乳白の糸を奏でて
国の財政が逼迫しているわけではないが、王族の金銭感覚は一瞬で国を揺るがす引き金になることに、夏目は気が付いている。
ゆえに他国の姫君八人の中から一人を嫁にするという選択を迫られた時も金銭感覚がより庶民に近い姫君を選んだ。消去法と言えば消去法だが結果的に良い選択をしたと、結婚して数ヶ月ほどが経った今でも思っている。
妻になった姫君は良く言えば控えめで奥ゆかしく、悪く言えば庶民感覚が強い娘だった。八人姉妹の真ん中だった分周囲と合わせる事に注力し、空気を読んで生きてきたのだろう。ゆえに自身の意見をあまり言わない、人の顔色を窺ってしまう娘の出来上がり、というわけである。
しかし人の話を聞くのはとても上手で、心地よい空気を作るのが得意な娘だった。
「あの、夏目様。お願いします。」
しかしそんな妻がある日、こんなわがままを言った。
「この耳飾りが欲しいです。買ってはいただけませんか?」
その日は遠くから宝石商がやってきており、夏目や夏目の母である女王の前で色んな宝石や装飾品を見せてきた。どれも見るに上等な宝石で、王族が着けるに値するもの、と母も判断したのだろう。自身のものをいくつか買った後、夏目の妻にも品物を勧めてきた。
最初、妻は少し困ったように笑ってから、品定めするように宝石を見ていた。そんな後ろ姿をぼんやり見つめながら、夏目は彼女がおねだりの為にこちらを振り返ることはないと踏んでいた。勧めてくれた女王の顔を立てるために何か選ぶふりをしているのだろうと、そう思ったのである。
しかし彼女は少し申し訳なさそうに、おどおどとしながら夏目の方を振り向く。その手には一つの耳飾りがあった。白く淡い輝きの中、角度を変えると様々な色に変化するその石の名前を、商人は「オパールです」と答えた。
「へェ。これが気に入ったノ?」
大粒のオパールで作られた耳飾りは確かに美しい。余計な装飾が施されていないそれは、その分宝石の美しさが映える品だった。ただ宝石が大きい分、値段はそれなりにすることだろう。
夏目は内心首を傾げながら、彼女が鏡を見ながら耳に当てている宝石を見た。彼女の感覚なら「こんなに高価なもの、」と言って絶対に手にしない品物だろう。なのに今回はそれが欲しいと夏目におねだりをしてきた。彼女が起こした初めての、そして予想外のアクションに夏目はやや困惑する。
「はい……あの、高価なものなのはわかっています。今後何もねだりませんから、これだけでも買ってはいただけませんか?」
夏目は内心ため息を吐いた。感覚が庶民に近いというのは美徳だが、商人の前でその発言はいただけない。この国の財政が逼迫しているように聞こえてしまっては、今後の外交に関わってくるというのに。
「全く。ボクの奥さんは相変わらず控えめだネ。君におねだりされたらボクはなんでも買ってあげちゃうのニ」
「え?い、いえ。そんな」
「そもそも君は普段からもっとボクにおねだりしてもいいんだヨ?」
「滅相もありません」
そっと妻の腰を自身の方へと引けば、商人が微笑ましそうな目でこちらを見た。これで控えめ過ぎる妻を心底可愛がる王子、の図が出来上がった。作戦は成功である。
「というわけで、これをもらうヨ。いいかナ?」
妻の手の中の耳飾りを商人に見せれば、商人は額を床に付けんばかりに礼をした。後で大臣が支払いをするだろう。
夏目は妻の手の中にある耳飾りを手に取って、彼女の髪を耳に掛けた。少し指が耳に触れてしまったのか、瞬時に耳を赤くする妻にひっそりと顔を綻ばせながら、耳飾りをつけてあげる。妻の髪の色にも瞳の色にも綺麗に映えるオパールの宝石は、陽の光を浴びて虹色に煌めいた。
「ありがとうございます……!!」
「うン、似合ってル」
「本当ですか?」
感激のあまりか、少し泣きそうなくらいはしゃいでいる妻を初めて見た。こんなに可愛いものか。と無意識に考えてから、夏目は自身の思考にただただ驚いた。
だから、消去法で決めた姫君だってバ……!
