朱の糸は誰の為

貿易が盛んな国と更に強い繋がりを得る為に、八人の王女の中から一人選んで嫁として自国に連れてきた。正直な所消去法で決めた姫君だし、彼女の国との国交がより濃いものになるならそれで十分。自身の結婚生活は潤ったものでなくても構わないと思っていた夏目は、その考えは少し甘かった、と認識し始めている。

何故なら妻となった姫君が、自分と仲良くなるために努力してくれているようなのだ。その最たる物が、これである。

「おやすみなさい夏目さん」
「うン、おやすミ」

彼女に向かってにこりと笑ってから背中を向けて布団を被ろうとすると、なまえ姫は「待ってください」と近寄ってきて、一度夏目にキスをしてから背を向けて眠ってしまった。

「……」

複雑な気分になりながら、夏目はランプを消して緩慢な動きで横になる。
結婚して寝室を共にするようになってから、なまえは同じタイミングで寝室に入った時必ず夏目に口づけ、所謂『おやすみのキス』をしてから眠るのだ。
一緒のベッドで眠るのは夫婦として当然のものなので、特に違和感はない。広いベッドなので特に肩を触れ合わせながら寝るわけでもないし、初夜以外ではそういうことはしていない。所詮政略結婚だ。互いに互いを愛して結婚したわけではないのだから、今は一緒に眠っているだけで十分互いの責務は果たしていると夏目は思っている。
けれど彼女は寝る前に恥じらう事もなくごく自然に唇を重ねてくるので、夏目はどうしていいかわからず彼女を止めることも出来ず、こうしてなすがままにされてランプを消すだけなのである。

「いつからお出かけになるんですか?」
「明後日からかナ。宗にいさんの国だからそこまで遠くないし、数日で戻ってくる予定だヨ」
「そうですか。お気をつけていってらっしゃいませ」

留守の間はお任せくださいと暗闇の中でなまえは言った。その声は少しだけ遠いのに、夏目の唇には未だ彼女の唇の感触が残っている。その感触の先を本能的に求めたくなる夜もあるけれど、そんな自分が信じられない方が大きいから、暗闇の中彼女に覆い被さることはしない。

「あのサ…」
「はい」

なぜ寝る前に必ずキスをしてくるのかを聞こうとして、やめた。
ただの政略結婚ではあるし、自分は合理性を考えて八人の姫君の中からなまえを選んだ。彼女もそう考えていると思ったけれど、もし自分に好意を持ってくれているのなら、その質問は妻を辱める事になると思ったのだ。

「やっぱりなんでもなイ。おやすミ…」
「……」
「あれ、」

気がつけば彼女は静かに寝息を立てていた。こちらが話しかけているというのに寝落ちてしまったようである。

「まぁいいカ」

なまえの寝息が静かに聞こえてくるのが心地よくなる程度には、彼女の隣で眠ることにも慣れた。その寝息をもっと近くで聞きたいのかどうかは、今のところ夏目自身にもわからないことだった。


翌々日、夏目は宗の国へ行くべく支度を整えて国を出た。今回は宗の国と関税についての話し合いの為赴くことになったのだ。前回宗の国に行った時自分はまだ独身で、宗も新婚だったからか妃とも少しぎこちない様子であったのでからかい甲斐があったが今はどうなのだろうか。とふと考える。あの時の宗の居心地の悪そうな顔を思い出すと以前は面白がれたというのに、今は自分も同じ顔をしているのかもしれないと思うと少しばかりむずがゆい。宗と事情は違うけれど、間違いなく自分もあの時の宗のような顔をしている気がするのだ。

一瞬そんな事を考えて、夏目はその思考を吹き飛ばした。五国同盟は確かに同盟国として繋がったが、常に互いに目を光らせておく必要がある集まりであるのも確かな上に、いつまた西方の大国が休戦協定を破って攻め込んでくるかわからない。互いに監視し合っていく必要がある。

