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敬人の吸血鬼パロ
2025/06/07 23:39

 まだ目覚めないか。

 自身が目を覚ましてすぐ彼女の方に目をやった敬人は、自分が腰掛けていたロッキングチェアのすぐそばにあるベッドの中で横たわる、彼女の規則正しい寝息に変化が無いことにとりあえず安堵の息をこぼした。ギィ、と軋み木の音を響かせながら揺れる椅子から降りて、ベッドのすぐ横に膝をつく。彼女の上に掛けてあるシーツは柔らかく上下しているが、伏せられた睫毛が持ち上がり彼女の瞳があらわになる事は無かった。

 それも仕方ない。と、敬人は彼女の髪を撫でる。土埃にまみれた髪はキシキシと指通りが悪かった。目を覚ましたら湯を沸かしてやろうと決めて、掛けたシーツを少しだけ剥ぐ。綺麗に胸の上で重なっている彼女の両手の指に、敬人はそっと触れた。すっかり冷たくなった彼女の指。『生前』の頃のような温かかったであろう温度を孕み、その指で敬人に触れてくれる事は昔も今も、もちろん未来永劫無い。

 仕方がない。やむ得ない。こうしなければ、彼女は死ぬ運命にあったのだ。


「……度し難い」

 怒りのあまり出た言葉は、乾いた喉に引きずられ、地を這いずるような声しか伴わなかった。彼女は敬人が住む森の入り口にある村に住み、シスターとして働く少女だった。敬人の存在は村人たちから恐れられ、月に一度ワインやチーズなどの貢物が所定の廃教会に置いてあるほどだ。彼らにとって敬人たちのような吸血鬼は異端の物で、恐怖の対象で、差別すべき存在なのである。

 吸血鬼といえど、敬人たちは分別の無い悪鬼ではない。狼などの野生動物の血があれば事足りるのだから、わざわざヘイトが向けられるであろう人など襲う必要もないのだ。しかしそれは吸血鬼側の言い分で、村人からすれば敬人たちはいつだって抑止力であり、邪道に生きるものなのである。

 そんな中、彼女はいつも廃教会に貢物を置く役割を果たし、その真っ暗な中で姿を見せぬままでいる敬人と二言三言と話す唯一の存在だった。話すと言っても

「ワイン以外に欲しいものはありますか?」
「いや、」
「わかりました。ではまたお持ちします」
 と、この程度のものだ。

 けれど敬人は嬉しかった。吸血鬼と言えど、形は人間である。同じ声帯を持ち、舌持ち、言語を話す。それが何より嬉しかったのだ。

「吸血鬼様はとても素敵な声をなさっておいでですね」

 姿を見せたこともない敬人に向かって彼女がそう言った時は、動いているはずもない心臓が一際跳ねた気がした。その感情が恋というものだということを敬人は一生涯知ることはないが、それでも彼女の存在は温かかったのである。


 ある時村に流行病が流行った。教会で働く者として必死に村人を看護をしていた健気な彼女はそのせいであっという間に病に罹患すると、あろうことか例の廃教会に捨てられた。吸血鬼と関わるような仕事を進んでしていたから移ったのだという、謂れのない罪によって。

 それを見ていた敬人はすぐさま彼女を拾って、自身が居を構える森奥へと帰った。許し難いという言葉を吐いて、彼女を抱えその村に背を向けた。あとのことは知った事ではない。きっと百年後には、全滅した廃村も元に戻っているだろう。歴史は繰り返すものなのである。
 流行った病は血液で感染する感染症だった。田舎の村ゆえ知識が豊富な医師もおらず、原因がわからないままただバタバタと人が死んでいく。彼女もきっと、看病の最中に患者が吐いた血液で汚染されてしまったのだろう。

「……血液を抜けば」

 彼女は助かる。敬人は呟いた。
ただそれは、ひとえに彼女の首筋に噛みつき敬人が血液を吸い上げる事で叶うものだ。吸血鬼が人間の血を吸う。それすなわち、人間を吸血鬼にする下法である。

 敬人はウロウロと悩む足を一度止めて立ち止まったが、それよりも良い方法は残念ながら無い、と判断した。病の蔓延る血液を吸うなど、敬人にも少なからず影響はあるだろう。

「そんなもの、構わない」

 敬人はぐったりとした彼女の首筋に深く噛みついた。グッと牙を食い込ませ、じわじわと滲んできた彼女の血液を喉を鳴らして飲んだ。

 病に侵された血液は、敬人の舌をピリピリと刺激したが、構わなかった。彼女よりも苦しむ時間は確実に短い。不死の吸血鬼ゆえ、自浄作用が働けば元通りになるのだ。それまで一通り苦しむだろうが、耐えればいい。

 あんなにも優しい彼女を、ここで死なせるなんて敬人には出来なかった。たとえその選択が間違っていると分かっていても、正解の道だけは、選べなかったのである。


「蓮巳くん」

 部屋の扉が開いて、紅い瞳がこちらをのぞいていた。敬人は一度立ち上がり彼の名を呼ぼうとしたが視界がグラリと揺れて、平行感覚を奪っていく。

「さくまさ、」
「おっと、危ない」

 サッと出された零の腕に抱き留めてもらい、なんとか自身の力で立つ。自分の血管を這う汚染された血液が暴れる感覚に一度目を細めると、それを見た零は深いため息を吐いた。

「……そこまでしなくともよかろう、蓮巳くん。我輩たちとて、状況によっては死ぬこともある」
「たかだか人間の病だ。そうやすやすと死ぬまい」

 そう言った瞬間、敬人のカラカラの内臓が激しく暴れ出す。思わず顔を背け、咳き込むとどす黒い血を吐いた。それを見て敬人はホッとする。先ほど吸い上げた彼女の汚染された血液が毒素となって出てきているのだ。そろそろ敬人の身体も快方に向かうはずである。

「その子が望んだことなのか」

 零の言葉に、敬人は一瞬身を固くした。誰に頼まれたわけでは無い。ただ自分の身勝手で、彼女を下法に落とし、人ならざるものに変えようとしている。

「これしかなかった」
「……」
「あれだけ村の者に尽くしたというのに結局虐げられて終わる人生など、彼女に辿って欲しくなかった」
「傲慢じゃな、蓮巳くん。吸血鬼らしい言い分じゃ」
「わかっている」
「じゃろうな。もう過ぎたことはよい。彼女が人間にもなれず、吸血鬼としても不完全な存在にならぬよう、ちゃんと見ててやるのじゃぞ」
「もちろんだ」

 パタン、と部屋の扉が閉まった。敬人はふらふらとまたベッドに近づき、彼女の冷たい指に触れる。その瞬間、ピクリと指が動いた。素早く彼女の顔を見ると、ゆっくりと目が開かれる。まだ意識が半分ほどしかないのだろう。ぼんやりとした視線はふらふらと所在なさげにうろつき、やがて敬人を捉えた。

「大丈夫か?」

 予想以上に優しい声がまろび出た。その事に気づきもせずに、敬人は彼女の青白い顔を覗き込む。

「……」

 彼女の乾いた唇が何か言おうと震えている。敬人は指だけではなく手を握り「なんだ?」と囁いた。
 その瞬間つ、と彼女の目から涙が溢れ、声を出さぬまま何か呟いた。


「死なせてくだされば、よかったものを」

 彼女が目覚めた事に対する歓喜が勝る敬人に、声なき声が聞こえるはずもない。



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