2.before climax

Eve。
ふんわりと柔らかいイメージの巴日和と、ワイルドなイメージを持つ漣ジュンの二人のユニット。さらにここに二人アイドルが入って、四人でEdenというグループもあることをなまえは最近知った。
知った、というより初めから知っていたけれど注目し始めた、というのが正しい。顔を見て名乗られればすぐ『あの』漣ジュンだとわかったのに、まさかあんな場所で毎朝ランニングしているなんて気が付かなかったなまえは、彼の連絡先を知った時、思わず情けない声を漏らした。
テレビの向こうにいるアイドルは実在するのだという現実を急にぶつけられたショックで、なまえはしばらく呆けてその日は過ごした。けれど母が無事祖母の家に着いたと太郎の写真と一緒に連絡をくれたことでようやく意識を取り戻したような、海底から顔を上げたような気分になったのである。


あれから数日、勿論なまえから連絡はしていない。出来るはずもない。相手はあの漣ジュンだ。そうやすやすと連絡を取っていい相手とは到底思えなかった。しかしその日の夜、彼女のスマホが音を立ててメッセージの着信を知らせた。何気なく見ると着信相手の名前に『漣ジュン』と書かれている。

「えっ!?」

一人なのに思わず叫び声を上げて、なまえはスマホの画面を見た。間違いなくジュンからで、『画像を添付しました』という表示が出ている。何か写真を送ってくたようだ。
その後に続いて、今度はメッセージが送られてくる。『前に話したブラッディメアリです』と書かれているのがロック画面にプッシュ通知で表示されている。

「メアリちゃん…見たい…」

ジュンが以前メアリは小型犬だと言っていたことを思い出して、興味が湧いた。犬は全般好きなので、耐え切れず彼のメッセージを開いてみる。そこには小さな洋犬と、巴日和が満面の笑みで写っていた。

「う、うわぁ!!」

思わず叫び声を上げた。犬だけの写真かと思いきや、突然前方から殴られたような衝撃を感じる。

『すんません。おひいさんがどうしても一緒に写りたいっていうんでツーショットになっちまいました。申し訳ないですけど友達とかには見せないでください』

更に続いた彼のメッセージには、アイドルの慎重ぶりが窺えた。彼らは写真1枚で価値があるものだ。当たり前の心配だろうと思い、なまえは返信を打つ。

『勿論、誰にも見せないから安心してください。メアリちゃんすごくかわいい!日和さんにもかっこいいですって伝えてください』

無難な返信だと思う。しかし更に返信が届いた。

『おひいさんが当たり前だね。って言ってます。あんま調子に乗せないでください。メアリは昔おひいさんと寮で同室だった時一緒にこっそり飼ってたんですよ。今はおひいさんが引き取りましたけど』

おひいさんていうあだ名かわいいな。などと思っているともう一枚写真が送られてくる。そこにはメアリと少し照れたような表情のジュンが写っていた。アイドルの眩しい写真になまえは目が潰れそうな錯覚を感じる。
しかし困った。巴日和のことはよくわからないから安直にかっこいいと言ったけれど、顔見知りのジュンに『かっこいい』と言うのはたとえスマホ越しでも恥ずかしくなったのだ。

「…どう返信しよう」

スマホに向かってそう呟きながら、既に『既読』がついてしまったメッセージを見つめる。が、なまえはふと思い直す。彼はアイドルだ。普段からかっこいいなんてコメント言われ慣れているだろう。
なら、自分が言ったくらいではきっと気にしないだろうと思い、なまえはなるべく軽い感じに伝わるように『ジュンさんもかっこいいですね。メアリちゃんが羨ましい!』と送った。
すると、既読はついたのに返事が来なくなった。

「あれ…」

何か失礼なことを言ってしまったのだろうかと不意に心配になる。アイドル扱いされるのが煩わしいとか、逆に安直に褒めてくるなとかあるのかもしれない。なまえは不安に襲われながら、家事をこなしつつちらちらとスマホを見ていると、数十分後にジュンからの返信がポツンと届く。すぐに開くとそこには『ありがとうございます』と一言書かれていた。