「さて、なんて言って切り出そうかナ…」

夏目が今回持ちかけようとしている話は関税の増額だ。互いに戦の傷が癒えるまでとかなり安い関税で宗の国の鉱石類を輸出していたけれど、そろそろ増額してもよいだろうと思ったのだ。これは全ての国に持ちかけようと思っているが、一番貿易のやり取りをする宗の国から頼むのには意味がある。他の国には『あの』宗が関税について増額を了承したと言うだけでかなりの効果を発揮するからである。

馬車に揺られること数日、自国とは全く違う雰囲気の宗の国に着いた。目立たないようマントを羽織り、街の中をざっと見ていく。特に民たちは飢えている様子も無く、活気がある。むしろ以前来たときよりも経済も安定してきているような気すらする。

「フゥン…これなら宗にいさんも案外すぐお願い聞いてくれるかもネ」

小さくそう呟けば、側近も静かに頷いた。
ふと、商店通りで服を吊し売りしている店を見つけた。古着屋ではなく染め物屋なのか、売っている服自体は少ない物のしっかりした生地のものを売っているようである。

「へェ…。良いものを売っているネ」

思わず立ち止まってそれを見ていると、店主が話しかけてきた。

「いらっしゃい!うちは染め物屋だけど最近仕立てもやっていてね!どうだい異国のお兄さん、うちの国の服は土産にも評判だよ!」
「確かに綺麗な染め色ダ」
「そうさ。恋人に一枚買っていったら喜ぶんじゃないかい?」
「……」

そう言われるとなんだか複雑な気持ちになるが、確かになまえへの土産にこの国の服、というのはちょうどいいかも知れない。

「そうだネ…じゃあ、この淡い朱色の裳(スカート)と、白っぽい…あぁ、その上衣だネ。それをもらおうかナ」

店主はまさか夏目が他国の王子などと知らず、お兄さんお目が高い!などともてはやしてくる。包みを無言で受け取り、早々に店を離れた。

「なまえは綺麗な衣装に興味があるみたいだしネ。まぁ、このくらいは…」

なぜか言い訳を並べながら、包みを持ちますと言ってくれた側近に渡す。側近は夏目の言い訳を最後まできちんと聞くと、「仲がよろしくてなによりです」と言ってきた。
少し気まずい。契約でやってきた姫君なのになどと思いながらも、それも悪くないと思っている自分がいるのが余計に気まずい。

「あぁもう…!」

国を離れても、なまえの事を考えている。こんな予定ではなかったのに。八人の姫君の中から消去法で彼女を選んだはずなのに。それもこれも彼女が悪い。なまえが毎晩おやすみなさいと柔らかい声で言って、口づけてくるのが悪い。別に初夜も終えているので彼女の肌を知らないわけではないけれど、あの頃は今のような気まずさは抱えていなかったから、話は別だ。
ただ、そのキスを拒む理由はない。密かに期待している自分がいるのが、夏目は一番避けたかった事実なのである。


結果、宗との交渉は上手くいった。宗も宗で「そろそろこちらから言い出そうと思っていたのだよ」と言っていた。今まではそれだけ安い関税だったのである。こちらに有利な、けれど宗の国が損をするだけではない結果に持ち込めたのは、大収穫だった。

「結婚生活はいかがですか夏目様」

会談が上手くいったその日の夜、夜の晩餐で宗の妃が何気なく夏目に聞いてきた。結婚式には勿論夫婦で呼んだのだから彼女もなまえを知っていて当然なのだが、夏目は一瞬ぴくりと反応する。宗は絶対にそんな質問してこないと踏んでいたけれど、まさか妃がしてくるとは思っていなかったのだ。こう言ってはなんだけれど、庶民の出である宗の妃は前回夏目の前でひどく緊張していたので会話を彼女が振ってくることはないと思っていたが、段々とこういう場に慣れてきたのだろう。余裕のような物が見えてきている。

