ターコイズの糸の先

西方の国と休戦協定を組んだ五国同盟の国に属する一人の王子が、近いうちこの国に来てお嫁さんを一人もらって帰るらしい。もちろんそれは、かの御伽話であるシンデレラみたいに街の娘達を呼んでパーティーを開くわけではなく、この国との友好の証として王女の中から選びに来るそうだ。
王女が8人。王子はおらず、王女『だけ』8人。それがこの、なまえが第4王女として生きる国の悩みの種である。この国が栄える為には王女を何人か他国の王子に嫁に出し、周囲との結束を強固にする必要があるのだ。


「ねぇきいた?なまえ。今度来る五国同盟の国の王子様、すっごくかっこいいんだって!」

弾んだ声で、第2王女の姉が言った。なまえは読んでいた本を閉じて姉を見る。5つ歳上の姉はここ最近露出の多いドレスを着るようになったような気がしていたが、恐らくその王子が来た時自然に同じような露出の多いドレスを着ていても、打算だと周囲に思われない為か。などと考えた。恐らく当たりだろう。何せこの2番目の姉は面食いである。

「そうなんだ…。どんな人なのか楽しみだね」
「1姉様から末っ子ちゃんまで好きなように王子に選ばせるってお父様が仰ってたわ」
「えっ…末っ子ちゃん、まだ9歳じゃない…」
「そういうのが好きな王子だったら、むしろ喜んで持っていくんじゃない?」
「えぇ…」

そんな所にかわいい妹を嫁がせるのは嫌だ。などと思いながら、なまえは苦々しく顔を歪めた。どんなに顔が綺麗でも、妙な性癖を持っている王子なら願い下げである。

「あたしは顔が良ければわりとなんでもいいかな〜。1姉様も同じ事言ってたわ。あの人そろそろ嫁がないと」
「1姉様はお婿を取るんじゃないの?」
「あの人南の国に嫁ぎた〜いとか言ってたわよ」
「軽いなぁ」

選り好みが激しい第1王女はふらふらと気移りしやすい性格なのが災いして、結婚適齢期を徐々に過ぎつつあった。なまえが考えるに、この国の王妃になるのはなまえより2つ歳上の、頭のいい第3王女だろう。やや王女としての自覚が足りなく街に行ってはふらふら古書店を巡ったりしているようだが、その分街をよく知っていると思う。
問題は大の男嫌い、というところであるが。

「うーん、問題は山積みだわ…」

眉間にシワを寄せて、なまえは呻いた。出来るなら第2王女の好みの顔の王子が来て、サクッと意気投合していって欲しい気がする。美男という噂もそこそこな、姉妹間で争いが起きないような無難な王子が来ますように。などと考えながら、なまえは深いため息をついた。


「お初にお目にかかりますお姫様たち。逆先夏目です」

しかしそんななまえの思いとは裏腹に、彼女でさえおお、と内心で呟いてしまうような美しい美しい王子が、五国同盟の玄関口である国からやってきてしまった。エキゾチックな衣装がよく似合う彼は、第2王女どころかほとんどの姫の心を一目で掴んでしまったようであった。男嫌いな第3王女と末っ子の9歳の姫、それからこの出来事を俯瞰で見ていたなまえ以外の姫のハートをすべて一目で奪い去ったのだ。

8人の娘の父である王は少しばかり複雑そうな顔をしていたが、数分夏目と話していただけですっかり彼を気に入ってしまったようだった。話術に長けた、賢い王子のようである。

王女たちはそれぞれに着飾って玉座の横に控える。各々自己紹介するよう促されたので、なまえも姉たちに倣って丁寧に名前を言えば夏目王子は「こんにちはハ。なまえ姫」と挨拶をしてくれた。にこりと笑うその顔も美しい。

「なまえは君と同い年だ。気も合うと思うのだがね」

父が余計なことを言ったせいで、第1王女第2王女がムスッと王を見た。なまえはあぁ、後でチクチク言われるのは私なのに…と内心ひやひやしながら目を伏せる。

「では、夜は宴を催そう。姫達といくらでも話をし、気の合う者を見つけるとよい」

王はそう言うと立ち上がって玉座を辞していった。夏目王子は深く礼をして父を見送ると、スッと立ち上がる。ここから夜の宴までは自由時間、というものだ。
なまえは早速王子に話しかけに行く1番目と2番目の姉を一瞥してから、3番目の姉が興味ないとでも言いたげに書庫に戻るのを見た。下の妹たちはどうしていいかわからず玉座をうろうろとしていたけれど、皆そもそも結婚に興味があまりないのだろう。やがて女官に促され散り散りになっていった。

