恋針三賀

 新しい年が始まった。

 宗の国では新年の式典は非常に簡単なもので、基本は家族とゆっくり過ごす、というのが慣例だった。
 それは王宮も同じ事で、最低限の官吏や側仕えで王宮を回していく。王族達も式典での役割を終えれば市井の者と同じく、暫し政務を忘れてゆっくりとする。小国だからこそ出来る、新年の過ごした方だろう。
 季節を示す針はゆっくりと冬の真ん中を刺そうとしている。朝食を終えた後、なまえは女官が文書室から持ってきた手紙を首を傾げて開封し、暫しそれを読んだ。
その後、彼女は急いで宗の元へと向かったのである。

「お師さん。お妃さん来たで〜」

宗はちょうど、朝食を終え自室で休もうとしていた折だった。側仕えのみかが一度礼をしてからのんびりと告げてきたので、宗はやや慌てて居住まいを直す。

「構わないよ。通したまえ」

 なまえは女官を一人だけ連れてやって来た。一度失礼致します。と礼をすると、少しだけ慌てたように言葉を滑らせる。

「陛下。私の家族に贈り物をしてくださったとか。父から手紙が届きました。本当にありがとうございます」

そう、朝に届いた手紙の差出人はなまえの父からで、どうやら宗が国王としてではなく個人的に贈り物をしてくれた事に対する礼が、宗もこれを読む事を想定したのか随分と形式ばった固い文章で送られてきたのである。それに驚いた彼女は慌てて宗の元へとやって来たのだった。 

宗はふと思い出す。そういえば年を越す前に、年越し用にとなまえの実家に僅かばかりの贈り物をしたのである。大層なものではなかったから、宗自身も忘れていた。

「いや、そんなに大したものを送ったわけではないのだよ。礼なんて必要ない」

 今回なまえの実家に宗が送ったものは少しの餅と米、それから諸外国からの献上物である果物と、絹織物程度のものだ。王の生活は国民の血税で成り立っている。いくら妃の血縁への贈り物と言えど、大金を掛けて贈るわけにはいかない。そも、なまえの実家は街にある上に、彼女が王宮に嫁いだ事は周知の事実だろう。もし高級な贈り物などをしてそれを狙った強盗でも入ってしまったら目も当てられない。宰相からそう助言をもらった宗は、みかに国民達が正月食べるものを聞き、邪魔にならない程度のものを贈ったのである。正直、礼を言われるほどのものでもない。
けれどなまえは大層嬉しそうに笑って言った。

「外国の果物なんてなかなか食べられないですし、上等な絹織物は妹の晴れ着になったみたいです。家族みんなとても喜んでます。陛下のおかげで豪華な新年を迎えられるって書いてありました」

「それならばよかった。本来なら僕の義父であり義母であるご両親に挨拶がしたいけれどね。王宮に呼ぶとなるとなかなか難しいものだ」

「そんな、王宮にお呼ばれしてしまったら家族全員腰抜かして気絶しちゃいますから。お気持ちだけで充分です」

 そ、そうかね。と若干狼狽えながら呟いてから、宗はなまえに椅子を勧めて、みかに彼女の分のお茶を淹れさせた。花びらと金粉が入ったお茶は、王宮では新年に飲む定番のお茶との事だ。

「こ、これすごく綺麗ですね…」

「そうだね。この香りを嗅ぐと新年が来た、という気分になるよ」

「そうなんですか…」

妃はこれだけでどれくらいのお米やお餅が買えるのだろうか、いつか自分も宗と同じ感覚になるのだろうかと考えたが、それはやめた。暫く慣れる事はないという結果が透けて見えたからである。
それよりも、宗がなまえが話す会話に興味ありげな視線を向けてくれる事が嬉しかった。宗と話をする事が、今年も変わらず妃の専らの楽しみになりそうである。

「昨年まで、どんな新年を迎えていたんだ?」

ふと、宗がなまえに聞いて来た。庶民の暮らしに興味があるのかもしれない。と彼女は少しくすぐったい気持ちになりながら今までの新年の過ごし方を思い出す。

「なんてことないですよ。みんなで集まってお餅とか煮たお肉とかを食べて、街では新年に食べる定番のおまんじゅうがありますからそれ買ってきて食べたり。その内遠くに住んでる親戚が遊びに来たりして、やっぱり持って来てくれたお土産を食べたりするんですよね。そう思うと本当、食べてばっかりです」

 なまえが恥ずかしそうに俯くと、宗はそれを見て少し楽しそうに肩を揺らした。

「そのようだ。仕事の方は手を休められるのかね?」

「食べ物を売るお店は稼ぎ時ですから、お店を出してる所も多いですよ。うちは染め物屋ですからどちらかと言えば年末よりももっと前…晴れ着を準備する辺りが忙しいです。年始はゆっくりですね」

