メイク・ルージュ・アクアリウム
お母さんがいきなり、何の気なしにデパートの商品券をくれた。どうしたのこれ、と聞けば懸賞で当たったものの一部だと言う。
あんたいっつもドラッグストアで化粧品買ってるんでしょ。お母さんが学生の頃はブランドのルージュの一本や二本…から始まり、最後にはちゃんと普段からオシャレして小綺麗にしといて今の彼氏を逃さないようにしなさい。と締めた。多分私に伝えたかったのはこっちだ。彼氏がいるということ自体にわりと渋めの顔をしているお父さんと違い、お母さんはレオくんを義息子にしたい魂胆がいつだって見え見えである。海老で鯛を釣る、くらいの気持ちでいるに決まっている。単純にミーハーな気持ちでいるのだろうけど、応援されないよりマシだろうと私は素直にお礼を言った。
さて、そう言われても普段お母さんの予想通りドラッグストアで化粧品を選ぶ私がいきなりハイブランドの化粧品について詳しいわけがない。でもきっとお母さんのことだから、買った物を見せて証明しないと満足しないだろうから財布の中にある商品券は化粧品に変わることが決定している。
ファンデーションみたいな継続して使うものは買えないから、買うならポイントメイクに使うリップやシャドウ、チーク辺りだろうかと考えながらスマホでぐるぐるとサーチしていると、以前友達がおススメしてくれたリップが出てきた。パッケージが可愛かったのが何となく記憶に残っているので間違いないだろう。その時友達が付けていた色は私では確実に似合わないから、カラーバリエーションも合わせて更に調べてみると少し気になる色味を発見した。値段も商品券で足りそうな額である事を何度も見直して、私はその商品の画像をスクリーンショットしておいてその日はベッドに潜り込む。今度の休みにでも買いに行く事を決めたのである。
「…あ、デパート行かなきゃ…」
結局水曜まで覚えていた例の化粧品の件は木曜にはすっかり頭から抜け落ち、土曜にレオくんの家に着いて一泊してからようやく思い出した私は無意識に声に出した。
「デパート?なんで?」
無事納品を終えて、一昨日これでもかと眠ったらしくこの週末はいつもよりちょっと元気そうなレオくんが首を傾げた。いつも短納期の仕事をしているイメージがあるのは私の気のせいなのだろうか。あまり無理して欲しくないけれどなんだかんだ作曲作業している時が一番イキイキしているのを私は知っているので彼が死なない程度の生活の後押しをしておくに限るのだ。
あのね、と私は彼に事情を説明する。お母さんがレオくんを義息子にと画策しているのは勿論伏せた。そんな所まで話してしまったらただのプロポーズだ。恥ずかしいどころの騒ぎではない。
「へー!お前のお母さん応援してくれてるんだなっ」
「その内会わせろって言いだしたらごめんね…ミーハーなのようちのお母さん」
「ん〜、それは全然いいけど…うちのルカたんもなまえにまた会いたいって言ってたし」
「え〜!ルカちゃんにはすごく会いたい!今度二人でお出かけしたいなぁ!」
「えっなんでおれのこと抜いたの…?そしたらおれもお前のお母さんと二人で出かけてもいいのっ?!」
「いいよ別に。好きにして」
そうじゃない!!と勝手に暴れだしたレオくんを放置して、私はスマホで化粧品を再度調べる。商品券が使えて、なおかつレオくんの家の近くにあるデパートに目当ての店が入っていればラッキーだと思ったのだ。
「おっ、あるある…」
「ん?目当てがもう決まってるの?」
「うん。友達がおススメしてくれたんだ。パッケージもかわいいし」
「ふーん」
私のスマホ画面を覗き込みながら、これだよと気になっている色を指差せば、レオくんが興味津々なようでぐっと顔を近づけてくる。
「近い近い」
「いいだろ別に!へ〜化粧品ってデザインも凝ってるんだな〜…」
まじまじと、まるで未知との遭遇を果たしたかのようにスマホの画面を見ていくレオくんに、今度は私があれ?と首をかしげる。
「レオくんだって、アイドルだったんだから化粧品の一つや二つ使ったことあるんじゃないの?」
