アクアリウム・バースデイ!
「んじゃ、なまえがいい」
「……は?」
「なまえ」
そういって箸でつまんだレオくんのお母さんが作って来てくれたという鳥の唐揚げをこちらに向けてくるので、私はそれをひょいと食べれば「あっ食べた!」と言われた。どうやらあーんをしようとしてくれたのではなく、指を指すには箸が空いてないならそのまま私を指したらしい。知るかと心の中で思いながら、私はもぐもぐと口を動かして嚥下する。
「美味しい〜さすがレオくんママの鳥の唐揚げ!生姜効いてて大好き!」
「おれの一番でっかいやつ!一口で食べた!」
「いや、ああやって向けられたら誰でも食べるよ」
そう言って、私が用意した味噌汁を一口啜る。だしの素に全幅の信頼を寄せた私の味噌汁はいつも通りだ。
「でね、私は誕生日プレゼントを聞いたの。何が欲しい?って聞いたの。答えになってないよ」
そう、私はついさっき、数日後に控えた彼の誕生日に何が欲しいか聞いたのに、返ってきた答えは嫌な予感ばかりするそれだった。やだな。こんなに無邪気な顔をしているくせに、彼はこう見えて結構すけべだ。
なんとかそっち方面へ話が流れることを阻止したくてごちゃごちゃ色々と言えば、レオくんはあっけらかんとこんな事を呟いた。
「だっておれ、金で欲しいものは自分で買えるし」
「…ですよね」
そうなのだ。売れっ子作曲家とアルバイターがお財布で張り合ってはいけない。
「…私、何すればいいの?言っとくけどえっちなことはNGだから。私の意にそぐわない事は基本NGだよ」
予防線を何本も張って警戒するようにそう言えば、当のレオくんはぽかんとした顔でこちら見ていた。なんなんだ。自分で話を振ってきたくせに。
「あっそうかその手があったのか!」
考えてなかった!!と楽しそうに笑った彼に反して私は段々と顔が赤くなっていくのがわかる。これでは私がすけべみたいじゃないか。冗談ではない。
「じゃあ何よ。私は何すればいいの?一日奴隷のように働くとか?」
「そんな事させるわけないだろ。おれはね、おまえのファンサが欲しい。誕生日当日は一日一緒にいておれにファンサして」
「ファンサ…??」
ファンサ、曰くファンサービス。アイドルがファンに向かってサービスをするという事だが、何故元アイドルの彼が一般人の私にファンサービスを求めるのか。謎で仕方ない。
「そう、ファンサ。おれはアイドル時代そりゃあもう沢山のファンサービスをしてきたわけだけど、気づけばしてもらった事は一度もないんだよ。だからファンサを受けてみたい。みんながあんなに喜んでたのをおれも味わいたい」
「なにそのぶっ飛んだ思考…さすがレオくんだね」
だろ?と胸を張っていつもみたいに笑い出したレオくんは既に私からのプレゼントはファンサに決まった、くらいの感覚でいるようだ。ファンサをそもそもそこまで理解できてない私は、困ったように眉を寄せる。
「そんな難しく考えるなよ〜要はおれの喜びそうなことをやってくれればいいから!踊れとか歌えとか言ってるんじゃないぞ!なまえが、おれ…というかファンがどうしたら喜ぶかをなまえなりに考えて何かしてくれればいいからっ」
余計ハードルが上がった。が、レオくんは既に楽しみだと言わんばかりにワクワクしている。
「え、え〜…レオくんが今一番私から欲しいものってそれなの??」
「それ!」
「じゃあ…しゃーないか。期待外れでも許してね」
とりあえず彼のアイドル時代のBDでも借りて勉強する必要がありそうだ。とりあえず私はアイドルの鉄壁スキルであるウインクの練習でもしてみる事にした。方向性がズレているかもしれないが、まぁそんな所も面白がってくれるだろう。と、彼の誕生日一日は喜んでピエロになる覚悟を決めたのだった。
それから数日後、なんとか彼の誕生日当日の5月5日までに仕事を終えたらしいレオくんの家にスーパーの袋を提げた私が玄関のベルを鳴らせば、レオくんは少しキリッとした顔で出てきた。
「え?」
思わず疑問の声を上げる。すると少し慌てたようなレオくんが「あっ違った!」と言い出した。最寄りの駅に着いた時点で連絡を入れたのに、私が玄関に立っていた事が予想外だったようだ。