自分にそういい聞かせる。けれど他の選ばなかった七人の姫君に何かねだられて買ってやる気になるのかは、今の夏目にはわからなかった。
夜、彼女の国では当たり前だという寝る前の口づけに付き合ってやってから、夏目は彼女に一つ聞いてみた。純然たる好奇心からである。
「ねェ。今日買った耳飾り、どこがそんなに気に入ったノ?」
普段は何も欲しがらないせいで、侍女が見繕って服や装飾品を身につけている妻からしたら、今日の行動は少し不可解だった。その真意が夏目は知りたかったのである。
妻は起き上がりもう一度深く頭を下げた。違う。お礼や謝罪が欲しいのではない。どうしてそんなに気に入ったのかが知りたかったのだ。
すると妻は、寝物語を聞かせるような声で言った。
「私の生まれた国では、昔、結婚式で必ず身に着けなければならない宝石があったんです」
「へェ」
聞けば彼女の国では100年以上前、結婚式の際王族はオパールしか身に着けてはならなかったらしく、その文化が廃れてしまった今でも結婚式を挙げる時は一つオパールを身に着けるらしい。オパールと言えば花嫁の象徴、少女たちが憧れる宝石、というわけだ。
自分たちの結婚式はこの国で執り行った。勿論夏目の国にはそういった文化はない。
「私はもうこの国の人間ですけどやっぱり少し憧れがあって……。すみません。憧れってだけで高価なものを買っていただいて」
「ううン。正当な理由じゃないかナ。確かオパールの宝石言葉は……」
無意識に彼女の髪を撫でながら思い出そうと思考を巡らせる。そうだ。
「純真無垢、希望、幸運…などかナ。確かに縁起が良くて花嫁にはもってこいの石だネ」
「角度によって色が変わるから、旦那様がどんな色をしていても同じ色に染まりますって意味合いもあるとか……」
「そういうの、女の子は好きそうダ」
「はい……その、耳飾り、大事にします。本当にありがとうございます」
長年の夢が叶いました。と柔らかい声音で妻が言った。たまには悪くない。と夏目は思う。
「あの、夏目様に何かお礼がしたいです。私」
おや。と夏目は思う。少なくとも夜の寝所で言うにしてはふさわしいというか、油断が過ぎるというか、夫婦としてはごく自然というか。何にせよ、そういう隙の多い台詞に上手くつけ込んでしまおうと思う程度には彼女を愛し始めていることは、もはや認めざるを得ない事実だろう。
けれど同時に悪戯心もふつふつと湧いてきてしまう。少しからかってしまえ。
「お礼?何かしてくれるノ?」
「はい。私に出来ることであれば何でも……」
「なんでも?」
何でもしてくれるだって。甘すぎて吐き気がしそう。
そんな夏目の邪な思考をよそにふと彼女を見れば、なにやら妙に真剣な顔をしていた。耐えきれなくて、思わず噴き出してしまう。
「えっ、なんで笑うんですか……!?」
「いや、ごめんネ。あまりに真剣な顔しているかラ」
すっかり機嫌のいい指先をそっと彼女の頬に這わせれば、妻はビクリと大きく身を揺らした。やれやれ。ようやく思考が夜に傾いたようである。
「なんでもしてあげるなんて、ボク以外には言わないでネ」
先ほどとはうってかわって小さい返事。ようやく気が付いたらしい艶のある空気にどぷりと浸るべく、妻がなんでもしてくれる気でいる内に、と夏目は彼女に口づけをして、ゆっくりと覆い被さった。
.