女の子のアイドルならともかく男の子ががっつりとメイクしているイメージはないが、少なくともベースメイクくらいはしっかりとやってるイメージがある。だって彼らのライブ映像に映るアイドルみんな、肌が綺麗過ぎた。カメラの補正もあるのかもしれないけれど、私の高校の男の子達は日焼けのせいもあるのかそんなにゆで卵みたいな肌の人っていただろうかと思わず逡巡してしまう。仁兎くんとかどうみてもすっぴんなのに隣の席という接写モードでも恐ろしいほど肌綺麗だし。
するとレオくんは斜め上を見ながら記憶をなんとか掘り起こしてくれた。
「ん〜…大体はフェイスパウダー程度だけど、立つステージによっては少しアイライン引いたりもするかも。おれは気付くとセナかナルがやってくれてたから化粧品のパッケージまで見たことないし」
「て、手厚い…!」
この人たとえグループのリーダーといえど、一体どれだけ大事にされていたのか。というより余りにもレオくんがチョロチョロするからレオくん自身にやらせるより取っ捕まえて手を加えちゃう方が早かったのか。恐らく答えはどちらも正解だろう。セナさんは既にお母さん免許皆伝だな。とあの透明感のある美貌を思い出す。ナルさんはよくわからないけれど。
「…レオくんて、つくづく愛するより愛される派だよね」
「…ん?どういう意味??」
「ん〜ん。アイドルの頃はさぞかし愛されキャラだったのでは…と思って。今も割とそうだし」
彼が何もしなくてもみんなが思わず構ってしまう、気にかけてしまうというのはもはや天性のそれだ。するとレオくんは声のトーンを少しフラットにして、目を伏せる。
「……別に愛されキャラじゃないし。証拠におまえのこと好きって自覚してからはおれ自分でもビックリするくらいグイグイだったと思うけど」
「え、え〜…そうだっけ?」
「うん」
伏せた目線を不意にあげ、私と視線をぶつけてくるのは、いつも少し困る。彼の真剣になった時のキリリとした瞳とそのギャップには付き合う前から弱いのだ。
「ま、まぁ、とりあえずそれは置いといて…」
「置いとくなよ。口説いてんのに」
あ、だめだ。と私の経験が警鐘を鳴らしている。このまま流されて流されたらまた月曜まで泊まりになってしまう。
「い、いいい、今口説かれても靡かないんで却下!とりあえず私はデパートに行かなきゃいけないし、今日は家に帰らないといけないの!」
だんだんと近づいてきたレオくんをぐいーと押して、私はなんとか反抗の意を示した。そんな私をつまらなそうに見つつもため息を吐いて少し体を引いてくれるのは呆れや落胆ではなく、私への気遣いだ。
「…なまえと一緒に住みたい」
「私が大学卒業したらね」
私の答えがわかっていてこんなワガママを言ってくるのはいつもの事だ。私の返事に素直に頷いてくれるのは、私が大学を卒業した先も一緒にいてくれる約束みたいですごく嬉しい事は秘密である。
とりあえずあのまま家にいるとまた似たような雰囲気になりそうな気配を察した私はレオくんを連れて外に出た。軽く変装をさせたのは勿論私なのだが、きっとセナさんもナルさんも私と同じような感覚で彼の手伝いをしていたのだろう。いつか『月永レオをうっかり手伝ってしまうの会』でも開いてみたいな、なんて思ったが生憎一般人なのは私だけなので開催するのは限りなく難しそうである。
「隣の駅のデパートでいいの?」
「うん、いい。気になってるお店入ってたし」
「化粧品売り場なんて通りかかるくらいした事ないからちょっと楽しみ反面ちょっと恥ずかしい!なまえの後ろちゃんとついて行こうっと」
「いや、レオくんなら多分私より溶け込めるよ安心して」
多分仁兎くんなんてそれ以上に溶け込むだろうし。と付け加えようとしてやめた。高校時代どうだったのかは知らないが、レオくんは随分と仁兎くんをライバル視に近い何かを抱えているっぽいし。
「ふんふふ〜ん、いい霊感湧きそう!」
「それはよかった。けど化粧品売り場の匂いって男の人は苦手だろうから無理しないでね」
「それはアイドル時代の化粧で慣れたから平気!」
ならよかった。と笑いかけた私だが、そこでふと先ほどの彼の発言を思い出す。
