糖入れなくて正解だね」
「……」
「泉くんも食べなよ!おいしいって!!」
「……ふ、あんた、俺が勧めて頼んだのに、何自分が勧める側になってんの」
「あ」

 泉くんが耐えきれない、と言ったように笑い出したので私はまずい、と思った感情をどこに置いていいかわからなくなりながらぽかんと彼を見つめた。

「もういいや、バカらしい。折角わざわざ来てくれたのに怒ってたら時間の無駄だよねぇ」
「その、私の一番は泉だから!ちょっと海外のテンションに当てられちゃっただけっていうか」

 あ〜はいはい。と泉くんがひらひらと手を振って、少し冷めたであろうカフェラテを一口飲んでから、自分の分のパイを食べた。私は早く気が付けばよかったのだ。そもそも泉くんがブラックコーヒーではなくカフェラテを頼んで、更にこんなスイーツまで一緒に食べてくれる時点で、彼も相応に浮かれていることに。

「あのさ、バリスタさんの愛情はどうだか知らないけど、いっぱいカフェがある中で私の好みを踏まえてここを選んで連れてきてくれた泉くんからはいっぱい愛を感じるよ」
「周りが日本語通じない人ばっかりだからって普段言わないようなこと言わないで」

 ばれた。ばれたが泉くんは視線を泳がせながら恥ずかしそうにカフェラテを飲んだので、私は満足そうにカプチーノを一口飲んだ。するっと吸い込んだミルクの泡はもう跡形もない。こういう時肌が白いと赤くなると目に見てすぐわかるからかわいそうだけど、よく本心とあべこべなことを言う泉くんに限ってはその変化が愛おしい。

 きっと私のフィレンツェ旅は、泉くんのおかげでとても楽しいものになるだろうと、私は既に確信したのだった。



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