TOP > 更新履歴 > 記事

凛月の平安パロ
2025/06/07 23:47

 月が美しい空を御簾越しに眺めていたら、いつだって彼は囁くような、でも気の抜けたような声で「もしも〜し」とやって来る。男の方が女性の部屋に突然やって来ることはよくある話だから、私はそっと御簾を開けて彼を招き入れた。黒髪に紅い瞳が美しい私の許嫁は、夜になると少しだけ体調がいい。

 けれど彼の性質は、残念だからこの世(せ)に少しだけ、噛み合っていなかった。


「文(ふみ)、書かなくていい?」

 はぁ。としか言いようがなかった。この国での男女の交わりなんて夜這いか文のやり取りくらいしかないのに、彼はその一つを見事に削ぎ落とそうとしているのだ。

 理由は面倒だからだって。そんな言い訳聞いた事がない。
 朝廷で大きな力を持つ朔間家の次男である凛月様との結婚が決まったのはついこの間。正式な婚儀はまだ先だというのに、彼は既にこの結婚を『面倒なもの』と捉えているのだろうか。だとしたら私の未来は真っ暗だ。皆、歌を書いた文で相手の感性を知り、そこに惚れるものなのに。確かに凛月様の顔は美しいし、朔間家と結婚することによって朝廷での父の権力も強固なものになる。だからこれでいいのだ。私は彼の言うこと全てに頷いていればいい。

「……承知致しました」
「いいの?」
「構いません。ただし私からは文を送らせてくださいませ。今宵のように誰にも告げずに突然部屋に来られても、その、困りますゆえ」
「うん、それはいいよ。女の人は色々あるでしょ」

 昼はどうしても頭が回らないから文なんて書けないの。と言った凛月様は、堂々と私の部屋の御簾を開けたまま三日月を見た。本来なら周囲に隠れて行うはずの逢瀬なのに、大胆な夜這いである。

「でもそれじゃああんたも味気ないでしょ」

 正直にはい。と頷いてしまった。だって、文をもらう事は愛の囁き合いのようなものなのにそれが無いなんて辛い。これが父の為の結婚なのはわかっているし、お相手は側室を沢山作ってもおかしくない身分の方だ。美しい容貌に喉の奥をくすぐられるような声は数多の女性を虜にしているに違いない。

 たとえ私がそんな数多の女性の一人だとしても、甘栗一粒程度の甘露は欲しい。私は私として、幸せになりたいのだ。

 すると凛月様はすすす、と音もなく私に近づいてきて、おもむろに頬に触れてきた。驚いて身動き出来ない私を見て楽しそうに笑うと、指の腹で頬を撫でた。
 くすぐったい感覚と、彼の指の慣れぬ感触に私は即座に頬を熱くする。

 月を背景にした凛月様は、息を呑むほど美しいのだ。

「俺がここに来た時は歌を歌うよ。だからあんたも琴を弾いて。一緒に歌うのが、俺があんたをちゃんと愛してる証拠って事でいい?」

 私は驚いて声が出なかった。この人、私の事を愛していたのか。

「は、はい。歌ってくださるのですか」

 朝廷でも有名な話らしい。朔間家の兄弟二人に歌を歌わせると、天女でさえ嫉妬して空に帰ってしまうのだとか。

「今日は夜風も気持ちいいし、月も俺も機嫌がいいから」

 琴ある?と聞かれ、私はすぐに近くにあった琴を取る。夜だから手元は暗く、ほんの小さな灯りしかない。その中で琴を弾くのは至難の業だけど、きっと大丈夫。琴を弾く事だけは凛月様がこれから作るであろう数多の妻たちの中でも、誰にも負けない自信がある。

「そうだねぇ。あの歌知ってる?桜のやつ」
「えっと……はい」
「うん」

 桜のやつ、とは最近流行っている恋歌だ。有名な歌人が曲水の宴で詠ったものに節をつけたのだとか。

 琴を鳴らす。夜だから、音色は澄んだ空気に溶ける。それに合わせて琴よりも繊細に空気を震わせる凛月様の歌声が、ふわりと彼の香と混ざって、風に乗った。
 歌を歌うのが、愛している証拠。
 彼はそう言った。それを体現するくらい甘くて情熱的な歌声に、私は極上の文をもらうよりも一層体を熱くしたのである。



[prev][next]
[Back]

Copyright (C) 2016 PB All Rights Reserved.