アクアリウム・ミスユー!
「じゃあ、また連絡するね」
「うん気をつけてな。また」
そう言っておれたちはよく、おれの家の最寄り駅、改札を挟んでバイバイをする。時間がある時は車でなまえの家まで送るけれど、仕事をしなきゃいけない時はそう言うとなまえは「じゃあ送るの大丈夫。じゃあね」って結構あっさりとこの家から一人で出て行こうとするから、おれはそれを追いかけて駅まで送ることにしている。するとなまえは「大丈夫だよ」って笑うけど、おれはいつもそれを振り切って駅までの道、隣を歩くようにしていた。
「まってまって、駅まで送るから」
「ごめんね。ありがとう」
あいつはいつもおれの仕事に気を遣ってごめんねって言うし、おれはおれで少し夜更かしすれば終わる仕事よりもなまえと一緒にいる時間を増やしたい。そんな微妙なすれ違いを起こしながら、おれたちは今回もまたいつもの駅までの道を並んで歩いていた。
少しバランスが崩れれば、摩擦になってしまいそうなすれ違いだと思う。けれどお互いが言わんとしていることを理解しているからすれ違いはすれ違いのまま、ちょうどいい距離で通り過ぎるのだ。
「今回のお仕事はすぐ終わりそう?」
「ん〜なんとなく霊感は浮かんでる。もう誰が歌うかわかっている曲だし…」
「へ〜」
なるほどね。と頷きながら、きっと興味なんかないはずなのにおれの話を聞いてくれるなまえとあとちょっとで離れるのが少し寂しくて、おれは見えてきたコンビニを指さした。
「なぁ、時間あるならコンビニ行っていい?」
「いいよ〜」
特に買いたい物なんてない。けどなんかあるだろ。と無計画でコンビニに入る。家に帰ればなまえが作ってってくれたおでんがあるし。
でもなんとなく店内をふらふらするなまえに雛鳥みたいについて行けば、なまえはお菓子コーナーで立ち止まった。
「わ、冬限定のチョコ、いっぱい出てる…!」
冬になるとチョコレートの新作が沢山出るんだよ。ってルカたんも前に言ってたことを思い出した。ついでに何個かおねだりされてまんまと買ってあげたことも思い出す。
「…どれか買ってやろっか?」
そんな風になまえに言ってみると、なまえは一旦目を輝かせる。けれどすぐ首を横に振った。
「ううん大丈夫。家に確かチョコ、いっぱいあるの」
お母さんも限定のチョコとか大好きでさ。と付け加えた彼女に「そっか〜」と返す。なんだか断られたことが余計寂しくて、「じゃあおれ自分用に買お〜っと」とそんなに食べもしないチョコを一つ買うことにした。珈琲飲むときに、少し摘まめばいいや。
「あ、レオくん夜更かしするからって珈琲飲み過ぎちゃだめだよ。カフェインって摂りすぎると体が慣れちゃうらしいし…」
「うん気をつける」
「全然聞いてないじゃんその返事〜」
そんな事言うなら、帰らずにすぐ珈琲淹れちゃうおれの事見張っててくれればいいのに。とも思ったけど、おれは作曲し始めたら周りなんて見えなくなるし、すぐなまえのこと放っておいちゃうから可哀想だ。なまえもなまえで邪魔しちゃいけないと思ってるみたいだし。
本当は早くなまえと一緒に住みたいし、なんなら早く結婚とか視野にいれたいけど、なまえはまだ大学生だ。金銭面は別に問題ないと思うけど、焦っちゃいけない事だってことくらいはおれにだってわかる。もしかしたらやりたいことだってあるかもしれない。
だから今の環境が互いに一番いいのはわかっているけれど、なまえはいつも本来の家に『帰る』側で、おれはいつも『見送る』側だ。
たまに一人の時間も大事だって思うけど、寂しい時はおれだって寂しい。
「…レオくん?どうしたの?」
「ん〜?んんん」
チョコレート売場でぼんやりしていたおれに、なまえが声を掛けてきた。チョコ、悩んでるの?なんて検討外れなことを言ってくる。ま、それでいいや。とおれが頷くと、なまえは楽しそうにお勧めを指さした。
「あのね、これお勧め!あ〜でもレオくんココアパウダー飛ばしそうだな…そしたらこっちの方がいいかな。オレンジピール入ってて美味しいよ」
