アクアリウム・サーチ

「あっはっは!すごい!すごいぞ!今のおれならバッハと同じ高みへと登れる!指を咥えて見ていろモーツァルト!追い越してやるシューベルト!これからもよろしくヴィヴァルディ……!!」

 久々に見るレオくんの作曲中のトランス状態に驚いたのも束の間、彼は一通り楽しげに音楽家の名前を羅列しながら床に寝そべりペンを走らせ、そしてそのまま静かになった。チラッと彼が下敷きにしている紙を引き抜いて見れば、楽譜の端に「fine」と書かれており、ついでに自分のサインがしてある。これは仕事が完了したと解釈していいだろう。

「レオくんレオくん。ここで寝たら風邪ひくよ。お布団行こうよ」

 冷房が効いた部屋の床でうつ伏せのまま眠ってしまったので一応体をゆすってみたが起きる気配はない。私は諦めて寝室からタオルケットを持ってきた。完成した楽譜を下敷きに寝ているので足を掴んで引きずって紙からレオくんをどかし、それをテーブルの上に置いておく。作品を完成させた時点で彼の頭の中には既に紙に書かれたものと同じ楽譜があるだろうけれど、折角書いたものを寝ている間に垂らしたよだれでダメにするのも勿体ないと思ったからだ。

「ようやくひと段落なのかなぁ」

 誰も答えない問いをひっそりと呟いて、私はコーヒーを淹れるべくキッチンへと移動した。勝手知ったる彼の家なので、ドリップのコーヒーをポタポタと落としながら床で眠るレオくんを見る。明日は夜から仕事だと言っていたので、それまではゆっくりさせてもらう気でいた。先程テーブルに置いた出来立ての楽曲をちらりと見せてもらう。沢山の音符の重なりに、ピアノなどを使わず脳内の楽器でこれを書いているのだと思うと、彼は本当に天才なのだということを実感する。


「んっ?!」
「あ、起きた」

 暫くしてレオくんが突如一つ呻いてガバッと起き上がった。起きた瞬間自分がどこにいるか分からなくなったのか、キョロキョロと辺りを見回してから私と目が合い、すごくホッとした顔をしている。母猫を見つけた子猫みたいでなんだかかわいくて、私はコーヒーカップを置いて彼の側にしゃがんだ。

「大丈夫?まだ寝る?」

 寝るならお布団行こうよ。とタオルケットをいじると、レオくんは首を横に振った。

「んーん、夜寝るからいい。おはよう」
「はいおはよ〜」

 セナみたいだな!と笑われたけど、言ってる意味がよく分からなくて曖昧に笑い返しておいた。瀬名さんとはそこまで話した事がない。

「コーヒー飲む?」

 うん。と頷いてくれたので準備すべくキッチンへと戻る。お湯を沸かし直していると、レオくんが冷蔵庫から何かを取り出した。実は彼の家に来て冷蔵庫を開けてから気になっていた箱を彼が取り出したのだ。

「これおやつに食べよ」
「買ってきてくれたの?」
「うん。なまえシュークリーム好きだろ」
 
 ほら。と箱を開けて見せてくれたのは、有名店のシュークリームだった。生クリームが高く盛られたそれは、見るだけでよだれが出そうである。

「わぁあ〜嬉しい!ありがとう!」

 私がシュークリームを好きなのを知っててくれたのが嬉しい。と同時に、そういえばレオくんは私の好物をよく把握してくれているな。などと思う。私の好物の時は多くよそってくれたり、コンビニでもよく買ってくれるのだ。

「レオくんて私の好きなものすごい知ってるよね。ありがとう」
「べつに〜。一緒にいるから自然と覚えるだけ」

 ぶっきらぼうに言う彼は少し照れているのかサッと私に背を向けた。嬉しくて背中に指をグリグリとすればその手をパッパと払われたので、本格的な照れ隠しのようだ。

「おまえは?おれの好きなもの知ってる?」

 突如聞かれて、私は一旦考え込む。彼は普段あまり食べ物をあれ好きこれ好きと言わないので好物を察するのは難しいのだ。

「えっと……コーヒー好きだよね」
「うん好き」
「あとはね〜……」

 考えたが思いつかなかったので、私は姑息な手に出る。

「ルカたん」
「いやずるいぞルカたんに逃げるなっ!ルカたんはいつもどこでも大好きに決まってるだろ!!」
「あぁ、バレた」

 普段ルカたん大好き大好きと言ってるのでそれで誤魔化そうとしたけど無理だった。そして今日も今日とてシスコンでいっそ清々しい。

「なまえって実はおれのことよくわかってない?結構一緒にいるのに?」
「だってレオくん何作っても黙々と食べるじゃん……あっ、好きな作曲家、というか嫌いな作曲家なら知ってるよ」

 つい先程もトランス時にそんな事を言ってたのでよく覚えているが、それではご不満のようだ。むー!と頬を膨らませた彼は随分とかわいい。

「おれはなまえのことすごいよく知ってるけど?!」

 そう言うと、何故か私の身長や足のサイズ、好きな食べ物や飲み物、ついでに嫌いな食べ物、趣味やよく着る服の色なんかも語り始めた。ビックリしてポカンと口を開ける。意外とよく人を見ているのだな。なんてどこか他人事な事を考えながら、マシンガントークよろしく私の個人情報を語り終えたレオくんは「どうだ!」と言わんばかりに胸を張った。

「いや、すごいね合ってる合ってる……ていうかなんで身長、そんな細かく知ってるの?どこかに公表されてるっけ?」
「前に聞いたら言ってたから」
「いつの話〜……?」

 確かに遠い過去にそんな話をしたかもしれないが、あいにくと全く覚えていない。ネットの海を彷徨えばプロフィーが一通り出てくるであろうレオくんの身長ですら、完璧には覚えていない私がそんな会話をした事を覚えているはずがないのである。

「おれ勉強は嫌いだけど、好きなことは覚えてんの。作曲家だからってかつての音楽家や音楽史の事生まれた時から知ってるわけじゃないだろ?ちゃんと勉強したのっ!」

 確かにそうだ。あれだけ多くの作曲家について、またその作曲家が作った音楽家をきちんと勉強して分析しているのは、レオくんがひとえに心から作曲が好きだからだろう。

「だからおまえもおれの事もっと覚えてっ!興味持って!」

 それはもっともだ。もちろん彼のことを知る努力をしていないわけではないけれど、レオくんは私が思ってるよりもずっと、私に比重が傾いてるのを知ることが出来てとても嬉しい。

「うんそうしよ。じゃあまずは身長かな。何センチ?」
「えっ……し、知らない。おれ、何センチ?」

 本人の情報をインターネットから得るなんて、変な話である。

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