アクアリウムへの誘い方

「まじで一方通行なんですけど!」

大声で叫んだ友人に「ちょっと、声大きいよ」と注意するも一歩遅かったようで、周囲からは反射的に大声の元を辿ったような視線がなまえたちにパチパチとぶつかる。そこでようやく我に返ったのか、友人は「ごめん」と少しおどけて小さく謝った。それでも胸の内に燃え始めていた怒りの炎は収まらないのだろう。コーヒーを一口飲んで喉を湿らせてから、苛立ちの混じったようなため息を吐いている。

「向こうは一人暮らしで私は実家暮らしだからさぁ、そりゃ私が行くことが多いのは当たり前だし彼の家に行くの好きだよ。でもだからってなんでいつもいつも私の方からこの日行っていい?って聞いて、向こうの好きずきでいいよって言ったり今日はだめって言ったりするわけ?たまには向こうから『会いたい』っていうアクション見せてくれてもよくない!?」

激怒している友人は捲し立てるように愚痴を吐き出すと、全て出し切ったように唸った。
偶然休講になってしまった授業一コマ分の時間は「ちょっと聞いてよ!」と言いながらコーヒーをおごってくれた友人に使うことに決めたが、どうやら最近付き合いだした社会人の年上彼氏に不満があったようで、社会人の彼氏がいる、ということだけ友人に話していたなまえに相談の白羽の矢が立つのは当然と言えば当然だった。同じ悩みを抱えている人物に相談するのは、うまく行けば共感を得られる上に、精神的な味方を手に入れることが出来る。なにより、最近彼氏が出来てすごく幸せそうだった友人が辛い思いをしているなら軽減してやりたいと思うのは友人として当然の感情である。以前なまえがレオのことで悩んでいた時大丈夫かと心配してくれたのは彼女なのだ。

どうやら彼女が不満に思っているのは、社会人の彼氏の家に行く時いつも伺いを立てるのは彼女の方からだけで、まるで自分だけが彼氏に会いたいと、彼氏のことが好きだと思っているようにしか見えないことに不満を持っているようだった。

「ねぇ、なまえはその辺どうなの?彼氏から会いたいって言ってくれる!?」

ずい、とテーブルに身を乗り出した友人が、不安げな瞳でなまえを見てくる。社会人の彼氏なんてみんな同じだよ。という答えを待っているような瞳で見られて、なまえは少し居たたまれなくなる、というかレオのせいですっかり悟りきったような恋愛観を持ってしまったことを久しぶりに実感してしまったのだ。なんというか、自分にはこういったフレッシュさが足りない。足りないというか、磨り減った。

「うーん…うちは家で仕事してることが多い人だから毎日会社で仕事してるサラリーマンの人とは少し生活リズムが違うと思うんだよね。だから空いてる日も規則性全然ない分ちょっと特殊…かも…」

なるべく当たり障りないように言ったが、今の友人には小さな考えのすれ違いも大きな摩擦になるのだろう。「そっか…」と、不安げに下を向いてしまった。確かになまえとレオの間に『そういうケース』はあまり無いが、なまえが数ヶ月単位で放っておかれたことはある。そんなことをつい口走りそうになったけれど口元に力を入れて噤んだ。その件に関しては解決済みであるし、そんなこと純粋な恋愛観を持った友人に話したら絶対に別れろって言われてしまうだろう。俯いてしまった友人のフォローをする為に慌てて言葉を繋げていく。

「で、でも自分ばっかり会いたいって思ってるのかなって不安になることはよくあるよ。私たちの方が時間が自由な分、向こうがどんな事に時間使ってるかわかんないことってあるもんね」

「そう!そうなの!!今日は来ていいよって言うから楽しみにしてたのに直前で飲み会入ったとか!毎日そんなことばっかりなんだもん!!たまには私を優先してほしいし、向こうから求めてほしいわけ!!」

うんうん、と相づちを打って、なまえはおごってもらったコーヒーに口を付ける。

「難しいよね。ただでさえ向こうの方が大人だしさ…なまえの所もそうなんだよね」

「あ、いや、うちは同い年…」

「え?同い年!?でも社会人なんだ!へー初めて聞いた!!なんの仕事してるの!?ていうかどんな彼氏なんだっけ!?」

あ、しまった。となまえは内心で頭を抱えた。元アイドルで現作曲家の彼氏だなんて言ったら絶対にあれこれと大変な目に遭ってしまうし、学生の頃アイドルをしていたレオの事を知っている人も絶対にいるはずだ。友人に色々と隠しているのは申し訳ないが、そこは円滑な人間関係の為である。結局なんとなく話を濁していると、次の授業の予鈴がなまえを助けた。

「次の授業の講堂遠いんだった…大丈夫?」

「あ、ごめんごめん大丈夫すっきりした!ありがとうなまえ!」

「何かあったらまた話聞くから」

「よろしく〜!」

またね。と手を振ってラウンジを抜けたなまえは、人知れずほっと息を吐いた。

けれど彼女の言い分や気持ちはなまえもよくわかっていた。レオが仕事の為になまえと付き合ってくれているのではないかと疑った日々は決して短くなかったから、今や彼の本音を知ったから軽い気持ちでいられるものの、あの出来事がなければ未だに疑ってかかっているか、もしかしたら辛さのあまり何も言わず、自ら別れを告げていたかもしれない。