「なまえいらっしゃい!でも待って!これからルカたんがおれにプレゼント持ってきてくれるらしいからそれまでファンサするの待って!」
「あ〜なるほど…」
そう、レオくんは何故だか妹の前ではキリッとした『かっこいいお兄ちゃん』を演じているのだ。しかも妹のルカちゃんも彼の演技に気がついていないようなので、私も協力しているのである。
「おまえのファンサにキャーキャーしてるのはさすがにルカたんに見せられないからさっ!とりあえず上がって上がって。ルカたんにも会って!」
「うんお邪魔します。わー、ルカちゃんに会うの久々かも…」
そう言いながら勝手知ったる、と言った具合に冷蔵庫にスーパーで買ってきた物を詰め込む。今日は手のかかる料理を作ってあげようと思い色々買ってきたのだ。ケーキも崩さず持ってこられたようなので、ちょっとホッとする。
そうこうしてるうちに玄関先から「こら、走ってきたら危ないだろ?」というお兄ちゃんモードのレオくんの声がする。ルカちゃんがきたのだろうと、私も玄関へと急ぐ。
「こんにちはルカちゃん」
レオくんの後ろからひょこりと顔を出すと、可愛らしい顔が少しびっくりしたように目を見開いてから少しおどおどと挨拶してくれる。かわいい。けれど彼女は今から友達と約束があるらしく、誕生日プレゼントだけ渡しに来たらしい。それだけでも充分兄想いの優しい妹だと思う。
「ありがとうルカ。大事に使うよ」
プレゼント用のかわいい包みをもらって、恐らく爽やかな笑顔を妹に向けているであろうレオくん。私からは彼の後頭部しか見えてないからわからないけど、とりあえずルカちゃんにお礼を言うその声が私と話す時と全然違う。
そこで私はピンと来た。ファンサという名の悪戯をするチャンスでは?と、やんちゃな悪戯心が疼いてしまったのだ。
レオくん達だってメンバー同士で仲良くスキンシップしているのがファンサだと言っていただろうと、私はレオくんを追い抜かしてルカちゃんに近づき、ギュウウと抱きついた。
「んあっ!?」
思わず変な声を上げるレオお兄ちゃんを差し置いて、私はルカちゃんに「今日も可愛いね〜ルカちゃんだーいすき!」と変態さながらの言葉を吐きながらよしよしと抱っこするとルカちゃん以上に動揺しているお兄ちゃんが視界に映る。ルカちゃんは照れているようだったが私の名前を小さく読んだ後軽く抱きつき返してくれた。
「こ、こら。なまえもルカも玄関でふざけるなって。ルカ、そろそろ行かないと時間大丈夫か?」
彼の取り繕ったような声に、悪戯が成功して気分がいい私は潔くルカちゃんを離すと手を振って彼女を見送った、ルカちゃんも笑いながら小さく手を振って、玄関の扉が閉まる。
パタパタという足音が遠のき、部屋に静寂が訪れた。レオくんが踵を返して部屋に戻っていくので、私もそれに付いて行く。
「っあ〜〜〜〜〜〜!!!!」
「あっはっはっは!!レオくん発狂してる!!」
のも束の間、リビングに着くなりレオくんは頭を抱えて床を転がり始めたので、私は堪えていた笑いをぶちまけた。本当は自分が妹に抱きついてよしよししたかっだろう。それも出来ずひたすら良い兄の仮面を付けていたその我慢強さは筋金入りである。
「ずるい!!なんであんなことするんだよっ!」
「え〜だって今日は私レオくんにファンサする日だから!メンバーが仲よさそうなのはファンサの一つなんでしょ〜?」
全く意味のわからないプレゼントを要求してきた彼に、少しばかり仕返しが出来たようで、ちょっと気分がいい。
「ずるい!おれもルカたんをぎゅーってしたいし#
なまえにぎゅーってされたい!!でも二人が仲良さそうで嬉しいっ!けど複雑!!おれも仲間に入れて欲しいような二人で仲良さそうにしてるのを見ていたいような!!!この感情が羨望なのか嫉妬なのか慈愛なのかわからない!!面白いけど苦しい!」
「うわ、思ったより色々考えてる…」
謎のファン心理を必死に言語化しながら頭を抱えてゴロゴロ転がるレオくんに私は仕方なしに両手を伸ばしてやった。
「ほらほら、とりあえず手近に済ませられる欲求を満たすってのはどうよ」