この文面から彼の喜怒哀楽など察することなどできるわけもなく、その日は簡単なスタンプで返事をしてメッセージのやり取りを終えたのだった。


次の日、大学の授業を終えてアルバイト先からの帰り道にまたスマホが着信を知らせてきた。何気なく画面を見れば、ジュンからのメッセージである。反射的にドキリとしながらそれを開けば『明日20時からやる音楽番組に出ます。よかったら見てみてください』と書かれていた。

「へぇ…」

恐らくEveやEdenのことをテレビで何度も観たことがあるけれど、アイドルに詳しくなかったなまえはそこまで意識して観ていなかった。なので彼には申し訳ないが、歌もそこまで詳しくない。
しかしこれからはなんとなく見方が変わりそうだ。幸い明日はアルバイトもないので、『明日絶対観ます。頑張ってくださいね!』と返信した。

『頑張ります』

たったこれだけの返信だったけれど、わざわざ自分に出演番組を教えてくれるのは嬉しかった。この前の返信で特に怒らせてしまったわけではないようなので、一つ安堵の息を吐く。そこでふと思い出し、なまえは一枚の写真を彼のメッセージに送った。それは今日母から送られてきた愛犬の太郎の写真だった。田舎の風景の中、ちゃんとカメラに目線を向けている。

『太郎も頑張ってって言ってます』

そうメッセージを付け加えると、すぐにジュンから返信が来た

『かわいいですね。ありがとうございます』

彼らしいシンプルな返事が嬉しかった。

翌日、なまえは早めに夕食を終え後片付けを済ませると、コーヒー片手にテレビの前に座り込む。20時から4チャンネルで始まる歌番組は、すべて生放送なのが売りの番組である。出演者がどんどん登場してくる中、ジュンが日和と一緒に出てきた。今日はEveとしての出演らしい。

「あ、出てきた…」

アイドルの衣装を着て、爽やかな笑顔で登場したジュンと、カメラに向かって軽くウインクをしていった日和。その瞬間会場にいるであろうファンの黄色い歓声がマイクに入り込んでいた。

「そっか。この番組って観に行けるんだっけ…」

なまえは無意識に「いいな」と呟くと、コーヒーを口にした。
アーティストの曲の合間にMCとトークがある番組は、テンポよく進んでいく。やがてEveの二人が前に出てきた時にMCが「最近二人がハマっている物は?」と質問した。

「最近、ではないけれどぼくはやっぱり飼い犬のメアリと一緒に過ごすのが好きだね!最近はペット用のかわいい服も売っているし、そういうものを買ってあげるのが楽しみだね!」
「オレは面白味ないですけど、やっぱランニングですかねぇ〜。ジムで走るのもいいですけど外で走るのも楽しいっすよ。散歩中の犬とすれ違ったり、結構癒されます」
「ジュンくんはあんまり汗くさそうな見た目にならないでね!ムキムキすぎるのはEveのイメージから逸れちゃうからね!」

スタジオで笑いが起きる。しかしなまえはジュンのコメントに心臓を掴まれるような感覚を得た。あのコメントは、きっと自分と太郎の事を指している。あの時の事を癒しだと思ってくれていたのならすごく嬉しくて、なまえは一人頬を緩めた。

MCの「それではEveのお二人、スタンバイお願いします」という声が掛かると、二人はステージに移動した。曲は今度発売される新曲であると、MCが前奏の間に伝えた。曲が始まる。

「う、わぁ…かっこいい…」

なまえは思わず口から感嘆を漏らす。二人の甘い歌声は綺麗に溶け合って耳に柔く心地良いのに、ダンスはキレがあって目が離せない。生歌だというのに寸分も乱れない歌声。会場にいるファンにも、カメラに向かってもばっちりとファンサービスしてくれる所はさすがプロのアイドルだった。結局なまえは用意したコーヒーをほとんど飲まないまま、画面に釘付けになっていたのである。

