アクアリウム・ヘラ
なんというか、タイミングが合う時は合うものである。
「あっなまえ!ねぇこれやってみて!」
昼休み、さっきまで同じ授業を受けていた例の社会人の彼氏を持つ友人に呼び止められた。やや警戒しながら「なぁに?」と彼女の手元を覗き込めば、そこには一冊の雑誌がテラテラと艶のあるページを蛍光灯に反射させていた。
「えー…なにこれ」
思わず、少しトーンの低い声で言ってしまう程度には謎が深いそのページは、ポップなフォントで書かれている事が違和感に感じられるくらいダークな内容をかましていた。
『あなたは大丈夫?!病み女子チェックリスト』
「……うわー」
「いやちがうよっ?普段はこんなの興味ないっていうか!でももしかしたらちょっと当てはまるかもしれないじゃん!」
そう言いながら必死に弁明している彼女は既に病んでしまいそうなのだろうか。思えば彼女は惚気る時は思い切り惚気ているが、確かに彼と会えない電話が繋がらないと死にそうになっている事もある。私とレオくんにとってはそのくらいならば想定の範囲内だから彼女の気持ちがわからなくて相槌を打つので精一杯だし、雑誌にこんな特集が載っていても読み流しそうなものだがわずかにでも自覚がある子の目には止まってしまうものなのだろうか。ただの好奇心で読んでいるのなら、それでいいのだけれど。
「最近ほんとに電話も繋がんないから何回も電話しちゃったりして、メッセージも送ってるのに反応ないんだもん。そうすると前より焦るんだよね…もしやって思ってたら雑誌にこんなのあるじゃん??試しにやってみたらさー…」
見て。と彼女が指差した項目は、チェックリストの答えの部分、更に読み込むと、やはり勘違いかと思うほど明るいフォントで『あなたはもうすでに立派な病み女子?!病み女子度80%!』などと書かれている。
「…こういうの、てきとうに書いてるだけだって。信用し過ぎると辛いと思うよ」
「わかってるもん!でもやっぱりって思っちゃって〜…」
ねぇなまえもやってみてよ〜と言われたその目が余りに必死だったので、仕方なしに一度立った席にもう一度座った。お昼時なせいでお腹はさっきからひっきりなしに鳴っているけれど、次のコマは空いているから後でのんびり昼食をとればいいや。と、考え直す。
「さーてどれどれ」
そう言って雑誌を眺めて、自分に当てはまりそうな項目を選んでいく。自分はどちらかというと尽くすタイプだ…YES。彼と毎日連絡が取れないと不安で仕方ない…NO。彼が自分以外と何かする時事前に報告が無いと嫌だ…NO。自分は独占欲がものすごく強いタイプだ…うーん、多分NOだな。
などと悉くNOを連発していけば、たどり着いた答えは『全然心配なし!あなたの病み女子度は20%!』などという答えが出た。
「…まじ?」
友人が目を見開いて私を見る。
「うん…」
何故か居たたまれなくなりながら、雑誌と友人から目線を外した。
「いや、いいんだけどさ…これ全部逆って結構淡白じゃない?なまえの所ってそんなに淡白な付き合い方なの?」
「…まぁ、連絡全然取れなかった期間ってのがあったからさ。私の所はちょっと特殊なんだって」
「なまえの彼氏って本当に謎だわ」
私は少しギクリとする。社会人の彼氏がいる、ということは友人達に言ってはいるが、相手が月永レオだって事は誰にも言っていないのだ。もしかしたらファンだった子もいるかもしれないし、アイドルと繋がりが出来るかも、と擦り寄られても私も困る。幸い大学で唯一この事を知ってる仁兎くんが言いふらすわけがないので、私さえ口を滑らせなければこの秘密は守られるわけだ。
「あはは…まぁうまくやってるし私には不満ないからいいのいいの」
少し焦りながらもそう言うと友人は「うまくいってるの、羨ましい…」と途端に落ち込み始めた。これはよろしくない地雷を踏んでしまったな。と、私はこっそり観念すると、彼女の話を聞きながら昼食を摂るべく食堂行こうと促したのだった。
