TOP > 更新履歴 > 記事 日和とホットサンド 2025/06/03 23:28 その日の目覚めは、正直心地よくはなかった。 「うっ、」 ベッドの中で一人うめき声を上げた私は、激しい圧迫感で目が覚めた。即座に昨日隣で眠ったはずの日和くんの仕業であるだろうと読み目を開けると、生憎と彼の顔は見えなかった。日和くんはベッドの下の方に潜った状態で、人の胸元に顔を埋めて思い切り抱きしめている。腰に回っている彼の腕は遠慮なんて知らないとでも言いたげに私の背骨を締め付けているのだ。 「え……っなに、」 朝からそういう気分になった、とかそういった類いではなさそうな雰囲気と腕の力に私もただひたすら混乱することしか出来ない。が、時間が経つにつれて苦しくなっったのかもぞもぞとしだした日和くんに、私は心の底からの疑問符を投げつけた。 「ねぇ、どうしたの朝から……」 彼のふわふわとした髪を揉むようにふわふわ撫でると、ようやく日和くんは顔を上げて私を目を合わせた。そこで私は確信する。 「なんで拗ねてんの……?なんかあった?」 起き抜けになぜか最高潮レベルの不機嫌さを醸し出している日和くんは、ひとしきり黙り込んだ後、再び私の背骨を折る勢いで抱きしめてから、ぽつりぽつりと話し始めた。 仕事の話だからかオブラートに被せた部分も多かったが、どうやら彼にネット配信専用ドラマの主演オファーが来ているらしい。そのドラマが恋愛モノであるのはまだしも、主演の新婚夫婦が毎話キスシーンを繰り広げるのが売りのドラマだというのだ。 「……なんというか、それ人気出るの」 「ぼくが主演なんだから、出るに決まってるね。でも内容が内容だから茨にいやだって言ったのに」 朝一番に彼のプロデューサーであり事務所の副所長である七種さんからスポンサーの都合上拒否は不可能だとホールハンズにて告げられたというのだ。それでこんなに機嫌が悪かったのか。あっという間に合点がいき、私はため息を吐く。 「七種さん、絶対今日が日和くんのオフだって知って連絡したじゃん……」 彼の機嫌が悪くなることを想定して、自分への被害を最小限にしてくる辺りが大分姑息である。そうしてやってきたしわ寄せが、私の最悪の目覚めというわけだ。 「スポンサーの都合ってことならぼくじゃなくてもいいのに!茨がやればいいね!」 再び思い切り抱きしめられて、私はつい「あたたた」と声を洩らす。が、彼にとっては些細な事なようで、全く力を抜いてくれない。 「でも日和くんが一番イメージに合ってるんじゃないの?よくわかんないけど新婚さんのイチャイチャ系なんだとしたら七種さんのイメージじゃないよ」 「確かにコズプロアイドルでこれを演じるならぼく以外に適任はいないけど」 内心そんなことは無いだろうと思ったけど、賢い私は口を噤んだ。漣くんはもちろん2Winkのひなたくんとか、crazy:Bの椎名ニキくんとかもいけそうだ。 「一回のキスシーンならまだしも、きみだって毎話同じ人とぼくがキスしているの見るのいやでしょ?」 「んんん〜、まぁいい気はしないけど」 当たり前だね!と言いながら人の胸に頭をぐりぐりしてくる日和くんをあやすように頭を撫でる。最初の頃は女優さんとのキスシーンなんてとても見れなかったが、最近はテレビで見る日和くんの演技のキスを少し楽しみながら見られるようになった。現実における彼の本気のキスは、正直テレビの中ほどスマートではない。 今はこうして感情の整理に忙しい彼だけど、やると決めたら完璧な仕事をする為に努力することを私は知っている。私が出来ることと言えば気持ちの整理をつけられる時間と余裕をプレゼントすることだろうかと考えつき、へばりつく日和くんを引き剥がしベッドから降りた。そんな私に彼の不安そうな瞳が刺さる。 「ぼくを置いてどこいくの?」 