アクアリウム・セラピー

「おれを癒してくれ〜〜!!!!」
電話口の開口一番、彼はこう宣った。

相も変わらず、月永レオ(別名も込みで)の楽曲は世に放たれあちこちで流れている昨今、世に出る楽曲はあふれんばかりだけれど、それを作っている人間は残念ながらたった一人なのは当たり前ながらそこそこ深刻な話だったようだ。

「だめだ!!あれだ!!おれにも繁忙期ってやつ!!」

どうやら複数名の名前を使っていたせいで依頼が立て込んでしまったらしい。
同年代の人間の中ではトップを張るのではないかと思うほどお忙しいレオくんは不健康にも仕事があればあるほど引きこもりがちになってしまうので、私とルカちゃん、それにたまにレオくんのお母さんが様子を見に行く事で衣食住がまともなまま仕事ができているようだった。

しかしそんなこと彼のお母さんからしたら慣れっこのようで、たまに冷蔵庫を覗くと私の分のお惣菜と一緒に「なまえちゃんもよかったら食べてね」という日付入りのメモまで残してくれる。鉢合わせる事はあまり無いけれど、有難い限りだ。

私も少しバイトを減らしてレオくんの世話をする事に専念しようと思うものの、残念ながら私にも私の生活がある。なかなか様子を見に行けなくて、メッセージを送って既読が付けば生きてるな。などと不謹慎にもホッとしてみたりする中、冒頭に戻るのだ。

「えっ、どうしたの?仕事、終わった??」

「終わるか〜〜!!世界が終わるかおれが終わるか選択肢はこの手に委ねられている!!ってくらい終わらない!!もっと妄想してみて!さっきの言葉からおれの言いたいこと紡いでみてっ!そしてそのエネルギーを地球に分けるんじゃなくて全部おれにくれ〜〜!」

いつにも増して言っている意味がわからない。
これは相当キているな。と判断して、私は少し優しめに話しかけてみる。

「えっと、大丈夫?ご飯食べてる?」

「食べてる!!」

「よかった。とりあえず安心したよ」

寝食を犠牲にするのは本当に体に良くない。それで倒れたり夏場には熱中症みたいなものを併せて発症させたりと、手がかかるけれどとりあえず寝と食どちらを優先すべきか、みたいな究極の選択の場合は食…というか水分を取っていれば安心、みたいなギリギリぶりを発揮している。勿論睡眠不足は本当に良くない。最悪死んでしまう事もあるので心配ではあるのだけれど。

「睡眠は?寝てる?」

「今日何日…?おれ、最後に風呂入ったのいつ…?」

「おわ」

思わず本音が漏れてしまった。それくらい忙しいという意味なのだろうけれど、出来れば清潔にもしていて欲しい。あんなに顔が綺麗なのに、そもそも普段からあまりその辺に頓着しないのは困りものだ。とにかく私に電話が来たという事は仕事が終わっていないにしろ、少しだけ余裕が出来たのだろう。ここいらで彼の衣食住を整えねばと、私も謎の使命感を背負って口を開いた。

「じゃあレオくん。私これからお家行くからさ、少し寝て待っててよ。掃除とかはしなくていいし、ご飯も私が作るから」

「ほんと?!」

「うん。だからお風呂だけは一人で入らないで…そんで出来れば窓開けて換気を…」

恐らく1日2日どころではないレオくんの入浴レスをどうにか解消させたいが、一人の時に風呂に入られて倒れてしまったらと思うとゾッとする。ならばせめて籠りまくってるであろう空気の入れ替えをお願いして、それで頭がスッキリしてくれればいいな、というのが7割、部屋の中の空気が絶対悪いだろうから少し改善してて欲しいと思うのが3割だ。

「ほんとにほんと?来てくれる?」

すると少しばかり弱ったような声でレオくんがボソボソと呟いたので、これは大分疲れているな。と判断した私はその日バイトが無いことを再度確認すると彼の家へと急ぐことにしたのだ。もはや彼女業というよりお母さん業だが、その辺は私の中で解決しているので問題ない。彼が頼ってくるのは甘えている証拠なのである。ちなみに本物のお母さんにはわりと素っ気ない対応をしているのを私は知っている。男の子あるあるなのか、なんとなく微笑ましい。

「わかった。食べたいものある?胃の調子とか悪くない?」

「辛いものはやだ…あっ、チャーハン食べたい」

「す、すんごい簡単なものリクエストするね…手がかからない…。おっけー、今日はもう授業無いし今から向かうね」

「ありがと、待ってる」

「は〜い」

そう言って通話を切って、私は足早に校門へと向かった。久々に会うのも嬉しいのだが、どんな形とはいえ好きな人が甘えてくれて求められるのは何より嬉しい。少しばかりにやけてしまう顔をなんとか抑えて、私はアプリで最短の電車乗り換えを調べたのだった。


レオくんの家の最寄駅のスーパーでとりあえずチャーハンの材料と、中華スープも作ろうとその材料も買い込んで、ついでに彼の脳に甘いものでも摂取させようとスイーツも買って彼のマンションに合鍵を使って入った。

「おじゃましまーす…」

寝ておいて、と言っておいたのであえてインターフォンを鳴らさずに入ってみると、やはり若干部屋の空気が篭っている感じがする。やはり換気は出来なかったか…と少し諦めて彼の仕事部屋を覗けば、レオくんはいなかった。