大学帰り、久しぶりにバイトが無い日なのでまっすぐ帰ろうか彼の家へ寄ろうか悩んでいたが、これまた久しぶりに彼の方から連絡があった。以前よりもぐっとレオくんから連絡してくれる事が増えたのでそれも嬉しくて、猫じゃらしにじゃれつく猫のようにそのメッセージへと飛びついてしまう。すると今日は暇かとの事なので、二つ返事で彼の家へ行く事を決めた。
付き合ってそこそこ長くはなってきたが、未だに付き合いたてのような感覚なのは恐らく付き合いたての時にほとんどこういう感情を抱えていなかったせいだろう。ついでにコンビニでプリン2個買ってきてと言われたのでレオくんの家の最寄りのコンビニに寄って彼の気に入りのプリンをレジへ持って行くべく窓側の本売り場を通り過ぎようとした時、ふと今日友人が持っていた雑誌が売られていたのを見た。
私たちの年代がよく見るファッション誌。あまり雑誌は買わないのだが、たまたまその雑誌の付録が使いやすそうなポーチだったので、うっかり買ってしまった。
そう、別に友人とやったあのテストの詳細を見たいなんて、きっと思ってなかった、はずである。
「おじゃましまーす」
鍵を開けて勝手知ったる、という風に家に入れば、キッチンの方からいい匂いがしてきた。これはシチューの香りだ。
「あっおかえりなまえ!待ってたぞ!」
「えっレオくんご飯作ってくれてたの?ありがとう」
今日はクリームシチューだ!おまえ好きだろ?と新妻さながらの台詞を吐きながらキッチンに立つレオくん。ついこの間まで料理という料理をしてこなかったのに、せめてカレーくらいは、と覚えさせたのが功を奏したのかシチューまで作れるようになったというのか。
と、そんな調子で一瞬感動したけれどカレーもシチューも作る時の手順はほぼ同じだ。そこに気がついたのはえらいと思うけれど。
ちなみに余談だが、何故かレオくんは実際作るかは別なのだがお菓子の作り方だけはよく知っていた。アイドルってお菓子まで作れなきゃいけないんだ…と改めてその高すぎるアイドルの壁を実感した次第だ。
「シチュー大好き!やったね」
そう言いながら手伝う事が無いかとキッチンを覗けば使ったまな板や包丁がそのままだったので、私は洗い物係になるべくスポンジに洗剤を垂らした。
「料理も案外楽しいな〜魔術みたいだっ!魔術なんてあの魔法使いの小僧みたいでなんか嫌だけど、リッツがお菓子作るの好きな理由がほんのちょびっとだけわかったな」
「……?」
魔法使いの小僧という聞いたことのない新キャラの名前が飛び出てきたのだがリッツさんの名前も併せて出てきたので、恐らく高校の頃の知り合いだろう。彼が会話の中に私たち以外を出してくる時、8割くらいの確率であだ名呼びなので誰が誰だかサッパリ理解できない。ちなみにあだ名じゃないのは今のところ仕事の人か瀬名さんかご家族くらいだ。
ママって人が出てきた時にはお母さんの事を普段はそう呼んでてそれを隠してたのにうっかりボロが出ちゃったのかと思いきや、高校からの友達のあだ名だというから驚いた。苗字の一番後ろと名前の一番最初をくっつけてママだというのだから、もう何が何だか訳わからない。そこで私は彼が呼ぶあだ名をいちいち言及するのは諦めた。ママはママだし、魔法使いの小僧は魔法使いの小僧だ。
「まぁ、料理覚えて損はないよ。私がいない時もちゃんと自炊してればあっという間に上達しそう。ルカちゃんにお兄ちゃんのお手製料理食べてもらったらいいじゃん」
「えっルカたんに食べてもらうの?!それは無理っ!緊張するっ!」
「平気平気。この前のカレー美味しかったし」
ちなみに本来なら妹のルカちゃんに対する反応を彼女である私にするのが正しい答えなのだと思うが、彼は未だに超絶怒涛のスーパーシスコンである事を張本人であるルカちゃんに隠しているので、今更である。私も気にしない。むしろ彼に気を許してもらってる感覚が、誰にも懐いていない…前言撤回、瀬名さんにしか懐いてない野生の動物を手なづけたみたいな達成感に満ち溢れているのである。
