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こはくといちごミルク
2025/06/03 23:27

 疲れた脳には、糖分を摂取すべし。

 私はふらふらとした足取りでオフィスにある自販機を見つめ、大体いつも押すボタンの右隣のボタンを力無い指で押した。すぐにいつも出てくるお茶ではなく、取り出し口からは薄ピンク色のペットボトルが出てくる。それを拾ってその場でパキリと蓋を開け、ボトルを傾ければいつもなら絶対に買わないであろう甘ったるい液体がつるりと喉を通った。

「あまい……」

 自分で何を買ったのかを理解していても、その甘さに思わず手の中のボトルを見つめる。『いちごミルク』と柔らかいフォントで書かれたそれは、実に何年ぶりに飲んだだろうかと言うほど舌に馴染まなかった。けれど身体に蓄積した疲労をじわっと溶かしてくれるような、そんな優しさが今は身に染みるのだ。
 疲れている。何故なら任された新しい企画は私の手に余るほど大きいのである。


「え〜っと、P機関からの返事返事……えっ来てない」
「あぁ。それでしたら今自分の方に来ました。メールアドレス間違えてますなぁ。転送します」
「ありがとうございます」

 副所長とそんなやり取りをしていると、不意に桜河くんが事務所に顔を出した。確かニューディの三毛縞くんと地方ロケの仕事をしてきたはずだけれど、何かを探すようにキョロキョロとしている。

「桜河くん?」

 思わず声を掛けると、一度こっちを見てから桜河くんがスタスタと近づいてきた。手にある荷物は白いビニール袋だ。

「ロケから帰って来たからこっちにも報告入れついでに、お土産持ってきたんやけど誰に渡せばええかな?」
「お帰りなさい。わざわざありがとうございます。私が預かるね」

 ビニール袋の中の四角い箱には温泉地の名前とおまんじゅうの写真が印刷されている辺り、中身は温泉まんじゅうのようだ。Double Faceが温泉地を旅する番組の打診が来た時はそのメンツで?などと思ったけれど、初めてその土地へ行くらしい桜河くんは大層乗り気だったのでコズプロ側も快諾したのである。P機関のあんずちゃんが考える企画は毎回とても面白い。

「これな、色々試食させてもろうた中で一番美味かったんよ。温泉地てあんなにおまんじゅう屋があるんやねぇ」

 コッコッコ。と楽しそうに笑う桜河くんに、私はロケが成功した事を察した。負けず嫌いの桜河くんは仕事に満足がいかない時とことん悔しそうだから、一目でわかってしまう。

「甘いものすごく嬉しいです。みんなでありがたく食べさせてもらうね」

 疲れて脳みそが煮立ちそうな今、とにかく糖分が嬉しかった。あんこのズドンとくる甘さが既に恋しい。
 すると桜河くんがチラと私のデスクの上にあるいちごミルクのペットボトルを見ながら言った。

「甘いもの好きなん?」
「ん?うん、好きだよ。あと今はいつも以上に甘いものが恋しい……というか」
「さよけ」

 何かを考える風に目線を外した桜河くんだったけれど、副所長に呼ばれて奥のデスクへと引っ込んで行った。私は丁寧におまんじゅうの封を開け、差し入れ置き場に桜河くんからもらった旨を書いたメモを添えて置いておく。ちゃっかり自分用に一つ貰って席につき、先ほど副所長から転送してもらったメールを見た。見ながらもらったおまんじゅうを一口食べて、いちごミルクを飲む。

 桜あんにいちごミルク、更におまんじゅうをくれた桜河くんの髪色まで今の私には大層目に優しい色だ。疲労で少しよくわからなくなりながら「ピンクかわいいね〜」などと独り言を呟きつつ、私はコズプロアイドルのスケジュール一覧をフォルダから引っ張り出したのだった。


 次の週、仕事が大分落ち着いてから昼休憩に入り、戻って来たら私の机の上に新しいいちごミルクのボトルが置いてあった。誰のだろうと首を傾げていると、同僚が先程やって来た桜河くんが置いていったことを教えてくれた。

「えっ、な、なんで?」
「さぁ?」

 ここ最近差し入れをもらう程彼に関わっただろうかと考えたけれど生憎思いつかない。けれどその薄ピンクのボトルは、この前私がおもむろに飲んでいた自販機で売っているいちごミルクである。

 あの時の事を覚えていてくれたのが少し嬉しく思う反面、なぜ差し入れをくれたのかはよくわからない。しかし私にくれたと言うのならありがたくもらおうと蓋を開けて口を付ける。甘い。信じられないくらい甘い。基本甘い飲み物なんて滅多に飲まない私にこの甘さは逆に喉が渇く。

 私は持っていたお茶を飲んで、いちごミルクの甘さを中和した。美味しいけれど、よほど疲れている時じゃないと飲む気がしないその甘ったるさは、いかにこの前疲れていたのかが手に取るようにわかる。

 けれど桜河くんはわざわざ私が飲んでいたものを覚えていてくれて、買ってくれて置いてくれたのだろう。その真意を知りたいけれど、あれから一ヶ月経ってもそれは叶っていなかった。決まって彼はタイミング悪く私が席を外している時に事務所にやって来てはこうしていちごミルクを置いていくのだ。

「もしかして、私がこれ好きなんだと思ったのかな」

 そんな都合のいい妄想をしながら、密かに彼を待つ自分がいる。その時には何故桜河くんが私のデスクにいちごミルクを置いていくのか教えてもらおうと思う。

 彼がくれたいちごミルクはこれで5本目。既にこの薄ピンクのボトルを見ると自然と彼を思い出すようになったし、段々この味が、この色がクセになっている私もいるのだ。



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