アクアリウムとルビーのため息

「ねぇ仁兎くん。これ、一緒にやらない?」

私がそう声を掛けたら、となりの席に座っていた可愛いうさぎのような彼は「うにゅっ!?」と、また随分可愛らしいリアクションで驚いていた。

取っている科目や所属している学科、ゼミにもよるのだろうけれど、比較的私の勉強している学科はペアやグループで発表をしたり、レポートを提出することも少なくなかった。普段はペアならば女友達とやるし、グループならばくじ引きなんかで決まるものだけれど、今回は普段とは違う人とペア組めよ〜と言ってきた教授の言葉に従って、私は少しの勇気を持って彼に声を掛けてみたのだった。

レオくんと同じ高校で、元アイドルの仁兎なずなくんはその外見や経歴から大学入学当初はかなり浮いた存在になっていたし本人もかなり気負っていたようだったけれど、彼の人となりが知れ渡る時期に差し掛かる頃には変な浮き方など決してしなくなっていた。恐らく意外とクールで冷静な部分や、面倒見がいい所。それから真面目に授業に出ている辺りが彼を『元アイドル』ではなく『自分と同じ学生』としてカテゴライズさせたのだろう。それはひとえに彼の努力の賜物だろう。そういう所を、私は密かに尊敬している。

勿論成績も素晴らしい仁兎くんにあやかりたい気持ちと、それから僅かな下心を持って彼に一緒に課題をやらないかとそう持ちかければ、一度は驚いたような声を上げていたが、すぐにニッコリと微笑んで「もちろんいいぞ。よろしくな」とOKがもらえた。その笑顔がすでに可愛い。

「わぁ助かる。よろしくね」

じゃあ早速…とレポート課題のどの部分を分担するかを決めようと更に彼に近づけば、仁兎くんが「ちょ、ちょっと待て!」と目の前で手のひらをパッと開いてきた。

「ん…なに?」

「あのな、この事ちゃんとレオちんに言ってくれよ」

「この事…?」

これからレポート課題でなかなか会えないかも、ということだろうか。そんなものは私たちの間だと大した問題ではない。というよりも、そういえばここ数日挨拶くらいしか連絡を取っていない。レオくんは確か短納期の仕事が入ったと言っていたので、極力邪魔はしないに限るのだ。

「大丈夫だよ。レオくんの方が最近仕事で連絡来ないもん。ちょっと会えなくなるくらい平気平気」

でさー、とまた私は会話を続けるべくレポート課題の載ったプリントを覗き込めば、やや慌てたような声で仁兎くんが叫んだ。

「ちっちがうにょっ!」

噛んだ。よく観察していると、仁兎くんは結構噛む。

とりあえすスルーして、「えっなぁに?」と言えば、少し顔を赤くした仁兎くんがごにょごにょと告げてきた。

「今回の課題、量も多いし難しいからきっと授業の後とか土日とかにも一緒に作業することがあるかもだろ?」

「?うん。そうだね」

私がアッサリと頷くと、仁兎くんが一つ唸った。恐らく今の仁兎くんの発言だけで私に察して欲しかったようだけれど鈍感な私にはそれが叶わず、彼が明確に焦った理由を言わなくてはならなくなったせいだろう。先ほどより少し早口で言う。

「レ、レオちんからしたら彼女が他の男と…しかもよく知ってるおれと休日とかに一緒にいたって事を後々知ったら嫌な気持ちになるかもしれないだろ〜?」

あ、そういう事か。と、そこまで言われてようやく気が付いた。仁兎くんはレオくんが勘違いして私たちの間に一悶着起きないかまで心配してくれているのだ。なんて気が回るのだろう。

「まぁ向こうがよく知らない男の子と課題やるよりはいいと思うけど…」

とは言いつつも、不安の芽は摘んどくに限る。私は仁兎くんの優しい気遣いに頷くと「向こうの仕事が落ち着いた辺りで何となく伝えとくよ」と返事をすれば、仁兎くんは安心したように息を吐いていた。

「なんか…気を遣わせちゃってごめんね仁兔くん。申し訳なくなってきたよ」

自分から頼んでおいてなんだが、余計な気を回させてしまった事を考えたら安易に誘ったのはよろしくなかったのかもしれない。しかし彼は私の懺悔をキョトンとした顔で聞いた後、今度は小さく吹き出した。

「ふ、あはは…折角一緒に課題やる事になったのに、お互い気を遣いすぎだな!改めてよろしくななまえちん」

「うんよろしく〜。…なずにゃん」

「?!なんれその呼び方知ってるんらっ!?」

「この前会った瀬名さんがそうやって呼んでたから。かわいいから私もそう呼ぼうかなって…」

「あ〜泉ちんに会ったのか…大変だっただろ〜」

「いやすごい常識人だったよ」

「えっ」

そんな話をコソコソしている内に、あっという間にゼミの時間が終わってしまった。結局肝心のレポートに関する話をあまりしていないので、もう時間的に使うことのない教室をこのまま使ってある程度打ち合わせしてしまうことにした私たちは、今回のレポートの面倒くささに二人揃って項垂れてしまった。

