TOP > 更新履歴 > 記事 泉とzoom会議 2025/06/03 23:31 もちろんわかっている。残業というものは決して怠惰のままに行っていいものではなく、その間にも賃金が発生しているのだからキチッと時間を定めて仕事をしなければならなく、かつ明日に備えてほどほどにしなければならない事を。 「言うてさ〜、仕方ないじゃん時差あるんだもん。時差、時差」 私はブツブツ呟きながら、まず自分のスマホで現在の時間を調べる。現在時刻は22時50分。そしてスマホで調べたら現地の時刻は14時50分。約束の時間まであと10分である。 日本とフィレンツェの時差はおよそ8時間。今はフィレンツェに拠点を置く瀬名くんと直接打ち合わせをしなければならない時、時間を調整するのは基本的に日本のスタッフである。次の日も仕事があるアイドルに無理やり夜更かしさせるわけにはいかないので、瀬名くんとのビデオ通話をする時は深夜手当をもらって誰もいない真夜中の事務所で彼を待つしかないのだ。 深夜の事務所は既に慣れっこだ。芸能事務所はなんだかんだ24時間誰かしらいるし、お化けとかあまり信じてない。私は通話ツールを開いておき、彼の入室を待つ。律儀な瀬名くんはきっと時間通りに来てくれるはずだ。月永くん一人だとそうはいかないが、そのあたり瀬名くんには大きな信頼を寄せている。 「ふぁ〜あ、」 私は誰もいないのをいいことに大きなあくびをして、眠い目を覚ます為に目薬を差した。慣れたと言っても眠いものは眠い。朝から働いていた疲労がここに来てドスンとのしかかってくるけれど、今回の打ち合わせは月永くんと瀬名くん二人にお願いする案件なので何が何でも瀬名くんと打ち合わせないとまずいのである。 音声や文章だけではどうしても伝わらない部分もあるし、映像とはいえ瀬名くんの姿を見る事で疲労を溜めすぎてないかなどの確認もできる。事務所なら資料がごまんとあるので毎度事務所でビデオ通話しているが、やはり眠いものは眠い。明日は休みだし終電はきっと終わる。仮眠室で寝てから帰って、シナモンで朝食でも食べて帰ろうと考えている内に、つい意識に一瞬空白が出来た事に気づいた。 「やば、」 自分でも気づかないうちにガクッと眠っていたことに気づいて、私は手の甲をつねる。痛い。が、眠い。近くに置いておいた濃いめのブラックコーヒーをすする。苦い。が、眠い。 時刻は22時55分。あと5分である。瀬名くん頼むからちょっと早めに来てくれと願いながら、誰もいないのをいいことに足をバタバタさせつつ眠気を吹き飛ばす。が、そこで意識がプツリと途切れた。 「やばっ!!」 自分の声に驚いて体をビクッとさせてから、無意識に時計を見た。時刻は23時15分。そのままPCの画面を見ると、瀬名くんがいた。画面の前に座ってはいるけれど、視線は画面の先の私ではなく斜め下を向いていたのを、こちらに向き直したようだった。 「あ、起きたねぇ」 「えっ?!私、寝……?!」 「寝てたね。と言っても15分くらいだけど。おはよぉ」 「おは、えっ?!すみ、すみません!!」 「いいよ。こっちが3時ってことはそっち夜の11時とかでしょ。仕事後なんだろうし、眠くて当然」 「最悪……!本当にすみません瀬名くん。居眠りするとか……!」 普段の瀬名くんならここでガツンと怒られるかと思ったけれど、彼は手元のメモ帳をひらひらさせながら見せてきた。 「いいよ、こっちに付き合ってもらってるんだし。俺新曲の歌詞考えてたから」 先ほど視線が斜め下だったのはそういうことかと納得しながらまた謝ると、瀬名くんは「いいからさっさと打ち合わせ始めようよ。俺も暇じゃないんだよねぇ」と眉を寄せながら呟いた。私は慌てて今日の資料を引っ張り出す。うつ伏せの枕にしていたせいで若干ファンデーションがついてしまっていた。 「それじゃあ改めて、打ち合わせ始めます。