「そういえばレオくんがさ、さっきメイクはパウダー程度って言ってたけどそうなるとアイドル科の男の子の顔面偏差値やばすぎない??右見ても左見ても美肌のイケメン??」
「だってアイドル科だし」
「ひぇ…」
女の子なんてそれこそメイクで結構変わるのに、男の子の素材勝負っぷりと言ったらとんでもない。
「ねぇねぇ今度卒業アルバム的なやつあったら見せて」
「え〜…いいけど実家にあるぞ」
「あっじゃあルカちゃんに持ってきてもらってルカちゃんと見たい」
「んん、んんん〜、べつにいい、けど、おれ全然写ってないよ」
「いいよレオくんの顔はいつも見てるから。どっちかというと他の子見てみたい」
思わずそう言ったら拗ねてしまった。この独占欲はアイドル故か私が相手だからかは生憎判断し難いけれど、かわいいのでもはやどっちでもいい。彼に早く行こうと告げてから手を取って歩きだすと、先ほどの僅かな不機嫌さはどこかへ飛んでしまったようだ。もちろんさっきの私の発言は照れ隠しで、一番見てみたいのは高校生の頃のレオくんなのであるが、それはもう言わなくてもいいだろう。
「じゃあ今度代わりになまえの卒業アルバムを見せて!見せ合いっこな!」
「いいけど私あんまり変わんないよ」
「なまえが高校の制服着てるってだけでなんかこう…ドキドキするから充分」
「普通に変態じゃん」
しかしそれについては概ね同感なのが恥ずかしい。私は同意せずあえて彼にツッコミを入れるという卑怯な手を使ってその場を逃れたのである。
デパートに来るのは、ついこの間レオくんと地下にケーキやらを買いに来た以来だ。あの時はまっすぐ地下の方へといったのだが、今回はエスカレーターへ行かずに入り口から真っ直ぐに進む。ブランド物の財布やカバンを売っているお店を突っ切って、化粧品独特の香りがする華やかな売り場へと足を進める。一応ちらりとレオくんの方を見たけれどこの匂いに酔ってしまった様子はなく、むしろ新しい世界にやってきたかのようにあちこちに目を輝かせている。
「迷子にならないでね。目立つからすぐ見つけられそうだけど」
あんまり目立たれても困る。ていうかこれだけ若い女の子が多いのだからレオくんの元ファンがいないとも限らない。私はさながら警備員ように周囲を警戒し始めたが、当の本人は気楽そうだ。
「大丈夫だろ。自然にしてた方がバレない」
そんなもん?と彼の顔を見れば、様式美程度の変装用眼鏡の奥でレオくんがにかりと笑ったので、一先ず私は彼を信じることにした。早く目当ての化粧品を購入してこの場を離れた方が得策だろう。私は気になっていたブランドの売り場まで行くと、店頭に出ているアイシャドウやリップのテスターを覗き込むように見つめる。値段的に今の私ではなかなか手が出ないけれどよくネットを見ていると憧れの気持ちが湧いては溢れていく。偶然とはいえ商品券をくれたお母さんには感謝しなければ、と、調べて来たリップを繰り出して色味を見た。
「うーんやっぱこれかわいい…これにしようかなぁ」
本来ならBAさんにお願いしてタッチアップしてもらった方がいいのだけれど、レオくんを待たせるのも申し訳ない気がしてちらりと彼を見る。すると向こうも私を見ていたようでバチリと目があった。
「なんだ?」
「あ、ごめんね。悪いんだけどこれ試したいからちょっと待ってくれると嬉しいんだけど…」
「いいぞ。あとな、この色も試してみて」
そう言ってレオくんが指をさしたのは、私がチェックしていたものよりもワントーン明るい色味のものだった。
「え、えぇ〜、こんな色が強いの大丈夫かなぁ」
「いいから」
な?と珍しく念を押されたので仕方なく私はBAさんにタッチアップのお願いに行った。タイミングよくすぐ通してもらえたのでドレッサーの前に座れば、レオくんが後ろでガッツリ見守っているのが鏡ごしに見える。
BAのお姉さんがまず私がチェックしていた色を塗ってくれる。予想通りというかいつもの私ではあるが、ツヤや発色はやっぱりすごくいい。お姉さんがお試しに、とニュアンサーを上から重ね付けしてくれたのだが、そうすることでリップの元々の色味に微かに動きが出て、心持ち大人っぽく見えるような気がして大いに心が動いた。鏡ごしにレオくんが見ているが、あんまり興味がないのかぼんやりとしているようで、ワガママながら少しだけ寂しい。