「今日は、習い事もないのよね…」

端的に言うと、暇だった。姉たちから言えば時間なんていくらあっても足りないのだろうけれど。
いつもは素通りする程度の庭に面したバルコニーでぼんやりとしていると、背後の扉が開く音がした。

「やァこんにちハ。なまえ姫」

あの時に8人分の王女の名前を覚えたのか…と感心しながらドレスを持ち上げ丁寧に礼をした。

「ごきげんよう夏目王子」
「ありがとウ。君はいかがかナ」
「えぇ。上々、ですわ」

普段こんな言葉遣いをしないので、片言になりながらも挨拶を返せば、夏目王子は綺麗に笑ってなまえの隣にそっと立った。

「…あの、姉様たちが積極的過ぎたら…その、ごめんなさい。ご無礼なことをしていないでしょうか」
「きれいな姫君と話が出来たかラ、ボクは満足かナ」
「そうですか?ならよかった…」

うん。と笑う夏目王子の笑顔からは何も読めない。何枚もうわ手そうな夏目王子の真意なんて読み取れるはずがないのである。

「なまえ姫はボクと同い年らしいネ。なんとなく親近感が湧くナ」
「あ、はい…けれど私は五国同盟でご活躍なさった夏目王子のように国に貢献できているわけではありませんから…」
「こちらは世界の貿易の要。姫君たちはそこにいるだけで素晴らしい宝石ダ」

上手だなぁ。なんてぼんやり思いながら、なまえは夏目の真紅の髪がさらさらと風に揺れるのを見つめた。この時期は花の季節を終え、新緑が庭を彩る。濃い緑色の庭に彼の赤い髪が映えていた。

「きれいですね…」
「え?」

思わず呟いて、なまえはハッとしたように意識をこちらへと戻した。

「あ、ごめんなさい王子。庭の緑にあなたの髪が映えて綺麗だなって思ったんです」
「…素直な口説き文句をありがとウ」
「えっ!?」

そんなつもりなかったのに、思わず男の人相手に「きれい」だなんて呟いてしまったのが恥ずかしくて、なまえは顔を赤くして下を向いた。
いやだ。彼に興味なんて大して持っていないくせに、媚びを売ってしまったようで恥ずかしい。
下を向いたまま視線を上げようとした所で、夏目王子が着ている衣装の裾に目がいった。細かい刺繍とビーズが縫われたそれは風でひらひら揺れる。はっきりとした色を使ったその衣装は夏目王子の魅力を何倍にも跳ね上げている気がした。

「あの、衣装お美しいですね。そちらの国ではそういう衣装なのですね」

あからさまに下を向いたのを誤魔化した。衣装が気になった、とでも言いたかったように口を開けば、夏目王子は少し時間をかけて「…あぁ、」と相づちを打った。

「そうだネ。こちらの国とはだいぶ違うかラ、ボクの妃になる姫は最初着慣れない不便をかけるかもしれないナ」
「いいえとても素敵です。異国の衣装って憧れてしまいますね」

スタイルのいい姉たちならきっと喜んで着るだろうし、きっと着こなすだろうからその辺りの心配はしなくていい。と付け加えようとしたけれど、自分も一応は彼の妃候補なので失礼にあたると思いやめた。
すると彼は小さく微笑んだ。

「君なら何色の衣装が着たイ?」
「あ、えと、私、ですか?」
「うン。お姉さんたちではなくて君、だヨ」

ギクッとした。自分が頭の中で考えていた事が、夏目に全て漏れていたのではないかと思ったのだ。必死に取り繕って、脳をフル回転させて返事を返す。

「そうですね…。私、落ち着いた色味を着ると実年齢より老けて見えてしまうらしいので明るい色味のお衣装を着てみたいです。…あ、王子の着けていらっしゃる耳飾りの石の色、素敵です」

彼の耳にはターコイズの石がゆらゆらと揺れている。髪にんも映えてこちらも綺麗だと思っていたのだ。

「そうだネ。君はこの色似合いそうだかラ…白地にこの色の糸と金糸で刺繍した衣装なんて似合いそうだネ。シンプルに端に二色で縁取ったようなものとかどうかナ」
「素敵!王子のお国は絹糸が名産ですものね。一度着てみたいです」
「うン。うちの国はここより気温が少し高いから生地も薄いものになるけど、君は我が国のゆったりとした衣装も似合いそうだネ」
「そうですか…?嬉しいです」

