恋縫雨傘

 外から聞こえる、雨の音が強くなってきた。私は刺繍をしている手を一旦止めて窓の方を見れば、先ほどまで降っていた華奢な雨はいつのまにか庭園の池を強く打っていた。昼間だというのに薄暗い部屋の中は、なんとなくひんやりとしている。

「雨、強くなったようだね」

 陛下はぽつりと呟いてから、自身の手元の絹に針を通して、つつ、と糸を引っ張った。最後に裏側でくるくると丁寧に糸を巻いて留めて、鋏でぱちんと糸を切っている。

「はい。折角久しぶりのお休みなのに、残念ですね陛下」
「べつに構わないのだよ。晴れていようと雨が降っていようとやることは変わらないからね」

 出来た。と小さく呟いてから陛下がばさ、と刺繍の終わった布を広げた。薄青の大袖の襟元には、曲線の模様が銀糸であしらわれている。

「わぁ素敵…!涼しげですね」
「これからの季節にちょうどよいかと思ってね…少し羽織ってみてくれ」
「あ、やっぱり私のだったんですね」
「僕には小さすぎるし、どう見ても形が女性用だろう」

 分かっていたけれど、陛下はやはり定期的にこうして新しい衣装を誂えては私に贈ってくださる。日々増えていく衣が既に部屋に入り切らなくなったので、衣装部屋なるものが部屋の隣に出来たくらいだ。私のばかり申し訳ないと頭の片隅では思うけれど、陛下にとって私の衣を作るという行為は一種の気分転換なようなので、私に出来る事は笑ってそれを着ることだろうと悟ったのである。

「ほら、袖を通したまえ」
「あ、え、すみません」

 陛下が羽織りやすいように衣を持っててくれたので、私はおずおずと袖を通す。相変わらず着丈は完璧だ。腕を広げてみるよう言われたので両腕を広げてくるりと一回回る。

「着心地はどうかね?」
「相変わらずお見事です」
「袖元にも同じ刺繍を入れたほうが美しいね。やはりそうしよう」
「ありがとうございます」

 ほらさっさと脱ぎたまえ。と言われたのでその場でさっさと脱いで衣を手渡した。どうせ下に衣を着ているので恥ずかしくはないけれど、台詞が少し気まずい。
 ちら、と陛下を見れば私の反応に疑問を感じたのか首を傾げているので、私は慌てて大袖を返す。彼は再び椅子に腰掛けると、また針に銀糸を通した。袖元は、襟の図案を少し広げた感じの模様にするらしい。それならそこまで派手にならないだろうとこっそり安堵の息を吐いた。相変わらず、私は庶民の感覚が抜けなくて派手な衣装が苦手である。式典の時に着る服の重さや絢爛さには、ようやく慣れてきたけれど。
 外は未だ会話を邪魔してくるくらいの大きな音で、雨が降り続いていた。雨は嫌いではないけれど、折角陛下が一日休みを取ったのだから庭を散歩したかったな。などと考えつつもじっくり裁縫を教えてもらえる時間は貴重なので、私も椅子に座って作業に戻った。

「……」
「……」
 ザァザァと、雨が降り続く。
「……」
「……」

 明日晴れたら、庭の紫陽花が雨露で美しいかもしれない。それを見るための前準備、と思うことにしよう。

「……」
「……」

 街にいた頃は、そんな事考えもしなかった。ほんの少しでも、心が豊かになれているといい。陛下に釣り合う、心の大きな妃にならなくては。

「……君は、」
「……はい?」
「君は何を作っているのだね?」
「扇子入れです」
「そうか」
「はい」

 布の端まで刺繍を終えた。我ながら以前より上手になっている気がする。一重に陛下の指導の賜物だ。

「陛下、今扇子お持ちですか?」
「あぁ」
「ちょっとお貸しください」
「君のよりも大きいから、参考にはならないと思うのだがね」
「いいんです。これの大きさが知りたかったので」

 そう言うと、陛下は驚いたように目を見張って私を見た。まん丸になった綺麗な薄青い瞳と目が合って、私は思わず笑い出してしまう。

「やだ陛下。ご自分はいつも私に贈り物をくださるのに、立場が逆になるとそんなに驚かれるんですか?」
「いや……その、自分のを作っているのかと思っていたのだよ」
「私のはもう練習用に三つも作ってしまいました」
「そうか」
「はい」

 雨の音が、一瞬静かになった気がした。宗さんがこぼした微かな笑い声が、一番に耳に飛び込んできたからである。
 

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