よろしくお願いします」 「はい、よろしく〜」 瀬名くんも紙を取り出す。メールで送っておいたものをちゃんと印刷してる律儀さが本当にありがたい。 「えっと、まずはお二人で雑誌の表紙撮影を行う件です……」 そこからはしっかり目を覚まして打ち合わせが出来た。今回の仕事はモデル寄りの仕事なので、瀬名くんの意見をぜひ聞きたかったのである。 「……以上です。何か他にありますか?」 「ううん、ない」 「ではこれで進めますね。帰国の手続きは総務に回しておきます」 「よろしくお願いします」 「はい。ではお疲れ様でした」 「お疲れ様でした」 互いに画面の前で礼をして、打ち合わせは終わった。時刻は23時45分。走れば終電が間に合いそうだけれど、そんな気力はもうない。首を横に倒して肩の凝りを軽減させていると、画面の前の瀬名くんはさっさと通話を切ると思いきや残っているのでさりげなく世間話を振ってみた。 「瀬名くん、そっちはどうですか?体調とか崩してませんか?」 「……別に。仕事も少しずつ入ってきてるしねぇ。ありがたいことに」 ぱっと見だ感じ、顔色も良く声に覇気もある。心身の調子を崩してる様子はなさそうだ。 「この前やったアクセサリーの広告、すごく好評ですね。日本にもプレスリリース届いてますよ」 「あそこのスタッフはすごく良くしてくれたねぇ。次シーズンも呼んでくれないかなって思った」 「こちらにもメール届いてたので、探り入れておきますよ」 「ありがと」 仕事について楽しそうに話す瀬名くんはいつもより年相応に見えて、なんとなくはしゃいでいる感じがかわいいなぁと思う。疲労でぼんやりしている頭に清流みたいな爽やかさが流れては色んなものを洗い流してくれるようである。 「ていうか、時間大丈夫?電車は?」 「あ、いいんです。今日泊まりますし」 ESは福利厚生が完璧なので、急遽泊まりになってる女子社員にも優しい。アメニティが豊富過ぎてホテルより快適なのだ。 「えっ……女の子なのに、ごめんね」 「気にしないでください。たまにありますし」 手をひらひら振ると、瀬名くんが渋い顔をした。 「終電のことすっかり忘れてた。あんたが気持ちよさそうに寝てたから可哀想かと思って起こさなかったけど、起こして早く帰した方がよかったねぇ。ごめん。事務所、一人?怖くない?」 そんなことまで心配してくれる瀬名くんに、私はなんとなく温かい気持ちになる。事務所としてはアイドル優先でアイドル第一だが、彼は私をスタッフとして接してくれつつも、女性として心配してくれる。とても丁寧な気遣いだと思う。 「大丈夫ですよ!私お化けとか信じてませんし!」 「ちゃんと女性用の仮眠室でゆっくり寝てねぇ。明日は?休み?」 「はい、休みですよ。瀬名くんはこれから予定は?大丈夫ですか?」 「今日は終わり。元々作業時間に充てる予定だったしねぇ」 よかった。私の大失態はリカバリーできる範囲だったようである。ほっと胸を撫で下ろしていると、画面の向こうの瀬名くんが珍しくモジモジしながら呟いた。 「じゃ、じゃあさ、ほんの少しだけでいいから……話さない?」 「え?」 「疲れてるならいい!」 「ううん大丈夫!話しましょう!私コーヒーのお代わり淹れてきますから!」 夜なんだからカフェインの入った飲み物はやめな!と言った彼に従うように淹れたハーブティーの香りと、少しリラックスしたような瀬名くんの表情に、私は結局夢中になって話し込んでしまうのだった。 「おはようござ〜……えっ?!何でこんなところで寝てるんですか?!起きてくださ〜い!!あなたは今日オフですよね?!」 結局デスクで寝落ちた私は次の日の朝、早朝出勤してきた青葉副所長に起こされたのである。この事を瀬名くんに黙っててほしいと、彼となぜか副所長に付いてきていた元気いっぱいの月永くんにお願いする羽目になってしまい、賄賂の為にケーキを買いに走るのは翌々日の話だ。 [prev][next] [Back] |