恋糸六菓

 その日の朝、なまえは女官長に兼ねてから打診していた案件の返事をもらえて大層機嫌がよかった。普段も彼女の希望で妃にしては飾り気のない衣装を身につけてはいるものの、今日はそれ以上に簡素な衣を着付けてもらい、それでも一応妃らしくといつも着る大袖の上着ではなく短い袖のものにした。勿論夫でありこの国の王であり彼女の衣装を日々コツコツ作り続ける宗王の作ったものではなく、嫁入りの時に母がくれた、かつて宗王と打ち解ける前によく着ていたものである。 

「よし、やるぞ〜」

 声を弾ませながら、なまえは女官の案内に従って、未だかつて入ったことのない場所に足を踏み入れた。むせかえるような熱気、そこかしこで立ち上る蒸気に紛れた美味しそうな香り。石造りのそこは、王宮の厨房である。

「王妃さまにご無礼のないように!」

 同行してきた女官長が厨房の人間に厳しい声で伝え、料理人たちが一斉に礼をとる。なまえは慌てた。慌ててそれをやめさせて、今度は自分が丁寧に頭を下げた。

「お仕事の邪魔をして大変申し訳ありません。なるべくお手を煩わせないように致します故、少しだけ場所を貸してくださいませ」

 女官長が呆れた声でおやめくださいと呟き、厨房の者達はポカンとした顔で彼女を見た。噂で市井の出だと聞いているのか否かわからぬが、あまりにも「らしくない」からだろう。

「さ、お時間を取らせてはいけませんね。やりましょう。……え〜っと。お芋と、小麦の粉と」

 不思議な空気が流れるのが気まずくて、なまえは普段より短い袖を更に折って腕を捲り、事前に伝えて準備を頼んでいた食材の確認を始めた。お付きとして残った女官が腕を捲りすぎることを諌めてきたけれど気にしない。それより服が食材に付いてしまう方が不衛生である。
 なにせ、今日は初めて王であり夫の宗に手料理を振る舞える許可が出たのである。市井では妻の料理を夫が食べるのはごく自然の事であり、彼女もそれに少なからず憧れがあった。けれどあれよあれよと王宮で王に仕える者になってしまった為、それも叶わなかったのだ。
 とは言っても王宮料理人が作る料理に比べたら、自分が作る庶民の料理など宗の舌に合うはずもないので、考えた挙句おやつを作ることにした。市井では人気の、芋のあんが入った点心を作ることにしたのだ。これならば、以前街の食堂で働いていた時に仕事として作っていたものだから比較的美味しく食べてもらえるだろうと踏んだのである。
 芋を茹でて裏ごししてからよく練り、砂糖と蜂蜜、ほんの少しの塩を混ぜ、隠し味にバターを加えてさらに練る。小麦の粉で生地を作っている間に味見をしてみれば、そもそも使用する食材が市井とは段違いなので、目を見張るほど美味しい。

「えっ、やだ、おいしい〜」

 思わず妃であることを忘れてそんな風に呟けば、女官が興味ありげに見つめていたので味見用の匙を出せば、おそらく貴族出身である彼女からも美味しいと言ってもらえたので、なまえは内心胸を撫で下ろした。
 小麦の粉で生地を作り、あんを包み、蒸したら完成である。その辺は手際良くこなして今一度厨房の隅を貸してくれた料理人たちに礼を、それからすっかり妃の好物になった蟹の羹(スープ)がたくさん出てくることが嬉しいということを直接伝え、女官と共に厨房を辞した。やはり側仕えのみかを経由して、なまえの好物に気がついた宗が蟹の羹を献立に増やすよう伝えてくれていたようである。以前それを直接宗に聞いた時は上手くはぐらかされてしまったが、きっと彼に違いないと思っていた。やはり彼は温かい愛情を持っている人で、それを上手く相手に伝えるのが苦手な人なのだ。純粋に愛おしいと思うし、それを少しずつ返していきたいと思っている程度には、なまえも宗を愛している。

 一旦部屋に戻り上着だけは宗が作ってくれた藤色の大袖に着替えてからまだ温かい蒸籠を持って、今は執務室にいるであろう夫を思い浮かべた。妃の好みを把握してくれたりと、少し分かりにくいものの宗が自分に向けてくれている沢山の愛情がとても嬉しい。
「陛下、喜んでくれるかしら」
 小さく呟けば、女官はすぐに是と言ってくれた。


 ようやく仕事がひと段落した辺りで、女官と妻であるなまえが執務室に顔を出してくれた。時刻はちょうど八つ時で、宗も小腹が空いた頃合いだった。

「おやつお持ちしました。いかがですか?」

 ほう、と宗は執務用の机から立ち上がった。ずっと筆を走らせていたせいで肩が重い。部屋の端にある来客用の卓に座ると、妻は蒸籠を置いた。みかに花茶を頼んだ彼女は普段と違う、どこか緊張したような面持ちである。