そう思うと怖い。となまえは身震いする。レオの事が好きだったからこその疑念であったが、もしその感情に潰されていたら、彼自身を手放していたかもしれない未来もきっとあったのだ。

そんな事を考えていたら急にレオに会いたくなってきた。すっかり日常になっていたが、そういえば二週間ほど彼に会っていない気がする。確か数本仕事を抱えていると言っていたから遠慮して挨拶程度しか連絡を取っていなかった。もし彼が普通の感覚を持った男なら、多分浮気の一つや二つしているくらいにはお互いの首輪がゆるゆるである。

「仕事、終わったかな…」

ぽつりと独り言を呟いてから、なまえは予定を聞くべくメッセージアプリを開いた。するとロック画面を開いた時点で彼からメッセージが来ていることを見慣れたウインドウが告げている。

以前なまえがレポートやバイトで忙しかった時、なまえが送ったメッセージに早い返信が来た事もものすごく珍しかったのだが、彼からメッセージが来ていることもそこそこ珍しい。メッセージが入った時間はちょうど一時間半前。友人の相談に乗り始めた辺りだから、スマホが震えた事には全く気がつかなかった。

アプリを開くと同い年の男の子が使うには少しかわいらしいスタンプと案の定『仕事おわった!』という、いかにも彼の声で再生されそうなメッセージが載っていた。授業前に返してしまおうと思った所でふと、先ほどの友人が愚痴っていた内容を思い出す。

自分ばかり求めている、一方通行な感じが嫌だと言っていた友人の気持ちはすごくわかる。自分が彼を想っているのと同じくらい想ってほしいと願うのは、決して欲張りなどではないからだ。

そしてそれは彼の気持ちが見えないと嘆く友人と同様に、彼の気持ちを既に知っているなまえも実感したくなる中毒性を孕んでいるのである。

『お疲れさま!』

仕事がおわったという報告には、無難に返信をした。いつもならこの後にすぐ言葉を繋げて、会いに行く為の日程調整に入るのだがあえてここで返信を終える。こういった感情に決して聡くないレオが気がつくかはわからない程度の意地悪だ。
やがてなまえのメッセージに既読がついて、返信が返ってくる。始まってしまった講堂でのつまらない授業であるはずなのに、なまえの心臓は緊張や僅かな期待で高鳴り始めていた。

『今日ってバイトあるのか?』

レオの方から今日の予定を聞いてくれた。それだけで嬉しくて、心臓を抱えて丸くなりたくなる。が、耐える。本当は会いたくて仕方ないけれど、なんとなく悟られないように軽いニュアンスで返信をした。

『今日と明日はないよ』

ちなみに今日は金曜日。レオの仕事のスケジュールをなんとなく聞いたのが先月だったから、その辺はバイトを休みにしておいたのだ。仕事終わりの彼のお世話をしにいきたいという魂胆が丸見えのシフト表であるが、彼はきっと気がついていない。
さぁ、なんと返事が返ってくるだろう。期待してもいいのだろうか。静かな講堂に自分の心臓の音が丸聞こえな気がして恥ずかしいが、ドキドキしながらレオの返信を待つ。

『じゃあ、今日うち来れる?会いたい!』

ポコンと押された、首を傾げた猫のスタンプまで貼られた。
うわ、好き。という感情に押しつぶされる。
しかし耐える。いつも振り回されるのはなまえなのだから、たまにはレオを手玉に取るような言動をしてみたいのだ。

『うーん、どうしようかな』

い、言った。言ってしまった。多分レオと付き合ってから言ったことのない台詞を吐いてしまった。

『何か予定あるの?』

当然の反応である。

『そうじゃないけど…』

今自分が心底面倒な女になっていることはわかっている。わかっているが、もう止められなかった。

しかしそこからポンポンと送られてくるレオのメッセージに、なまえは撃沈せざるを得なくなった。場所が講堂であることも、絶賛授業中であることも忘れてにやけの止まらない顔を隠すために机に突っ伏したのだった。

『じゃあ来て会いたい!一緒におれんちでご飯食べよ』

『なまえが来るまでに部屋ちゃんときれいにしておくから!』

『駅まで迎えに行くし!』

『コンビニでアイス買ってあげる!!』

『ダッツでもいいぞ!!』

『アイスいらないならなんでも好きなもの買ってあげるから!!!』

「…必死じゃん…」

にやけた頬がゆるみ、思わず小さな声で呟いてしまった。つくづく恋愛の駆け引きという言葉が似合わない彼と、駆け引きなんて土俵には到底立てない程度には彼を好きな自分はきっと大層滑稽で、大層幸せ者なのだ。


『アイス買ってくれるなら行こうかな』

もし彼女にこう言われたらたとえ冗談めいた風でも本気でも、アイス目当てかよ!と思う人もいるだろうに残念ながら彼から来た返信は『やったー!』という歓喜にあふれたものだった。
無性に悔しいので、『嘘だよ。レオくんに会いたいから行くね』とすぐメッセージを送れば既読無視を決め込まれた。

多分無視しているのではない。照れているのだろう。

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