「あ、あぁ。そうだネ。仲良くやっているヨ。気は合うみたいダ」
「それはよかったです。とても上品な可愛らしい奥様ですものね」
「ありがとウ。なまえに伝えておくヨ」

そこで、ふと国に着いてすぐ買った土産について思い出した。完全に自分のセンスで買ってしまったが、女性の意見も聞きたいと思ったのだ。

「街の染め物屋で質のいい衣が売ってたから彼女への土産に買ってみたんだけど、薄い朱色の裳に乳白の上衣に金糸の刺繍っておかしな組み合わせではないかナ?」
「いえ、とても素敵です!奥様もきっと喜ばれ……あら、染め物屋?」
「うン、商店通りにある染め物屋だヨ。知ってル?」

すると彼女はあはは!と妃にあるまじき笑顔で笑ってから、ハッとしてすぐに謝罪をした。なぜか宗まで夏目に一言「すまない」と言ってくるのがむずがゆい。

「…?もしかして知り合いの店かナ」
「知り合いというか…私の実家です。お買い上げありがとうございます」
「そ、そうだったんダ…。すごい偶然だネ」
「えぇ。最近兄が結婚して、腕の立つ仕立屋さんの方が嫁いできたからって仕立ても始めたと聞いているので…まさか夏目王子に買っていただいたなんて知ったらみんな腰抜かしちゃいます」
「土産を買うくらい仲が良いのか。…なによりなのだよ」

それについてはなんとも言えないが、とりあえず上手く取り繕っておいた。妻に土産を買うのは何も不思議な事ではないし、高い買い物でもない。他国に対して夫婦仲が良いというアピールをしておくのは悪い事ではないし、実質仲が悪いわけではないので嘘をついているわけではない。

けれどなんとなくむずむずして仕方なかった。
なまえの喜ぶ姿を思い浮かべるとそのむずむずはより加速してしまう。その夜夏目はさっさと布団を被ったが、何かが物足りなくてなかなか寝付けなかった。
それがもしかしたら彼女からのキスなのではと思った瞬間毎晩のそれに期待しているという事にも気が付いてしまって、目が冴えきってしまった。

そんな馬鹿な。なまえとは政略結婚で、消去法で決めた姫君で、特に顔が好みだとか、そんな感情抱いていなかったはずなのに。

「最悪ダ……」

しんと静まり返る、異国の夜。なまえの元には、明日帰ることになる。その時どんな顔をすればいいのか、夏目にはもうわからなかった。
後に夏目は知ることになるが、彼女が毎晩寝る前にキスをしてくる理由はただの文化の違いだっただけなのである。彼女の国の夫婦はそうするのが自然なのだとあっけらかんと言った妻に、夏目はあんなに考え込まされた時間を返してほしいと心の底から思ったのだった。


帰国して、土産に買った宗の国の衣と帰りに簪も買ったのでそれも一緒に渡して着せてみたら不思議となまえによく似合った。少し満足げに「似合ってるヨ」と彼女に言えば、なまえは夏目が驚いてしまうくらい顔を赤くして恥じらった。

「嬉しいです。ありがとうございます…」
「…喜んでくれてよかっタ」

実は異性に服を贈るという事は夏目の国では深い深い意味を持つのだが、つい最近まで外国の者であった彼女は知らない。一人、全身入る大きな鏡の前でくるくる回って裳が広がる様を楽しんでいるなまえを見かけた時は急に彼女がものすごく可愛らしく見えた。夏目は一瞬緩みそうになった口元をなんとか引き締めて、揶揄うべく彼女の前に姿を現せば、なまえは恥ずかしかったのか小さな悲鳴を上げて自分の部屋に逃げ帰ってしまった。

その日の夜は、初めて寝る前のキスがなかった。失敗した、と思っている自分にも嫌気が差した夏目なのである。

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