「朝ご飯作るの。なに食べたい?」 作れるものだったら作ってあげるよ。と言うと、日和くんは拗ねたように唇を尖らせてから、ホットサンドを所望した。私は大きく頷いてから身支度を整えてキッチンに向かった。最近買ったホットサンドメーカーの為に薄い食パンを常備していて助かった。 「よし、」 材料を準備して、早速取りかかる。あんこの缶詰とバター、それからアボカドとスモークサーモン、卵、チーズを準備して、まずは後者の材料を取る。彼が来るからと念のため調達しておいてよかった。 食パンの中央をへこませて具材を詰め、焼き上げていけば日和くんの好きなキッシュ風のサンドの出来上がりだ。二つ目に作った方は具材がはみ出たので私のお皿行きである。二種類めは定番のあんバタートーストの予定だが、これは冷めたら美味しくないので先に日和くんを呼ぶことにした。スープは面倒なのでインスタントだけれどフルーツにヨーグルトをかけたものも併せて出せば立派な朝食だろう。 「日和くん、ご飯食べよ」 まだベッドで拗ねているであろう日和くんを起こしに寝室へと戻れば、朝ご飯の気配を察したのか既に着替え始めていた。ちょうどパジャマのズボンを脱いだ瞬間だった為、ただでさえ長い脚がパンツ一丁なせいで余計に長い。 「あ、ごめんごめん」 「ノックしてほしいね!」 もう!と叱りながらも、部屋着として着たスラックスとシャツはどこまでもお上品である。先ほどまで人の胸を頭でぐりぐり潰しながら拗ねていた人とは思えない。 「美味しそうな匂い」 「今日は新作だよ〜」 ほら行こう?と家の中だけどさりげなく手を繋げば、日和くんは少しほっとしたような顔をした。彼の機嫌が丸くなるようにと、食器やカトラリーは以前プレゼントしてくれた有名ブランドのものを引っ張り出し、ランチョンマットまで使った。盛りつけもいつも以上に頑張った。写真に撮って残しておきたいくらいには立派なカフェのメニューのようである。 「わぁ、おいしそう!」 楽しそうな声を上げて日和くんがいつもの席についたので、私は内心息をつく。朝からここまでやったのだ。機嫌が直ってもらわねば困る。 「ね、これ食べてみて」 見栄えが悪くならない程度にカットした、キッシュ風ホットサンドを彼が口に運ぶ。食べた瞬間気がついたのだろう。きれいな菫色の瞳を瞬かせた。 「キッシュ風にしたの。わかった?」 口に物が入っているからだろう。一つ頷いた日和くんが優しく目を細めて、美味しそうに食べてくれた。私も合わせて一つ食べる。 「ん、おいしい」 「ぼくのために作ってくれたから、余計においしいね!」 「もちろん。ご機嫌ナナメな日和くんに愛を込めて作りましたよ〜」 軽い口調でそう言うと、日和くんは「ありがとう」と優しい声で呟いた。その表情はすっかりいつもの彼である。 新婚夫婦もののドラマの夫役、やっぱり日和くんに似合ってるなぁなんて考えながら、私はレースのカーテン越しに入る日差しで柔くとろけそうな彼の笑顔を誰よりも近くで、誰よりも強く見つめ返した。キスシーンのことはあるけれど、それよりも私は日和くんの色んな表情を色んな場面で見られればそれでいいのだ。 「あ、そうだあんバターサンド焼いてたんだ。持ってくるね」 「ありがとう。……ってせめてカットして持ってきてほしいね!直接かじりつくなんてお下品!」 「え〜、バターぼたぼたするよ絶対」 「ていうかきみの分、あんこでみっしりしすぎだね!」 「いやだって残すのもったいなくて……」 一枚目のサンドは気合いを入れてきれいに盛りつけた私だけれど、頑張った分ついボロが出てしまった。一枚丸ごとお皿に乗ったあんバターのホットサンドは、見た目はともかく味は抜群だったので日和くんののご機嫌はなんとか保たれたのだった。 [prev][next] [Back] |