「ふ〜ん。じゃあこれにしよ」
きっとこのチョコは、次回なまえが来てくれた頃まで残っているだろうと思ったけど、素直にレジに持って行った。
「な、なんかレオくんぼんやりしてない?どうしたの?具合悪い?」
コンビニを出ると、おれがあんまりにもぼーっとしているから、なまえが不安そうな声で聞いてきた。病気と言えば病気だけど、病院に行かなきゃいけないやつじゃない。
「具合は悪くない」
「あ、そ?よかった…少し寝てから仕事すれば…」
「なぁ、やっぱ今日帰らないで」
「えっ?」
本音が思わず口をついて出てしまった。なまえがきょとんと首を傾げている。おれは巻いてきたマフラーに顔を埋めて、赤くなっているであろう顔をすっぽり隠した。恥ずかしい。寂しがっているのは自分だけみたいだ。
「ど、どうしたの…?これから仕事、するんでしょ…?」
「仕事だけど!仕事するけどっ!多分なまえのこと放っておいちゃうけど!チョコ食べて待ってて!」
「え、えぇ〜、もうお母さんに帰るって言っちゃったもん〜」
「……」
心から子どもみたいな駄々をこねて、それが通らないっていうのはこんなに恥ずかしいものなのか、と痛感する。おれはお兄ちゃんだから基本何でもルカたんの為に譲ることが多かった分、この歳になっての自覚ある我が儘は余計に恥ずかしい。しかも彼女に向かって。
けれどなまえは軽く笑って「だめだよ。今日は帰る」と言った。俺は口元を埋めたマフラーの中ちょっと膨れると、なまえは冷たい指先で手をつないでくれた。
「仕事の邪魔になるから今日は帰る。私も寂しいの我慢して帰るんだからおあいこだよ」
「う〜、お互い我慢してるなら無意味だっ、無益だっ、何も生まれないっ!」
「生まれる生まれる。そんな風に寂しいって言ってくれるのはさ、私とっても嬉しいんだよ」
付き合いたての頃はそんな風に言ってくれなかったもんね。と、なまえはおれの失態をグリグリと抉ってきながらも、だんだんとあったかくなる指先は優しい。
「レオくんが駄々こねてくれると私も我が儘言いやすいから、それでいいんだよ」
なまえは、はい歩いて〜と駅までの道をまた歩き始める。おれは渋々それに従った。これ以上我が儘を言っても通らないことに、おれはもう気づいている。
駅の改札前、いつもみたいに「じゃあね」と手を振るなまえにひらひらと手を振ると、後からスマホに連絡がきた。
『お仕事がんばってね。終わったら教えて。すぐ行くから』
そこでおれは、なんてことない真理にたどり着く。
そっか。おれが頑張って仕事を早く終わらせれば、なまえが来てくれる。ならおれのやることは一つだ。
「…わはは、湧いてきた湧いてきたっ!霊感が!!」
おれは駅に背を向けると、そのまま家まで走り出す。今思いついた霊感を書き留めなくては!溢れて、こぼれて、指先から抜け落ちてしまう前に!
「わははは、いいぞいいぞ!!さすがおれ!」
今回は切ないイメージで、というクライアントからの提案だ。今のなまえがいない寂しい家で作るには絶好の曲に違いない。俺は家に帰るなり仕事部屋で一番初めに目に付いた作曲ノートとペンで楽譜を書き殴った。マフラーもコートも脱がないままだし、さっき買った気がするチョコレートはどっかにいった。でもそんなことよりも、早く書き留めないと!音符が、メロディが、フレーズがおれの中から逃げていかない内に!
「やっぱりおれは天才だ!!わははは!」
後日おれの仕事が無事終わったから早速家に来てくれたなまえが、玄関にチョコレートがそのまま転がっているのを発見して怒っていた。でも最終的に「冬だから溶けなくてよかったね」って平然と封を開けて食べていたから、おれは今日一杯目の珈琲をなまえの分も淹れた。
そしたらなまえはありがとうって笑ってくれたから、チョコ美味しいねってご機嫌だから。おれが感じてた寂しさは、あっという間にどこかへ行ってくれたのだった。
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