ホワイト・アクアリウム

「あぁ〜っ!もう!霊感が枯渇っ!ノイズノイズノイズ!ノイズばっかりおれのメールボックス!!」
「うわぁ」

 合鍵で彼の家の鍵を開けた途端、そんな言葉がガツンと私にぶつかってきた。
 ここ最近どうにもスランプらしく、彼が事務所の寮を出て一人で住んでいる家に行くのも控えていたのだが、結局のところ私がいようがいまいが霊感が湧いてくる事はなく、だったら来てと言われたので来てみたらこの有様だ。どうやらまた無茶ぶりをするクライアントと仕事をしているらしい。

 仕方がないので彼の仕事部屋に顔を出してみる。レオくんは案の定楽譜の紙をバラバラと部屋に撒いて大暴れしていた。部屋の床が楽譜でいっぱいである。これ自分でちゃんと拾うのだろうか。

「レオくんこんにちは…来たよ。大丈夫?」
「いらっしゃい。おれはだめ」
「だめかぁ〜」

 楽譜の上でうつ伏せに横たわるレオくんの足を持って、私は彼をずるずる引きずってとりあえず仕事部屋から出した。ここまで煮詰まってはきっといい曲なんか書けないだろう。だったら休憩した方がいいのだが、レオくんはその辺の区切りを付けるのが下手である。今日私がこの家に来たのは正解だったようだ。

「なになにやめてっ!市中引き回しの刑か?」
「違うよ」

 部屋を出て廊下まで這ったところで意識がようやくこっちに戻ってきたみたいなので手を離した。もぞもぞともがいて廊下にちょこんと座り込む様は幼児のようだ。

「コーヒー淹れてあげるから少し休んだら?」
「ううう…メールボックス見たくない…きらい…」
「ほらほら、牛乳で泡作ってあげるから」

 つい最近ラテ用の牛乳を泡立てるやつを手に入れたのでレオくんの家に置きっぱなしにしている。それを使う時が来たようだ。

「カプチーノ…」
「あんまりブラックばっかりじゃ胃がかわいそうでしょ」

 そう言うとレオくんはうん。と大人しく頷いて、すんなり立ってリビングへと来た。リフレッシュする気になったらしい。私もたまには役に立つものである。

「はぁ、今日暑いねぇ。エアコン付けていい?」
「いいぞ」
「ねぇやっぱり冷たいカフェオレにしない…?ホットコーヒー飲みたくないかも」

 今日は今年初の真夏日でしょうとお天気お姉さんが言っていた通り、べったりと体に張り付くような蒸し暑さだった。慌てて半袖を引っ張り出してカーディガンの下に着てきたのは正解だったようである。

「は〜暑い」

 私は外を歩いたのと、自分より身長の高いレオくんを引っ張ったせいでかいた汗を引かせようとカーディガンを脱いだ。うっかり何枚も買ってしまう白いTシャツは今年も大活躍である。

「もう半袖か〜暑いよなぁ今日」
「外は風がある分まだカーディガン着てられるけど、室内は無理だよ暑い…レオくん熱中症になっちゃうよ」

 軽い機械音を立てて動き出したエアコンの前で涼しい風を待ちながらそう言えば、レオくんが急に静かになった。ザワザワと騒めいていた木立が風が止み、一瞬で鎮まったような不気味さである。

「え…どうしたの?早くカフェオレ飲みたい?」
「白」
「は?」
「おまえ今日ブラジャー白だろ」
「え?!…あ、」

 そういえばいつも白いTシャツを着るときは中の下着が透けないものにするのに、カーディガンのボタン留めちゃえば見えないしいいやと思ってあまり気にしなかったんだった。白いTシャツに白い下着は逆に透けてしまうのである。

「は?!じゃない!めちゃくちゃ透けてるぞっ!油断しすぎっ」
「あ、あぁ〜ごめん…カーディガン着るからまぁいいかって…」
「よくないっ!!」

 折角フラットになった彼のメンタルグラフがまたジェットコースターのようになってしまった。やってしまったと己の油断ぶりにちょっとだけ後悔しながら、黙ってカーディガンを羽織ろうとソファに置いたカーディガンを手に取ろうとした。

「えっ着ちゃうのか?!」
「えっ着るよブラジャー透けてんでしょ」
「……」
「あはは…素直だね…」

 無意味に彼のスケベスイッチを押してしまったようで、思わず乾いた笑いをもらしてしまった。ついさっきまでメールボックスがいやだいやだとイヤイヤ期の幼児みたいだったのに、一丁前に男の人に急成長したようだ。

「そんな気合入れた下着じゃないからあんま見る価値ないよ…」
「たとえボロボロのブラジャーでも彼女の下着が服から透けてたら見ちゃうし見たいもんなの!」
「あっそ…」
「でも他の人には見られたくないからその辺ちゃんとしてっ!」
「私だってその辺の人に下着なんて見られたくないよ恥ずかしい…まぁごめん今回は私が悪いね」

 とりあえずレオくんの意見は無視してカーディガンを着て、コーヒーを淹れ始める。ちゃんとドリップして作るカフェオレは美味しいから、これで意識をコーヒーに持っていってもらおうという策だ。

「お茶請けにシュークリーム買ってきたから食べよ〜」
「おれはおまえが食べたい…」
「古い少女マンガの口説き文句みたいな事言うのやめて」

 まだ外は明るいし、彼の仕事の進行度は恐らくズブズブだ。リフレッシュするのはいい事だけれどそっちに話を持っていくのはまた別だ。私は流されない。
 はいどうぞ。とカフェオレとシュークリームを出して、熱すぎる視線を無視した。すると彼はそれをちゃんと理解したのだろう。少ししょんぼりしていたけれど、ちゃんといただきますをしてからシュークリームに手を伸ばした。

「…今日泊まってくからさ」
「!!」
「だからお仕事頑張ってね。もうちょい真面目な下着つけて待ってま〜す…」
「お、おれ!仕事してくるっ!!」

 レオくんは慌てたように席を立つと、シュークリームとカフェオレを持ってあっという間に仕事部屋に篭ってしまった。

「……夕飯作っとくか」

 部屋の主が居なくなって、シンと静かになったリビング。私も随分大胆な事を言ってしまったと自分の発言にドキドキと心臓を高鳴らせながら、それを誤魔化すようにシュークリームを詰め込んだのである。

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