「気が利くね。ちょうど小腹が空いていたのだよ」
「よかったです。陛下甘いもの大丈夫ですよね」
「あぁ」
「でしたら、その、よかったら、これ」
「……?」

 突然歯切れの悪い口調になりながら蒸籠を開けた妻にやや疑問を持つも、中を見ると白い点心がいくつか入っていた。
 その少し素朴な見た目に、宗は既視感を感じた。どこだ、と瞬時に脳をフル回転させて思い出す。彼女と関連しているまだそこまで多くない記憶をどうにか掘り起こして思い出せば、汚く狭い市井の食堂と、遊びに来ていた隣国の王であり友である零、それからまだその食堂の看板娘として働いていた頃の彼女を思い出した。そうだ。ちょうど零が街に行きたいとダダをこねて無理やり入らされた、そして彼女と初めて出会った食堂で出てきた点心と、全く同じ見た目をしている。

「……これ、君が作ったのかね?」
「えっ?なんでわかるんですか?!」

 まだ何も言ってないのに!と目を見開く彼女についクスクスと笑いをこぼせば、一瞬で顔を真っ赤にした妻と目が合う。あの時はまさか食堂で食後の甘味にと零が頼んだ点心を運んできた彼女と結婚するなんて思わなかったけれど、しだいにそれも必然だと思えてきている自分もいる。宗の目一杯の愛情表情の一つである、彼女へ贈った手作りの衣装をこうして毎日着てもらえる日が来るなど、彼女を王宮に幽閉さながらに嫁がせた時は思いもしなかったのだから。
 頃合いを見計らったかのように、みかが花茶を淹れた。花茶の爽やかな苦味のある香りと点心の素朴な甘い香りは実によく合う。彼女が作ったのならそれは尚更だ。

「ではありがたくいただくよ」
「お口に合うかな……すみません」
「なぜまだ食べてもいないのに謝ってるんだ」 

 ぱふっと点心を割ると、案の定あの時食べたものと同じように芋のあんが入っていた。丁寧に濾してあるのを見て、宗は向かいで複雑な表情をしている妻を見た。

「この餡も、全て君が?」
「はい……えっ、まずいですか?!」
「だからまだ食べていないのだよ。いや、芋をこの形状にするのは相当大変だったのでは、と思ってね」

 そう言うとなまえは、なんだ!とパッと笑った。相変わらず夏場の朝日のように眩しい笑顔である。

「このくらいなんともありません。素材が高級なのでお味も街で食べるよりは上品に出来てるはず、です」

 そう言われて、一口齧ってみた。なるほど、王宮料理人は決して出さなそうな味である。が、素朴な味は悪くないし、何よりなまえが自分のために作ってくれたものだ。ゆっくり咀嚼すると、彼女がより緊張したような視線を投げてくる。一度茶で喉を潤してから、宗はあえて淡々とした口調で言った。

「美味しいよ」
「ほ、本当ですか?」
「あぁ」

 よかったです。と妻が胸元を押さえながらほっと一息吐いた。よほど緊張していたようだ。花茶を飲んでから少し落ち着いたのか、彼女も点心に手を伸ばして遠慮なく頬張る。

「私もいただきます……おいしい〜!」
「そうかね」

 宗も点心をまた齧る。固い芋を滑らかな餡になるまで彼女の細腕で潰して濾したのかと思うとにわかに心配になるが、そういえば彼女は食堂で働いていた時、両腕に大量の空皿を乗せて厨房に運んでいた。と思い直し、余計な心配かもしれないと嚥下する。

「久しぶりに食べると格別です!……いえ、使ってる食材が格別なので街で売ってるものよりずっとずっといいものですけれど、まだ腕は鈍っていなくて安心しました。お料理楽しかったですし」
「また、やりたいならやればいいよ」

 妻があまりに楽しそうだったので、つい宗はそんな事を口走った。本当は料理なんて火も刃物も扱うのだからなるべく手を出して欲しくないけれど、こんなにはつらつとした様子の、恐らく本来の彼女を垣間見せてくれるならそれもいいと思ったのである。
 するとなまえは少し驚いたように目を見開いてから、それはそれは眩しい笑顔を宗に見せてくれた。夏の朝日にも勝る、彼女にしか発することの出来ない鮮やかな光に、宗は吸い寄せられるように目を細める。そんな彼をよそに、妻は優しい子守唄を歌うように言った。

「ねぇ陛下、街で暮らす夫婦はこうして、妻が夫に手料理を作るのも生活の一部で、愛情表現の一つなんです。栄養満点のご飯を食べて健康でいてもらいたいとか、美味しいって言ってもらいたいとか。そうやって毎日少しの嬉しさや楽しみと共に日々を暮らしているんですよ」
 だから美味しいって言ってもらえて、本当に嬉しい。ありがとうございます。と、妻は静かに頭を下げた。その所作はすっかり妃生活で身に付いた美しい所作で、ユリの花のようにたおやかである。
 妃であると同時に時折街娘のような愛妻に宗が翻弄される日々は、まだまだ続きそうである。

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