にこ、と夏目がまた笑った。透き通った琥珀のような、蜂蜜のような瞳が柔く細まる。
そこでようやく、なまえはすっかり話し込んでしまっていたことに気が付いた。そんなつもりなかったのに。

「あ、すみません夏目王子。お時間を取らせてしまい…」
「そんなことないサ。楽しい時間をありがとウ」

夏目がなまえにくるりと背を向けた。が、「あ、」と何かを思い出したように声を上げると、一度振り返って言った。

「ねぇなまえ姫。もし君が今ものすごくリンゴ食べたくテ、果物売りが一つこのくらいの値段なら売りますって言ってきたら、買う?」

夏目が三本指を立てた。がなまえは首をひねる。

「あの、それは王子のお国の通貨で、ですか?それとも我が国の…?」

そう質問すると、夏目は一度びっくりするように目を見開いてから、楽しそうに笑った。

「あぁ、ごめんネ。この国の通貨でだヨ。買うかイ?」

なまえは首を振った。市場での相場は彼が提示した値段の1/10程度である。いくらリンゴが食べたいといっても10倍の値段のものなんて食べる気にはならない。王族であるけれど、王である父が王族にも質素倹約を徹底しているので、なまえの金銭感覚は街の民に毛が生えた程度のものだった。

「…フゥン、素敵な答えをありがとウ」

じゃあネ。と手を振って、彼は去っていった。

「なんなのかしら…」

不思議な人だ。けれど先ほどより興味が湧いた気がする。自分でも気がつかぬうちに、なまえは夏目が去ったあとをぼんやり見つめていたのである。


6.7.8王女は問題外。歳下すぎる。
1.2王女もほぼ問題外。歳上なのは構わないけれど単純に好みじゃない。この2人の金銭感覚では、いずれ我が国の国庫を食い潰す。
残るは3.4.5王女だけれど、第5王女は少し人見知りが過ぎるようで、ほとんどまともな話すら出来なかった。第3王女はかなり賢い姫君で先ほどはなんとか貿易の話に持ち込んで会話出来たけれど、本人自体は酷い男嫌いらしく女官がいないとこちらも話すら出来なかった。あんなにも賢い姫君ならこの国に留まって王妃として、もしくは女王として手腕を発揮し、我が国といい関係を続ける努力をしてもらいたいと思った。

とすると、残りは第4王女だ。やたらと第1.2王女のことばかり気にしていたあの姫君が妥当だろう。金銭感覚も王族ならではの常識外れではなかった。自国のことしか頭に入っていないわけではなく、視野も広そうだった。

それになぜか、気がつけば自然と彼女を探して城内を歩いていた。特に美人なわけではないし、どちらかというと目立たないタイプの姫君だった。

けれどバルコニーで話した時、夏目の衣装に目を輝かせていたのは少し可愛いと思ってしまった。
この国の王女を一人、必ず嫁に迎えなければならない。それは国同士の盟約ではあるけれど、夏目と姫にとっては人生のパートナー選びだ。出来るならば、今後も平穏に過ごせる姫君を選びたい。
自分は宗のように愛おしいと思った女性を妃に迎える事は出来ないが、まぁ彼女ならいいかもしれない。と、軽い気持ちで夜の宴の後、王に第4王女を求めると王は機嫌良く「二人なら似合いだ」と喜んで差し出してくれた。娘を嫁に出すのは心痛だろうが、恐らく為政者として才のある第3王女を取られるのは嫌だったのだろう。「控えめで人に寄り添う事が得意な子です。どうぞ末長くよろしくお願い申し上げます」と王女たちの母である妃もそう笑った。
自分はよい選択をしたようである。
これでこの貿易に特化した国との強固な繋がりが出来た。と夏目は内心で小さく笑った。

「す、末長くよろしくお願いします…」

まさか自分が選ばれるとは思っていなかったらしい第4王女なまえは、目を白黒させながらドレスを持ち上げる。挙動不審な様は、夏目の加虐心のような悪戯めいた何かをふつふつと沸かせている。無自覚にも。

「先ほど話した衣装を我が国に来たらすぐ作ろうカ。着ている姿を見てみたいナ」

そう言うと、彼女の目が煌めいた。
まだ我が国の衣装にしか興味のない娘の視線をいつかこちらに向けてやる。そう思える程度には、彼女を愛し始めている事に夏目はまだ気がつかないままなのである。

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