TOP > 更新履歴 > 記事 茨の嫉妬、わかりにくい 2025/06/03 23:32 どこか行ってきたんですか。と珍しく茨くんが聞いてきた。寒くなってきたから厚くなったジャケットをハンガーにかけた彼の視線は、その真下に落ちている紙袋に集中している。私はそこでようやく今日買ってきたものをしまい忘れていることに気づいたのだ。 「あ、しまうの忘れてた」 「質問したんだから答えてくださいよ」 「ごめんごめん。一人で映画見て、買い物してきた」 今日は久しぶりに有給を取ったので、彼が副所長を務める事務所に所属しているアイドル、斎宮宗くん初主演の映画を観てきた。初出演にして初主演。更に演出まで務めたという、もう斎宮宗くんによる斎宮宗くんの為の映画だ。衣装やら小道具やらがあまりに美しくしかし高価で、茨くんは資金繰りに奔走したと言う。 「あぁ。どうでした?」 私が以前から観たい観たいと言っていたので、映画という単語にピンと来たのだろう。落っこちていた紙袋を拾って渡してくれながら、彼はダイニングチェアに座った。珍しくそこそこ早い時間に帰ってきた茨くんに張り切った私が作ったのはカレーである。簡単でもいいじゃん私が食べたかったのだと何度も言い訳しつつ、さすがに気まずかったのでカレーとは別にサラダと、トッピングにオムレツを乗っけた。ここでトンカツやコロッケを出せない私のキャパシティである。 「いやもう、最高だった。観終わった後慌てて次の回のチケット買ってもう一回観たよ」 「気に入ったのだということだけ分かりました」 大盛りのカレーに文句も言う事なく食べてくれるのはありがたいことこの上ない。食に文句を言わない彼氏、助かる。 「もうね〜!シュウとエトワールちゃんのやり取りがね!後半に行くにつれて前半のチグハグだった頃を思い出して泣けてくるし!エトワールちゃんが着てる衣装かわいすぎるし!苦しむシュウをそっと抱きしめるエトワールちゃんたまら〜ん!最後のシュウの優しい笑顔で涙止まらないし!……待って、待って待って。やっぱもっかい観に行くわ。円盤も買う」 「オタクってなんですぐ待ってって言うんでしょうね。待つも何もここに居ますが」 「あ〜もう最高…エトワールちゃんになりたい……と思ってたらついついこんな服を買ってしまってね」 私はさっき茨くんが拾ってくれた紙袋からスカートを一着取り出した。基本シンプルな服ばかり着てる私にしては、少しひらひらしたマーメイドラインのスカートである。映画の中のエトワールという名のヒロインが着ているひらひらワンピースが可愛すぎて触発されてしまった。さすがに可愛いデザインのワンピースを着こなす自信はないから妥協してスカートだけにしたのだ。 「そのスカート履くんですか?あなたが?」 「い、いいじゃん。私だって女の子だし!トップスを甘くしなければいけるし!」 「……まぁ、何着ようとあなたの勝手ですけど」 ため息混じりに茨くんに言われて、私は少し不安に駆られる。茨くんは女の子の服なんて興味ないかと思っていたけれど、もしかしたらこういうテイストの服は嫌いなのかもしれない。 「こ、こういうの着る女の子、苦手?」 「いえ、特に」 しれっとした感じにそっぽを向いた茨くんに、私は不意に悲しくなる。彼がこういうことにそもそも興味がないことは十分承知しているが、それにしても関心がなさそうである。 カレーをしばし互いに無言で食べて、さっさと洗い物を済ませると茨くんは風呂借ります。と勝手知ったるでお風呂に吸い込まれてしまった。あれ以降スカートについても映画についても特に何を言う訳でもない彼に私は自分勝手にも寂しさを感じていた。勿論映画は本当に素晴らしかったのでまた観に行く気満々だし、影響されて買ったスカートではある。けれどそれを彼に話したのは、折角久しぶりに会えたのだから共通の話題や共有出来る話題が欲しかったのだ。 「ううん、いい。へこまない」 暫く彼が使うシャワーの音を遠くに聞きながら、私は一人呟いて買ったスカートを改めて試着することにした。お店で一度着てみたものの、もう一度冷静な目で確認したかった。今履いてる部屋着のパンツを脱いでスカートを履き、今日着ていたニットを着てみる。そのまま全身鏡の前まで行き、正面から見てみたり背中をよじって後ろを見たりしていると、茨くんが部屋に戻ってくる音がした。 「おかえり」 スカートを履いたまま彼に向かってそう言うと、眼鏡を外していた茨くんは一度裸眼のまま目を細めてこちらを見て、眼鏡をかけてから近づいてきた。 「どう?やっぱ似合わないかな」 「似合わない前提で聞かないでください。似合ってると思いますよ。かわいい」 「えっ、あっ、ありがとう」 先ほどはスカートに良い印象を持っていなかった気がしたので後ろ向きな質問をしたら、不意打ちでストレートに褒められてどもってしまう。 「いいんじゃないですか。たまにはそういう服も」 そう言った彼が風呂上がりの熱い体のまま後ろから抱きついてきたので私はびっくりしてリアクションせずにいると、茨くんはムスッとした声を出した。 「嫌なら嫌って言えばいいし、そうじゃないならそれなりのリアクションしてください」 「違う、びっくりしたの。このスカート好きじゃないみたいだったから」 抱きしめてくれている腕に手をかけるようにして応えながら呟くと、茨くんは耳元で「はっ!」と笑った。うるさくて思わずぎゅっと目を閉じる。 「いやぁ、あなたにはわからないんですねぇ。わからないでしょうねぇ。ぼーっとしてますから」 「えっなに?!突然の悪口!」 いきなり言われた悪口に反抗する為に体の向きを変えて彼の方を向くと、そこには不貞腐れたように唇を尖らせた茨くんがいた。 「普通嫌でしょう。別の男を愛している女になりたくて買ってきた、普段着ない女性らしい服を着て喜ぶ彼女とか。あんたはエトワールになりたいのかもしれませんが、ならせてやりませんよ。足引っ張って羽交い締めにしてでも止めてやります」 「は……」 「さっきの言葉が比喩なのは分かってますけどね。腹が立つんですよ。女性が推しにかけてくれる熱量を知っている分余計に」 ふん、と顔を背ける私の大事な大事な可愛い人は、どこまでもわかりにくくて困る。歪んだ性格なのは知っているけれど、嫉妬の仕方まで歪まなくてもいいだろう。私は一つため息をついてから、映画の中のようにシュウのエトワールになりたいのではない。私はあなたのエトワールでいたいのだと伝えたいけれど、どう考えても恥ずかしいセリフしか浮かんでこないので諦めてストレートに行くことにした。 「いや、私が好きなのは茨くんで、推しも茨くんだし。すきすき!このスカートも茨くんに見てもらいたくて買いました!」 「絆されませんから」 そう言って顔を背けたのが茨くんにとっても過ちだろう。彼の髪の隙間から見える赤い耳が、私の目の前に思い切り晒されてひたすら愛おしくなっただけなのである。 [prev][next] [Back] |