「だめだこれ図書館に詰めないとだめだ…仁兎くん今週時間空いてない?」

「そうだな…分担しようにも個々の課題に関連性が多すぎるから、一度大まかに一緒に調べた方が効率いいかもいれないよな。えっと…ちょっと待って」

そう言って彼がスマホでスケジュールを確認し始めたので私もバイトの日を確認しようとしたら、ちょうど電話が掛かってきた。

「わ、ごめん電話出てもいい?」

「いいぞ〜。おれいて大丈夫か?」

「全然平気。…もしもし?」

『なまえ〜〜!!!うっちゅ〜〜!!!』
「うるさっ!」

着信時で既に誰からの電話かはわかっていたが、このテンションは予想外だった。スマホに耳をぴったり付けて電話に出たのは完全に間違いだったのを悔やみながら改めて「もしもし」と言えば、やはり彼のテンションは天井を突き抜けん勢いである。

『仕事終わったぞ〜っ!!今どこっ!?大学!?』

「う、うん学校…ていうかテンションたっか…どうしたの?」

『今日うち来れないっ?なんか予定あるか!?』

これはちょうどいい。とばかりに私は「あのさ」と前置きしてから、これからしばらくレポートにかかりきりになるかも。という事を告げる。するとレオくんのテンションは結び目を解いた風船のようにぶすぶすと萎んだ。今の彼には0か100しかないようである。

『え〜そうなのか?まぁ、仕方ないよな…学校の課題、頑張れよ…』

「うぐ、」

思わず私は言葉を詰まらせる。雨の日にダンボールの中に入った捨てられた子猫や子犬に見つめられた時の心境ってこんな感じなんだろうか。ってくらいこちらが無意識に責められている気分だ。

けれとこの課題をやらなければならない。彼氏の無意識ハニートラップに引っかかっている場合ではないのだ。私は「今日行くよ」という言葉を必死に飲み込んで、仁兎くんが心配してくれているであろう事を伝えるべく口を開く。

「あの、それでさ…。今回の課題のパートナーね、仁兎くんなの。休日とかに図書館一緒に行ったりするけど勘違いとかしないでね。一応言っとくけど」

この前浮気だなんだの珍騒動もあったので念を押すようにハッキリと、全く言葉を濁さずに伝えた。自意識過剰な気もしてしまうけれど勘違いと勘違いが重なると大惨事になる事はその時に勉強したから言うべきことは私もオブラートに包まないようにしている。

『えっそうなのか?』

「うんよろしく。また連絡するから」

『……ふぅん』

じゃあね〜とほぼ一方的に電話を切ろうとしたが、電話の向こうの空気が少し変わったように思えて切れなくなった。恐らくだが、ちょっと機嫌を悪くしている。

「…レオくん?なんか機嫌悪くなってない?」

『なってない』

いや、なってるじゃん。と思いながら、そういえば私が仁兎くんの話をすると妙に機嫌を悪くする事をふと思い出した。これは恐らくヤキモチを妬いているのだろう。仕方なしに今日は遅くなってもいいからレオくんの家に行ってフォローに入るか。と思った所で、レオくんが小さく呟いた。

『…わかってるよ。おまえとナズが一緒に何しても別に何にもならないのはわかってる。でもナズは妖精さんだけどいい男だからちょっと拗ねてみただけ…ごめん』

「なるほど…確かに面倒見よくていい人だもんね仁兎くんは。まぁとりあえず今日夜行ってもいい??できれば泊まりたい」

そう言えば機嫌が少し浮上したのか、わかった待ってると言う返事が返って来た。夕飯まで準備してくれるらしいので、学校出る時に連絡する旨を伝えて電話を切る。そうして仁兎くんに長く電話してしまった事を謝ろうとしたら、はにかみを隠そうとしてしかめっ面になってる仁兎くんが「照れるからやめろよ〜」と言ってきた。

「えっ何が?」

「いや、レオちんに向かっておれの事褒めてくれてたから…直接じゃなくても恥ずかしいんだぞそういうの」

あぁなるほど。確かにいい人だとは言ったけれど。

「レオくんもね、最初は機嫌悪くしてたけどナズはいい男だから拗ねただけだって言ってたよ」

「レオちんは人の事褒めるの昔から結構上手だからな〜。まぁ、他に困った所はいっぱいあるけど…」

あはは、と笑いながら頰をかく仁兎くんに、私はついでに抱えていた下心を打ち明ける時が来た。「そう。それなの仁兎くん」と言えば、彼のルビーのような瞳がきょとんと丸くなる。