「そうか。君の家は染め物屋をやっているんだったね」

「はい。…と言っても陛下がお召しになるような高価なものはしませんけど…後継は兄なので、私も手伝い程度しかした事ないですし」

私は食堂で働いてましたから。となまえが付け加えると、宗は知っている。と心の中で呟いた。あの日、偶然食堂で働く彼女と出会えたのは、まさに運命と言える。

「王宮は静かですけれど、街はどちらかと言えば賑やかですね。新年の式典で陛下のお顔を見に行った人はそれこそ食堂で自慢げに話してますし」

「そうかね」

そう言われると、ほんの少し気分がいい。国民に肯定されて機嫌が悪くなる王などいない。
街に反して王宮は式典を終えると、新年用の食事を食べたら後はひたすら静かだ。女官も官吏も最低限しかいない。宗は騒がしいのは好まないが、妃が楽しそうに話すから街の様子にも少し興味が湧いた。城内にある街が一望出来る物見台に出るくらいはよいかもしれないと、もしなまえが望むのなら後で宰相に聞いてみてもいい。と思考の端で考える。

「陛下のご両親は、今どちらの離宮に?」

そんな風に思考を飛ばしていた宗に、なまえはふと疑問を投げかけた。宗が王位を継いで以来、宗の両親は国のあちこちにある離宮をまるで旅行をするように住んで回っていた。すっかり落ち着いた国を見て回る事が楽しいのか王宮にはもう戻ってくる事は無いとでも言うように、定期的に手紙が届く程度になっている。

「あぁ。今は北の田舎の方にいると、この前手紙が届いたのだよ。もう少し近い離宮へ来た時に機会があれば挨拶に行ってもいいのだが…」

王が城を離れるというのはなかなか難しい。今両親がいる北の離宮は少し王宮から遠いゆえ、また手紙が来たら行ける距離かどうか検討するのもいいだろう。

「私でよければ、ご一緒したいです。お義父様とお義母様ですから」

「あ、ありがとう…」

 婚儀の際にしか会った事がない自分の両親を義父、義母と呼んでくれる。そんな当然な事に、宗は思わずじぃんと来てしまった宗に気が付いて、なまえは袖を口に当てて軽やかに笑う。

「やだ陛下。さっきご自分が仰った事と同じ事を言っただけなのに、そんなに感動しないでください」

「フン、べ、別に感動したわけでは…」

 思わずそっぽを向くと、なまえは嬉しそうにまだニコニコとしている。宗がありのままの感情を表に出した方が、この娘は喜んでくれるのだ。それが気恥ずかしくて、宗は話題を変えた。

「そ、そういえば、新年なのに家族の元に帰してあげられないのはすまないね。しきたりだから」

王宮に嫁いだ以上、そう簡単に実家に帰すことは出来ない。古くからのしきたりはそう破る事が出来ないものである。しかしなまえはケロッとした態度で言った。諦め、というよりも当然、といった様子である。

「あ、そこはお気になさらず。街に戻っても近所の人の興味の対象になるだけで疲れそうですし…なにより」

妃がそっと、卓上にある宗の手に手を重ねた。温かくて小さな手。婚儀の時、彼女を玉座の隣の座に導いた時触れた指先は、食堂で働いてたがゆえに荒れていたものだが、すっかりそれも治り妃としての指先になりつつある。
彼女からしたらたとえ荒れていても以前の指先がいいと思っているかもしれない。しかしそれでも宗は彼女が痛い思いをしなくて済んでいる今、これで良かったのだと思っている。例えそれが、傲慢な王の考えだとしても。

グルグルと巡る思考に、新年だというのに宗の心にはズシリと重い影が落ちる。今年こそ、この深い罪悪感を拭い去れるだろうかと目を伏せた時、なまえは続け様に、さも当然かのように言った。

「私の今の家族は陛下じゃないですか。私もう嫁いでるんですし」

「……!!」

「あ、えっと、だから、少しの無礼、お許しください陛下」

なまえはそう言うと何度か躊躇って、それからゆっくり、恥ずかしそうに口にした。

「今年もどうぞ、よろしくお願い申し上げます。宗さん。私の旦那様」

「……あぁ、今年も、よろしく頼む…」

宗は、血管の隅から隅まで力を入れるようにして、耐えた。
彼女に名前を呼んでもらったのはこれが初めてだったから。旦那様、と言ってもらえたのも初めてだったから。
そんな幸福が溢れそうになった瞬間、新年早々うっかり泣きそうになってしまった。

「後で、物見台に行くのはどうかね。街が一望出来るのだよ」
「わぁ、いいですね。賑やかなのが見えるかもしれません!お風邪を引かないように暖かくして行きましょう」

女官に毛皮の衣を出してもらいます。と楽しそうに準備を始めたなまえに、宗は今年も彼女に健やかな一年を与えたい。と改めて思ったのである。

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