大きな歓声の中Eveは丁寧に礼をして、カメラに手を振って出番を終えた。なまえは無意識にコーヒーをテーブルに置き、ぱちぱちと一人拍手をする。

「すごい、かっこいいジュンさん…!」

話す声より歌うと少し甘い声になるのも、楽しそうに目を細めて踊るのも目に焼き付いて離れない。カメラ越しでも目が合うのが嬉しくなってしまう。今までアイドルに心を向けた事などなかったが、ファンの子達の気持ちが今更になってよくわかった。

なまえは思わずスマホを手にして、メッセージアプリを開いた。彼に感想を伝えようと、ジュンとのトーク画面を開く。しかしここで、彼女はぴたりと動きを止めた。安易に感想なんて送っていいのだろうか。という思考が滲み浮かんできたのである。彼からしたらたまたま直近で番組に出ることが決まったから教えてくれただけかもしれない。忙しいだろうにわざわざメッセージを確認させてしまうのも悪い気がした。

「……」

すい、となまえはスマホの画面を指で滑らせた。彼とのトーク画面に『こんばんは』から入力し始める。
『こんばんは。歌番組見ました。二人ともとってもかっこよかったです。忙しいのにスマホ確認させてしまうのも悪いかな、と思いましたが、どうしても伝えたくて送ってしまいました。』
『うまく言えないけれど、アイドルのジュンさんすごくかっこよくて、思わす見惚れちゃいました。歌う声も話す声より甘い感じで、すごく好きです。ダンスもキレがあってとってもかっこよかったです』
『あと、勘違いだったらごめんなさい。トークの時に、もしかしてうちの太郎の話してくれたのかなって勝手に思って嬉しくなりました。新曲のCD絶対買いますね』
最後に、忙しいと思うので返信は気にしないでください。と付けて、アプリを閉じた。我ながら語彙力のない感想だな。と思いつつも満足したなまえはまず彼からの返信はないだろうと踏んで、風呂に入るべく席を立ったのである。

スマホにメッセージが来ていたことに、風呂から上がって暫くしてから気が付いた。なまえは大学の友人からだろうかとスマホを起動させると、そこには『漣ジュン』と表示されている。メッセージの返信はなまえが風呂に入ったすぐ10分後にあったようだ。

「えっ!」

なまえ焦ったようにアプリを開くと、彼のメッセージを見た。まずは一つ『ありがとうございます』と書かれている。
『ありがとうございます。見てくれただけでも嬉しいのに感想までもらえると、すごく嬉しいです。元気出ます』
『トークの時のは太郎くんとなまえさんのことっすよ。バレないからいいっしょ』
『新曲聴いてもらえて嬉しいです。』

やっぱり太郎のことだったんだ。と思うと、まるで現実味のない、ちょっとした浮遊感のようなものを感じる。確実に浮かれてしまっている自分が恥ずかしくて、何度もメッセージを読んでしまった。太郎や自分とのコミュニケーションを楽しんでくれていたと知れて、嬉しかった。

しかしそこから先のメッセージは、少し時間が開いたようである。15分くらい時間が経ってから、彼はまたメッセージの続きを送ってくれたようだった。

『よかったら新曲のCD手渡ししたいんで、またあの川縁の遊歩道で会えませんか』
『申し訳ないんすけど、時間はあの時と同じくらいの朝に』

心臓がまた、ぎゅっと掴まれたような感覚に震える。今度は太郎もいないのに、また彼はなまえに会ってくれるという。なんの変哲もない、一般人でしかないなまえに。

「う、うそ…どうしよう」

もう開いてしまったメッセージ。既読の証は確実に彼に届いてしまっただろう。早く返事をしないと。嬉しいです。ぜひ会いたいですって、返事をしないと。

震える指先。心の奥底では『私なんかがいいのかな』と何度も思ったけれど、ジュンから会えないか聞いてくれたのが嬉しい。
なまえはゆっくり、誤字をしないよう何度も文章を読み直して返信する。

『ありがとうございます。また会えるの、とても嬉しいです。』

このメッセージに対する彼からの既読の証は、すぐに表示された。

.