恋糸四夏

同盟国の王子が外遊しにくるという。

その話をなまえが宰相から聞いたのは、件の王子が来る7日程前の事だった。宗王が治める国は、周囲の他4つ小国と同盟を結び、5つの国を同盟国として西の大国と休戦協定を結んだのである。
今回はその同盟国のうち、私的な理由でよくこの国に遊びに来る零の国の更に隣にある国の王子が、後学も兼ねて外遊をしにくるという。

「今回は零と違い私的なものではなく、公的な外遊になる。君にも挨拶をしてもらわねばならない」

宰相からその話を聞いた日の夕食時、宗がぽつりと言い出した。今日の夕食には蟹が入ったとろみのある羹(スープ)が出てきて、それを匙で掬おうとしていた時に言われたので、なまえは思わず器の中に蟹の身を落とす。

「はい。仕事ですね。かしこまりました」

そう淡々と言うと宗は少し驚いたような顔したので、逆になまえが驚いてしまった。妃の主な仕事は王の子供を産んで次世代を作る事。それから公的な行事の参加や客が来た時に挨拶等のもてなしをする事だと、入宮する時に聞いている。今まで国での大きな行事もなかったし、私的な理由でやってくる零王には公的な挨拶をしたことはない。
なので今回がなまえにとって初めての仕事になる。

「ようやくお仕事が出来るなら、頑張ります。私は何をすれば良いかは宰相様にお聞きした方がいいですか?」
「…出てくれるのかね。挨拶に」
「?勿論です。私、この国の王妃でしょう?陛下に恥を掻かせるわけにいきません」
「そ、そうか」

何故か少し嬉しそうな顔をした宗に、なまえは僅かに首を傾げながらもう一度匙で羹を掬う。最近この羹が好きだと宗に言ったら、食事に出てくる回数が増えた気がする。

「影片に資料を集めさせるから、彼の国の事を学んでおいてくれないだろうか。挨拶の時向こうの国の事を何も話せないのではたとえ小僧と言えど失礼に当たってしまうからね」
「小僧…?」
「今度来る王子の事だよ。名前は逆先夏目」
「夏目王子…」

なまえは今まで市井の食堂で働いていたしがない町娘だ。よその国の事など知らずとも生きていけたのだから、何も知らないのは道理である。

「わかりました。お勉強少し苦手ですけれど頑張ります」
「ありがたいね」

宗が少し笑って、食事はまた静かに再開された。

「まぁ、そんなに固くならずとも大丈夫だよ。もっと上級な客が来た時の予行練習だと思えばいい」
「は、はい…」

宗が急に機嫌が良くなった理由はよくわからなかったが、なまえは初めて彼の役に立てるのだと思うと嬉しくなった。やる気が全身に満ちてくる。あんなに王の事がわからなくて苦しかった入宮したての頃の記憶が薄れ始めている。そのくらい、今のなまえは宗の事を好きになっていた。器用なのに不器用で、怒りっぽいのに優しい彼は、少なくともなまえの事を大事にしてくれる。優しくしてくれる分、なまえも彼の事を大事にしようとそう思えるようになっていた。

自分でも、不思議なくらいである。


「お妃さん、資料持ってきたわ」

翌日、みかが資料をひと揃え持ってきてくれた。本にして約6冊ほど。背表紙をちらりと見ると同盟国の歴史や地理の文献が多いように思う。

「みかくん。ありがとう」
「ん〜ん。これからお勉強大変やから、お師さんが食事も無理に一緒にとらなくて大丈夫って言ってたわ」
「あら」
「お師さんもよく気が付く人なのに、お妃さんの気持ちはわからんみたい。どうお返事する?」
「なら、私はお食事一緒にしたいです。ってお伝えして」
「わかったわ。お師さん、お妃さんのことになるとさっぱりになるみたいやわぁ。お妃さんがそうやって歩み寄ってくれるの、嬉しいのに」
「そうかな。最初が最初だから」

そう、最初はいきなり家に王の使いが来てあれよあれよと妃にさせられた上に、ずっと放置されていたことに不満しかなかった。けれど互いに勘違いや思い込みをしていただけに気が付いて、それからなまえは宗の事を知る。知れば知るほど彼の事を愛するようになっているというのに、宗の方は相も変わらずなまえの事を大事にしすぎるのだ。
それに関しては、ほんの少しだけ未だに不満である。