そう言えば素早く立ち上がって思い切り抱きついて来た。遠慮が無さすぎて心地よいを通り越し苦しい。
「なまえ、柔らかいしあったかいし好き!!」
「うぐ…っ、ハイハイ、ルカちゃんに抱きついた私に抱き付いて間接ハグだねよかったねお兄ちゃん」
そう言うとレオくんはサッと体を離して、赤面した上に恥じらい始めた。彼女に抱きつくより妹との関節ハグで照れる男なのである。
「あっでも待って、おれから抱きついちゃった」
「え、そこ気になるの?」
「なる!おれは抱きつきたいんじゃなくて抱きつかれたいの!だからはい!」
「え〜…改めてってなると恥ずかしいな」
しかし今日はファンサという名の彼の願いを叶えていく日である。数日考えた私は彼の言うファンサをそう解釈したのだ。ええいままよとレオくんに抱きついてみる。思えば抱きつかれるよりも抱きつく方が少ないような気がするので、ちょっと照れながら彼の背中に腕を回した。
「はい、どうですか〜?」
「…最高です」
抱きつかれ心地を聞いてみたら思ったより噛みしめるような感想が飛び出てきたのでこれからはちょくちょく抱きつこうかな。と私もつられてちょっと盛り上がったような気分になる。ついでに今日は誕生日だし特別、と言わんばかりに少しだけ上にある彼の頰に一つキスをしてみた。
「なまえ〜っ!!」
「あっちょっと待って!!…待て!!!」
強い力で一気に引き寄せられた腰。そのままベッド直行コースになってたまるかとレオくんをようやく引き剥がした時には、既に私の頬も耳もレオくんの唇の感触がピッタリ貼り付いた後だった。
「もはやファンサじゃないじゃんファンはアイドルに触っちゃいけませんでしょ…」
「だって可愛いことするから…」
日本語まで危うくしながら、ゼイゼイと息を切らせて床に座り込めばレオくんがちょっと言い訳しつつも楽しそうに笑ったので、まぁいいやという気になってしまう私も今日はいつにも増して甘いのである。
「今日の夕飯は〜なんと!ハンバーグカレードリアです!」
「おぉ〜!」
ぱちぱちと拍手までしてくれたレオくんにお礼を言ってから、私はキッチンに入る。ハンバーグとカレーを別々に作り更にドリアにするなんてめちゃくちゃ手間がかかる。かかるが一つ一つの料理は難しいものでもないしただただ手間を掛ければ出来そうなのでこのメニューをチョイスした。サラダでもあればそれなりに見えるのがポイントだ。
「ちょっと時間かかるからもう作り始めるね」
「ありがとー!あっおれルカたんからのプレゼント見よっと!」
そう言うとレオくんはプレゼントの包みと一脚の椅子を持ってキッチンに帰ってきた。ここで開けてくれるらしい。
「それにしてもいい妹だねぇルカちゃんは。かわいいし」
「だよな!ルカたんは最高な妹だよな!は〜おれの天使…!」
ウットリしながらプレゼントの包みを開けていくレオくんを尻目に、私は着々とカレーを作っていく。いつもより小さめに野菜を切って、ドリアに入れた時食べやすいようにしていく。
「プレゼントなんだった?」
「お、癒しグッズ!ホットアイマスクと眼精疲労用の目薬とハーブティー」
「かわいいと実用性が絶妙だね。さすがルカちゃん」
「見て見てアイマスクかわいいぞ!羊だっ!」
そう言われたので横を見たら羊柄のアイマスクを付けたレオくんがはしゃいでいた。アイマスクにポケットが付いていて。レンジで温めたビーズを入れられるタイプのもののようで、妙に厚みがある。
「かわいいじゃん似合う似合う」
「さすがルカたんっ!」
目が疲れたら使おーっと!と言いながらそれをどこかに置きに行ったのか、席を外したので私はそれを横目で見つつも料理に集中する。カレーを作った鍋を退けて、今度はハンバーグ作りに入る。これもべつにそこまで大変な作業ではない。ただ時間が掛かるだけだ。
「じゃーんなまえ!見て見て!」
レオくんが再びキッチンに戻ってきた。文字の書かれたうちわを持って。
「…なに?それ」
「これ?ファンサして!のうちわ!セナが作ってくれた!」
「えぇ〜瀬名さん健気〜…」
見ると黒いうちわに青い文字で「なんかして♡」と書いてある。なんかってなんだ。