「あれ?」

これはどこかで力尽きたか?と彼を探そうと足を踏み入れた所で、バスルームの方からドタバタと音がした。

「なまえっ!」

「うわっ」

バスタオル一枚で飛び出して来たレオくんは、どう見ても不健康そうな顔をしているのに妙に元気だった。ランナーズハイとはまた違う、徹夜し過ぎてちょっとネジが吹っ飛んでる状態なのかもしれない。そんな状態の彼の事を勝手にクリエイターズハイと呼んでいるのだが、今がそれなのかもしれない。そんな中風呂に入ったのか、と私はほぼビショビショなままこちらへ突撃してきた同い年の男の子をまるで幼稚園児のように叱った。

「そんな状態で一人でお風呂入っちゃダメって言ったじゃん!中で気絶しちゃったらどうするの?!」

実際彼は実家にいた頃二、三回それをやらかしたみたいで、その話をルカちゃんや二人のお母さんから聞いていた私はだからこそ念を押して風呂にはまだ入るなと言っておいたのに、やはりネジが吹き飛んだ彼にはこの話は届かなかったようである。

「う、だってなまえにくさいって言われんの嫌で…」

今更そんな乙女心出されても…とも思ったが本気でへこんでしまったので、残念ながらその乙女心に絆されてしまった私は一つため息を吐きながらバスルームに戻って髪からポタポタと滴の垂れるレオくんの頭をワシワシを拭いてから、着替えるように促した。その隙に別のタオルで彼が濡らしに濡らした廊下の床を拭き、タオルを洗濯機に放り投げる。彼も彼でクリエイターズハイのせいで立派な幼稚園児だが、私も私で立派なお母さんである。

「レオくんちょっと寝てきなよ。私掃除したり換気したりご飯作ったり換気したりするから」

「おまえ換気って二回言っただろ。そんなにこの部屋くさい?」

「なんていうか…空気が籠りまくっててやばい」

「そんな事言うならふて寝するぞ!いいんだな!おれ寝るから!」

「はいどうぞどうぞ。お仕事の目処がついてよかったね。お疲れさま」

寝られる上に私を呼べる余裕が出来た、ということはやはり仕事自体が終わったわけではないけど多少の目処がついて一息入れられるという事だ。何やらモゴモゴ文句を言いながらもほぼ目が死んでるレオくんを寝室に押し込んで、私は部屋の換気だの掃除だのを済ませ始める。チャーハンが食べたいと言っていたのでその下準備と中華スープの素に全幅の信頼を寄せたスープを作ってから、私は休憩とばかりにダイニングに座った。下手したらこのまま明日の朝までレオくんは起きない可能性もあるので、そしたら自分の分だけ食べて今日は帰ろうかな。と思いながら私も段々とウトウトしてきてしまった。時計を見ると時刻は17:00を回りそうなところである。ちょっとだけ、と思いながら私もリビングのソファに移動して横になると、そのまま眠ってしまったのだった。




やがてふと目が覚めた。無意識に瞼をゆっくり開くと、珍しく髪を縛ってないレオくんが私の寝顔をじいっと見つめている。

「ギャッびっくりした」

「おはよ」

「お、おはよ…なんだ、もう起きちゃったの?」

無意識に視線を時計に移せば、まだ19:00だった。あれから2時間と少ししか寝ていないではないか。

「お腹すいて起きた」
「なるほど」

それは仕方ない。と、私は起き上がった、が、そのままソファに倒れ込む。レオくんがのしかかってきたからである。そのままソファの上によじ登った彼は、全身で私の身体をホールドしにかかった。

「は〜〜おれの癒し…」

そう言って頭を私の肩口にグリグリとしてくるので、頰の辺りに彼の男の人にしては長い髪がもそもそと揺れてくすぐったい。お風呂に入ったばかりだからか、清潔なシャンプーの匂いが時々鼻をかすめる。

「あっ、待って私汗くさいかも」

彼と違い大学に行ってあれこれと活動してきた私はいくらシートで拭いてみたりしても汗の匂いは取り切れていないだろう。恥ずかしくて身をよじったけれど、ガッチリとホールドされているせいで動けない。

「別に汗の匂いはするけどくさくないぞ」
「ギャッやめてよ嗅がないで!!」

先程よりも一層、私は身をよじる。レオくんが「くさいって思われたくない」と言っていたが、私も同じなのだ。こちらは女な分余計である。

「でもなんか汗の匂いってちょっと興奮する」
「は?!なんで?!」

嗅がれたくなくてそして意味がわからなくて、私は半ば半分怒りながら彼を見れば何故かレオくんは随分冷静な顔で、むしろ真顔で宣った。

「だってセックスの後汗かくから。なんかよく嗅ぐ匂いっていうか」
「?!」

まさか突然そっち方面に話題を持って来られるとは思わなくて、私の思考は一時的にフリーズを起こす。が、レオくんはいつもの無邪気な笑顔でぐい、と距離を詰めてきた。顔が一気に近くなって、私はぎくりと肩を揺らす。

「なんかそんな事言ってたらちょっとムラムラしてきたっ!なんでだと思うっ?!妄想して!想像してっ!」
「やだよ知らない!!ちょっ、やだやだ」
「やだって言うなっ!ダメならいいけどやだはやだ!!」
「子どもか!もう離れて!って脚にね、当たってるんですよ!!どうにかしなさいそれ!!」
「わはは!多分疲れナントカってやつ!!」
「嘘!?やめてってば!!」
「充電させてっ!」
「充電ならご飯でして!!!」

結局今日の勝負は私の大勝利だ。なんとかソファからレオくんを転げ落とすと、私はキッチンへと逃げた。少し時間が経ってから渋々、と言った感じでキッチンに来たレオくんに、私は小さな声で「仕事終わったら泊まりにくるから」とありったけの勇気で言えば、それが彼の中でいいエンジンになったのか予定より早く仕事を片付ける事が出来た、らしい。

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