「まぁいいや。とにかくお勉強ね」

本を読むのなんて入宮以来かもしれない。と思いながら、みかがまず読むのを勧めてくれた夏目の国の概要から学び始める事にしたのである。


するとその日の夕食前に、なまえの部屋に宗が訪ねてきた。

「陛下」
「勉強の方はどうだね」

心配してきてくれたのだろう。なまえは席を立って宗を出迎えると、宗は座って構わない、という仕草をした。

「はい。概要の方を勉強してました。夏目様の国は女王国だとか」
「あぁ。彼の母上が女王を務めているよ…といっても、具体的な政務は小僧が取り仕切っているけれどね。同盟を組んだ時も、彼が表だっていた」

へぇ…と、なまえは資料の表紙を見る。勉強はあまり得意ではない方だと思っていたけれど、国の事を学ぶのはとても楽しい。

「えっと、あとこの五国同盟の玄関口で、主に貿易が盛んな国だとか。我が国は製鉄業が盛んであり鉱物の産地…ですから、互いにとって非常に重要な国、なんですね」

資料を丸暗記したものを披露すると、宗が擽ったそうに笑った。

「教科書の丸暗記が見え見えなのだよ」
「う…」
「でも正解だ。同盟後は我が国の鉄や鉱物が逆先の国を介して外国に輸出している。同盟を結んだことにより、関税が安くなったからね」
「関税…国境を越える時に掛かる税金、ですね」
「そうだ」

宗が深く頷いて、向かいにある椅子に座った。みかが積んでいった資料を数冊持ち上げて、その順番を変えていく。

「そこまで学んでいるのなら、地理の方は後で構わないよ。歴史の…特に同盟を組んだ辺りの事を重点的に学んでほしい。やつが政務の舵を取るようになったのはその辺りだ」
「はい」
「そろそろ夕食だ。今日はもう十分だよ」
「久しぶりに沢山頭を使ったら、お腹すいちゃいました。いつもより食べちゃうかも」
「疲れただろう。今日はゆっくり休むといい」

そう言って席を立とうとする宗より先に立つと、なまえは宗に近づいた。
思わず彼の衣の袖を掴めば、宗は驚いたように目を見開いた。

「あの、陛下陛下」

逸るように2回呼ぶと、宗が少し慌てるように肩を竦めた。

「みかくんから、私の伝言聞きました?」
「……そうだね。聞いたよ」
「お返事くださらないのですか?」

少しだけ睨むように、なまえは宗を見る。こんなに私からは近づいているのに。という念を込めて見れば、それに対抗するように、宗が手を繋いできた。温かくて、骨っぽい手をしている。

「…せっかく君の事を気遣ったのだが」
「それは気遣いって言いませんよ陛下。遠慮、もしくは…」
「なんだね」
「大きなお世話っていうんです」
「な、」

宗が不服そうに眉間に皺を寄せた。それが少しだけ楽しくて、なまえは繋がれた手を思い切り握る。

「だって陛下。陛下は仕事終わりに私と食事を摂るの、億劫に感じていらっしゃいますか?」

自信過剰な台詞をわざと言ってみる。そう、これに関しては自信を持って言えるのだ。彼はなまえとの食事や二人で会話する時間を心底楽しんでくれている。
それはなまえも同様なのは、間違いない。

「それは…断じて、ないのだよ…」
「でしょう?私も同じ気持ちですよ」

ね?と念を押すように言えば、斜め上にある宗の頬が俄かに色づいた。照れてくれているのだろう。

「今日のご飯は何かな。陛下なんだと思いますか?」
「そうだね。羹は蟹…もしくは鶏だろうか」
「あ、陛下。蟹の羹、ちょっと多めに食卓に出すよう厨房に言ってくださいました?」
「さぁ?知らないね」
「陛下の好きなものはなんですか?」
「カカカ、当ててみたまえ」

妃のやることではないけれど、いつか彼の好物を見つけて作って驚かせたい。その為にはまず今目の前にある自分の初仕事を完遂させるために全力を尽くそうと、なまえは思ったのである。


夏目は公的な外遊とは思えないほどのんびりとやってきた。ほんの少しの武官とそれより多い文官を連れてきているのは信頼の証と、それから自身とともに文官に同盟諸国を見せるのが目的だからだろう。

玉座で互いに礼をした。あちらは王子でこちらは王である分、夏目は折り目正しく最上の礼を取って顔を上げる。彼の猫のような瞳が悪戯っぽく細まった。

「やぁ宗にいさん。久し振りだネ」

「形式上言ってやるのだよ。よく来た逆先」

王と王子が挨拶を交わす。次はなまえの番だ。

「よ、ようこそいらっしゃいました。お初にお目に掛かります夏目王子殿下。私なまえと申します」
「こんにちハ。君が宗にいさんが我が儘言ってお妃にされた子?」
「え、へ?」
「逆先!」