「まぁKnightsで誰かの誕生日パーティーやった時の罰ゲーム用だけどな」
「あ、なんだ今日の為に作ったんじゃないのね…」
ちょっと安心した。こんな事のために瀬名さんの手を煩わせだというのなら、次会う時に目を合わせられない。
「なんかって何…?ハードル高っ…」
と言いながら私は玉ねぎをみじんに切る。冷蔵庫で冷やしておけばそこまで目がしみないとお母さんが言っていたので試したが本当にしみない。これは有益な情報である。
「アイドルらしい事なんかしてっ!ひゅーひゅーなまえちゃーん!」
突如キッチンで始まったアイドルごっこに、手を玉ねぎ塗れにしながらも私は数日練習したあれをやる時がきたのかと、覚悟を決める。オリャ!とばかりにバチンとウインクをしてやれば、レオくんが「うっ」と呻いた。
「え、えぇ〜呻いた…そんなに気持ち悪かった…?」
せっかく練習したのに。ぎゅっと瞑ってしまわずパチッとウインク出来るようになったのに。左目だけだが。
「無理…推しがかわいい…しんど…」
しかしレオくんはべつに引いてるわけではなかったようだ。語彙力が急降下している辺り、効果はあったようである。
「今日の為に料理の練習そっちのけでウインクの練習したんだから褒めてよね」
合挽き肉を塩でちゃんと捏ねてから、卵やら玉ねぎやらパン粉やら調味料やらを入れて再び捏ねる。この作業がちょっと粘土遊びをしているみたいで結構好きだ。
「なまえちゃ〜ん!投げキスも!!投げキスもしてっ!!」
「やだよひき肉捏ねてるから」
おれ誕生日なのに…と何故かガックリ肩を落としているが、私はあなたの為に料理してるんだと言ってやりたくなった。
かなり時間をかけて作った料理も成功し、美味しい美味しいと食べてくれたので私も満たされながら、食後にケーキと紅茶を食べようと準備しようとしたら、紅茶はレオくんが淹れてくれた。ティーパックではなく茶葉から淹れてくれた辺り特別感があって私もワクワクしてしまう。
「というわけで改めてレオくん誕生日おめでとう」
二人用の小さなホールケーキを前にパチパチ手を叩けば、レオくんがやはり改めて「ありがとう」と言ってくれた。私はこっそり用意しておいたプレゼントをテーブルの下から出して彼に渡す。
「はいこれ。安物で悪いけど」
彼に渡したのは新しいブルーライトカットの眼鏡だ。長く使ってるせいでレンズに細かい傷が付いてしまっているのに気がついていたから、ちょうどいいかと思ってそれを選んだ。ついでに眼鏡を掛けたレオくんが結構好きなので、彼に似合いそうな好みのフレームを選んだ。これで私の目の保養も行えるし一石二鳥である。
「えっプレゼントまでくれるのか?!どうもありがとう!」
包装の中を開けて眼鏡だ!と呟くとその場で掛けてくれる。想像以上に似合っていて、彼の顔の良さを思い出して私は顔を熱くする。
「なぁなぁ似合う?」
「うん超似合うよかっこいい…しんど…」
先程のレオくんのように語彙力を低下させながら、もう一度彼を見る。つり目気味の目によく似合うちょっと知的に見える眼鏡の奥で、彼の瞳が楽しそうに細まる。余計恥ずかしくなって、私はテーブルに顔を突っ伏した。
「ほらお姫様。顔上げて、こっち向いて?」
少しトーンを下げた声に、私は思わず顔を上げる。そこにはかつて大人気だったアイドルグループのリーダーが挑戦的な瞳で一度強く私を見つめてからパチンとウインクをしてきた。
「ぎゃああ」
思わず悲鳴を上げて、私は一気に顔を赤くした。恥ずかしい。でもかっこいい。
「今日は色々してくれて本当にありがとう。愛してるよ」
そう言って、私の手を取った。緊張で汗ばむ手のひらをひっくり返し、手の甲にチュッと音を立ててキスをする。その姿はまさしく王子様で、私はますます彼に恋をしてしまう。もしアイドルの時に彼に会っていたならこんな姿を沢山見られたのかな。なんて、過去に問いかけても仕方ない。とにかく今、こうして彼の隣にいられる事に感謝をしたくて、私は席を立って自ら彼に抱きついたのだった。
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