私の顔が十人並みなのは明確な事実だけれど、彼氏にはほんの少しだけ興味を持ってもらいたいのは決して変な感情ではない筈だ。
「じゃあ次はこのお色ですね〜」と、明るい声で言うBAのお姉さんに少しだけ暗いテンションで返事をしながら、今度はレオくんが選んでくれた色をつけてもらう。色味がやや鮮やかすぎるので私一人なら絶対に選ばない色だ。
「わ、お似合いですよお客様」
しかし綺麗にリップを塗ってくれたお姉さんが明るい声で言ってくれたのを確かめるように鏡を見れば、自分で選んだものより明らかに顔色が映えて見えた。
「え、うそ本当だ。こっちの方が顔色良くみえる」
「いいな!それにしろよ!」
ここでようやくレオくんが感想を言ってくれた。やや楽しそうに私の肩を叩く彼の反応が嬉しくて、私は何日もネットで調べて目を付けていた色なんてあっという間に候補から外す。お姉さんにこれください。と伝えれば、ありがとうございます。という言葉のついでに彼女はレオくんを見るとにっこり微笑んでから言う。
「お友達は何かお試しよろしいですか?」
思わず吹き出す私。カスカスの枯れた声で「大丈夫です…」と伝えるレオくん。首を傾げながら私の買ったリップを包んで会計をするBAのお姉さん。カオスな空間である。いっそ元ファンにでもあって騒がれた方がよかったのかも、しれない。
「久々に間違われた…」
帰り道呆然と呟くレオくんに、私は冷や汗を一つ流す。ごくたまに間違われたと騒いでいる事もあるが、ここ最近は背の高い女の子も多いし肝心のレオくんは女の子寄りの顔立ちだから仕方ないといえば仕方ない。
「ま、まぁ最近は男の人でもがっつりお化粧する人もいるし…その、ごめんね?付いてきてもらわなければこんな事には…」
「んーん。それは慣れてるからべつにいい。でもなまえがチェックしていた色味より今日買ったやつのほうが絶対似合うと思ったから買いにいくのどうしても付いて行きたかったんだ」
「ん?え?そうなの?」
間違われ慣れというのも悲しいものだが、それより気になる事をポロリと呟いていた。私はどちらかというとそっちの方が気になってしまい、言葉を拾い上げる。
「だったら事前にこっちの方がいいって言っててくれればよかったのに。そしたら付いてきて女の子に間違われることなかったかもよ?」
するとレオくんは途端に目をキラキラさせ始めた。
あぁずるい。彼は時折こういう顔をして、とんでもない事を言う。
「いーの!もうそんなものどうでもいい!おれが選んだ口紅を彼女が塗るってシチュエーションになんかグッときたっていうかムラムラきたから絶対一緒に行ってその場でおれが選ぶ必要があったんだ!」
「……まだ昼間な上にここ外なんですけど…」
げんなりする私に反して、残念なことに彼のボルテージは上がり始めてしまった。やはりこれはダメだ。と思いながら私は彼の口上が始まるのを覚悟しつつ困ったように頰に手を当てる。きっととんでも無い事を言うに決まっているのだ。
「あははは!おれは最高に気分がいい!!また一歩なまえがおれのものになってくれた感じっ!いや元々おれは全部なまえのものだけど!痛みのない傷痕を背中に残していくような!紙にインクがじわじわ染み込んでいくような鳥肌モノの快感っ!あぁ〜霊感が降り注ぐっっ!おれ帰って作曲したいから帰る!けどなまえとも一緒にいたいから今日はやっぱ帰らないでうちに泊まって!お願い!」
ほら、恐ろしくとんでも無いことを言った。けれど残念ながらこの呪文のような、そして時折呪いような口説き文句はこれまた残念ながら私には効果絶大で。今私の脳内はお母さんに連絡して今日も家に帰らないと言おうかどうか悩んでいる。多分お母さんに言えば、泊まってらっしゃい学校には行くのよ。といったような返信が来るのも、実は、分かっている。
つまり答えは一つしか無いのだ。
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