というわけで彼が作ってくれたクリームシチューと私が買ってきたお気に入りのプリンをデザートに堪能した所で、ようやく私は自分で買ってきた雑誌の存在を思い出した。
「そうだ。雑誌買ってきたんだった」
「雑誌?珍しいな」
PCに仕事のメールが来ていないかを確認し終えたらしいレオくんが、私の隣にストンと座る。
「うん。付録のポーチが可愛くて」
そう言ってバリバリと透明な袋を破ってポーチを取り出す。口がガバッと開くタイプで使いやすそうな上、色も汚れが目立たなそうでかわいい。透明な袋はレオくんが無意識にか手を出してくれたので渡したら、彼の近くにあったゴミ箱へ入れてくれた。こういう所はお兄ちゃんである。
「なぁ、おれこの雑誌見ていい?」
「いいよ。私の目的こっちだもん」
そう言って、私はポーチの中身を新しい方のポーチに移し替え始めた。ついでにレオくんの家に置いてもらってる化粧品とポーチの中身を入れ替えてみたりする。一応急遽泊まりになった時でもそのまま学校やバイトに行けるように最低限の化粧品は着替えと一緒に置かせてもらってるのだ。
「あ、探してたアイシャドウこっちだったのか…」
そんなことをぶつぶつ呟きながらあれこれと物を移し替えている視界の端で、気がつけば雑誌を随分と熟読しているレオくんがいた。女の子向けのファッション雑誌なのに、何か気になる記事でもあるのだろうか?
「ね、雑誌楽しい?」
「うん」
「それはよかった」
「イメージにぴったりかもしれない」
そう言うとレオくんはぶつぶつとまた何かを呟きながら一気に集中し始めたので、私は黙って自分の作業に戻る。会話も途中だし全然答えになってないけど、さっきまでリラックスした姿勢で雑誌を見ていたはずなのに気がつけばテーブルに雑誌を置き、指先でテーブルをトントンとやりながら雑誌を食い入るように読み始めた。きっと今、彼の頭の中から私が消えて五線譜塗れになっている事だろう。
何か思いついてテーブルに五線譜書き始めても困るので、私はそっと立ち上がるとレオくんの仕事部屋から五線譜ノートとボールペンを取ってテーブルの端に置いておいた。それに気がついたのだろう。「ありがと!」と短く私に礼を言うとものすごい勢いでペンを走らせ始めた。なんだ、やっぱり仕事あったのに無理やり時間作ってくれたんだな。と、私はもうこちらなど見もしないレオくんを見る。
最近以前よりぐっと連絡をくれるようになったのは、以前より私の事を考えてくれる時間が増えた、というのもあるけれど仕事を調整して時間を作ってくれている事には気が付いていた。無理はして欲しくないけど私の事もそうやって気遣ってくれたり、私に会いたいと以前より思ってくれるようになったのなら、それだけで嬉しいものだ。
これは暫く掛かるだろうと踏んで、私はそっと勝手にお風呂に入ったりカフェオレを淹れてレオくんの元に置いたりしてからスマホをいじって時間を潰した。以前なら彼の気持ちがわからない上に邪魔をしたくないから帰ろうかどうしようか悩んだりしたかもしれないけれど、帰ったらきっとレオくんは悲しむという事が今の私にはわかる。ので、すっかり寝る準備を済ませてとうとうノートパソコンを持ち出して作曲作業をリビングで始めたレオくんの側でぼんやりと過ごした。この時間は、もう全然苦痛じゃない。
「できた!!!」
深夜1時。レオくんがようやくヘッドフォンを外した辺りで、ウトウトしていた私はハッと目を覚ました。ベッドで先に寝ようかと考えたけど、なんとなくリビングにいたので寝ぼけ眼で彼を見れば、ようやく周りが見え出したレオくんがビックリした顔でこちらを見ている。
「なまえ?!ここで寝てたの?!」
「うんなんかウトウトしちゃった…お疲れ様…」