宗が犬を叱るように声を荒げた。彼にとって触れられたくない部分なのだろう。
けれど正直、もう宗の妻である自覚が芽生え始めているなまえにはどうでもよいことだ。今にも怒りだしそうな宗の代わりになまえが返事をした。

「陛下は私の事を大事にしてくださいますから、私は幸せ者ですわ」
「やれやれ、そんな惚気を聞く予定じゃなかったのにナ。にいさんよかったネ」
「……フン、」

宗は不機嫌そうに鼻を鳴らしたが、満更でもない、と言った風である。
そんな宗を見て満足そうに笑った夏目は、今度はなまえの衣に目を付けた。今日はいつもより豪華な刺繍の入った宗の新作を身に付けた。冬が近いので、厚手の生成りの大袖に、銀糸や金糸で刺繍の入っているものである。

「その衣装、宗にいさんが作ったノ?相変わらずすごい技術ダ」
「えぇ本当に。私も刺繍をたまに教わるのですが、手が届きません」
「にいさんの刺繍技術はうちの王宮針子の技術を超えてるからネ。我が国は絹糸が名産品なのに、恥ずかしい限りサ」

きた。となまえは緊張する。勉強の成果を見せる時が来てしまった。
事前に宗から聞いていた通りである。

「けれど、殿下のお国の貿易路のおかげで、我が国の鉄や鉱物も諸外国へ安全に輸出することが出来ているとお伺いしました。今後も仲良くして頂きたいですわ」
「おや?勉強してくれたんだネ。ありがとウ」

ひらひらとなまえに向かって手を振る夏目に、少し頭を下げる。まだ何か質問がくるだろうかとより深く緊張した所で、宗が「そろそろ下がりたまえ」と声を掛けてきた。これからは国を治める者同士の会話をするのだろう。その場になまえはふさわしくない。

「では、失礼致します。また晩餐でお会い致しましょう殿下」
「うん、また後でネ。もっと楽しい会話をしよウ」

恭しく礼をして、なまえは席を立った。隅に控えていた女官が後を付いてきてくれる。

「……はぁー、緊張した…」
「お疲れ様でございます王妃様」

女官もほっとしたかのような声で答えてくれる。なんとか勉強の成果を披露出来たようだ。

「あと私が出るのは晩餐よね」
「はい。その時はもう少し砕けたお話をして構いませんよ」

先程も夏目は「もう少し楽しい会話を」と言っていた。それはきっと、世間話のようなものでも構わない、という意味だったのだろう。

「少しお部屋で休もうかな。お茶をお願いしてもいい?」
「かしこまりました。お菓子もお持ち致します」
「ありがとう」

ようやく人に何か頼むのも慣れてきた。夏目の目にはきちんと王妃をしている自分が映っただろうか。と、なまえは疲労のため息と共に達成感のようなものも吐き出したのだった。



「まさか五国同盟の代表者…通称五奇人の中で宗にいさんの結婚が一番早いなんて思わなかったヨ。仲睦まじそうで本当によかった」

玉座の間に用意された椅子に座りながら、夏目は満足そうに笑った。

「うるさいのだよ」

宗は夏目に噛み付くようにその話題を閉ざそうとする。けど夏目はそんな彼の口を無理やりこじ開けるべく、まずは自身の唇を開いて会話の鯉口を切った。

「でも好きな女の子と結婚出来るなんて、ボクは羨ましいけどナ。ボクは多分、他国の貿易国の姫君と政略結婚ダ」
「……」
「あはは、優しいね宗にいさんは。そんなに悲しい顔しなくても、ボクは納得済みのことだヨ。もしかしたらボクがクラクラきちゃうような姫君かもしれないしネ。まだ先だけど楽しみにしておくサ」

そう言って夏目は袖を口に当ててカラカラと笑った。そう、宗たち王族にとって、宗のような結婚は珍しい上に垂涎ものだろう。ほとんど無理やり庶民の女を妃にして、最初はすれ違ったけれど今は良好な関係を築けている。ついこの前、彼女が美味しいと言っていた蟹の羹はみかに命令して厨房に多めにローテーションに入れるようにと伝えた。なまえはそれにもすぐ気が付いてくれて、宗にとってはそれだけでも嬉しいのである。

「子どもが楽しみだネ。まだなノ?」
「うるさい」

その日の晩餐、なまえも夏目に子どもの事を聞かれ、うっかり真っ赤になってしまった事で夫婦の夜事情を全て知り尽くされてしまった事は、国王夫婦と側近のみか、少数の女官、それから夏目だけの秘密になったのだった。

「えっお師さん…この前…」
「ノンッ!黙れ二度とその口を開くな!!」

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