あくび1つして体を起こせば、レオくんがバツの悪そうな顔をした。あぁこれはきっと勘違いしている。と、私は彼が発言する前に、彼の心配事を取り除くべく口を開く。
「そんな顔しないで。遅くまで大変だったね」
「ごめん…おれが来てって言ったのに」
「私が来たくて来たんだよ。仕事進んだならよかった。役に立てたみたいだし」
そう言って私は既に床に閉じたまま置いてある雑誌を一瞥する。
「うんありがと…今やってる仕事、詳しい事は言えないけど歌詞が先に出来ててさ、それに合わせて曲作るんだけどなかなか上手くいかなくて…」
「難産だったんだ」
「うん。でもこの雑誌の……ここ!ここ読んだら霊感が降りてきたんだ!ほんとありがと!」
「へぇ〜どれどれ?」
私はハイハイをしながらレオくんの方へ近づくと、彼が開いた雑誌のページを見る。そこにはチープなフォントで『彼が大好き過ぎて病みすぎ!?私の病み女子エピソード!』と書かれていた。確かこのページは、昼間友人がやっていたチェックリストの次のページにあったものだ。読者が投稿したエピソードをコミカルに乗せてあるページなのだが、いかんせん内容はドロドロだ。
「……これ?ほんとに?」
「そ〜。別名の方でゲームのキャラクターソングの作曲依頼があってさ、そのキャラクターの設定資料見たらいまいち想像しにくい感じだったんだよな〜。歌詞が先に上がってるからそれ読んでも想像しにくくて…でもこれ読んだら霊感がな!」
「へ〜…ま、まぁ役に立てて本当によかった…」
なんとなくスッキリした気持ちにはなれなくて、私はこの会話を終わらせるべく立ち上がろうとテーブルに手を置いた。するとレオくんがおもむろに1ページ前にページを戻しているのが見える。
「ふーん?病み女子チェックリスト…」
あ、と思ったが、後の祭り。そのページに噛り付いて項目をチェックし始めたので、私はなんとなくその結果が気になって立ち上がろうとした体の重心を元に戻して、けれど興味なんてないですよ〜という風に軽くそっぽを向いた。私がそのテストをやったという事がバレたらどの項目がYESだったかとか事細かに聞いてきそうなので黙っておく。
「あっ!」
やがてテストが終わったのか、大声をあげた。私の病み女子度は確か20%だったが、レオくんはどうだったのか。私はやはりそんなに興味がない風を装いながら「どうだった?」と白々しく聞いてみる。すると彼はびっくりした風に目を丸くしながら、大きな声で叫んだ。
「おれの病み女子度60%だって!!」
「び、びみょう〜…」
「ていうかそもそも女子じゃないしっ!でももしおれが女子だったらちょっと病み女子なのか?!わはは!それも面白いっ!」
「レオくんが女の子…あっという間に誘拐されそうで怖いよ」
「そうか?」
「そうだよ」
そう言って、私は少しずつ話題をそのチェックリストからずらしていく。だって友人が言うには『このチェックリストの%低い女の子ってちょっと淡白』らしいではないか。私はそんなつもりないし、むしろちょっと愛が重いタイプだと自覚していたから正直予想外だったのだ。
チェックリストの項目をはっきりは覚えていないけれど、多分レオくんは「独占欲がものすごく強い」という項目はYESにしたんだろうなって事はわかってしまう。独占欲が強い、というか懐に抱え込んだ人物への執着がすごい、というべきか。だから私の結果がバレたらちょっと拗ねそうだと思ったのだ。
「なぁ、なまえもやってみて」
残念ながら話題はずれなかった。まん丸の興味津々な瞳でこちらを見てくるレオくんが深夜だというのに眩しい。
「い、いいよそういうの絶対てきとうだって…」
自分はレオくんの分の結果まで手に入れて満足なのに、相手に手の内を目の前で晒すのが少し恥ずかしくて逃げる私は、相変わらずちょっとだけずるい女、なのかもしれない。
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