「あのさ、課題の隙間で構わないから、高校生の頃のレオくんがどんな感じだったのかちょっと教えて欲しくって…」

「へ?」

「いや〜私とレオくんが知り合ったのって高校卒業してすぐくらいだから高校生の頃の彼のこと何にも知らなくてさ。レオくんに聞いてもよくわかんない演説になっちゃうし…仁兎くん同じクラスって聞いてたから、すこーしだけ教えて欲しいな〜」

だ、だめ?と言うと、仁兎くんは少し唇を尖らせた。

「あ〜!なまえちん、今回おれを誘ったのそれが目的だな?!」

「うっ、そ、そうじゃないよそれだけじゃないけど!仁兎くん真面目だから絶対課題無事に終わるだろうし!…その!今後話しかけたいキッカケも欲しかったし!なずにゃんともっと友達にもなりたいし!!」

「なずにゃんって呼ぶにゃっ!」

少し噛んでからそう言うと、仁兎くんはキリッとした顔で課題のプリントを私の顔面に突きつけてきた。

「この課題が無事終わったら色々話してやる。途中で色々話したらそっちに気がいっちゃうだろ?おれは厳しいからな〜?」

「う。は、はい」

下心を看破されてしまい、自分の情けなさが身に沁みる。しかし厳しい声でそう言った後、仁兎くんはニコリと微笑んで言った。

「でも、おれもあのレオちんに彼女がいるなんてビックリしたから、色々話聞いてみたいんだ。その、友達だから、課題が終わった後でもそう言う話出来るだろ?今度ゆっくり話そうな」

「は…はい!」

「いい返事だ」

仁兎んくんはよし!と言うと、スケジュールの話を始めた。見た目はこんなに可愛いのに厳しい所は厳しいし、優しい所は優しい。確かにいい男だな〜と思いながら、私も予定を合わせるべくスケジュール帳を開いたのだった。




「うーん仁兎くんは確かにいい男だわ。厳しい所は厳しいけどちゃんと飴も使えるし。顔は死ぬほど可愛いけど」

その日、レオくんの家で彼が作ったカレーを食べながらポツリとそう言えば、黄緑色のつり目が鋭くこちらを射抜いてきた。あ、やべ、と私は思う。

「…なんでナズと一緒に課題やることになったの?」

「私がナンパした」

「なんで?!」

「仁兎くん真面目にやってくれそうだったしもっと友達になりたいな〜って」

高校生の頃のレオくんの話が聞きたいから、というのは言わないでおいた。意味はないけれど、なんとなくだ。

「おまえにはおれがいるんだからいーじゃん!!」

「わ〜ヤキモチだ!!ヤキモチ妬いてんの可愛いよレオくんなずにゃんよりも可愛い可愛い」

本当はあまりに可愛いことを言うのでぎゅーっとしたくなったが、今の私たちの間にはダイニングテーブルと、カレーが2皿ある。のでグッと我慢して、そんな自分を誤魔化すために揶揄う方向へとシフトチェンジした。私に揶揄われたのが恥ずかしかったのか悔しかったのか、レオくんが張り合ってくる。

「うるさいばか!なずにゃんって呼ぶな!!おれだっておまえに言ったことないけど女の人と結構仕事してるんだからな!中には巨乳のバイーンって感じの人とかと直接打ち合わせしたりしてるんだからな!!」

「あっ、そうですか〜。お仕事お疲れ様です」

「えっ予想外の反応!ヤキモチ妬いてくれないの?!」

「レオくん別に巨乳好きなわけじゃないでしょ」

過去にPCを借りた時、うっかり彼が隠していたであろうAVファイルを発見してしまったことがあるのだが、その時に彼が持っている内容が別に巨乳モノだったわけではないのを私はよく、よ〜く覚えている。ので、そんな釣りには引っかからないのである。
けれど興味本位に見てしまった私も私なのでその話題にはこれ以上触れずちょっと蓋をしておこう。と私はカレーを咀嚼する。あまりレオくんの手料理を食べる事はないが美味しい。また食べたい。

「う〜っ!」

「まぁ美人なセクシープロデューサーとかに対抗されちゃったら全然自信ないけどさぁ。言っとくけどそんなお姉さんの1億倍くらい私はレオくんの事好きなわけで。そこんとこよく覚えといてね。今回の事含めてね」

そう言って最後のカレーを嚥下して、ご馳走さま。と言ってから食器を片付ければ、レオくんが急に大きい声で叫ぶ。

「おれも!ナズの1億倍くらいなまえのこと大好きだから!おれと以上にナズと仲良くならないで!!」

なるわけないでしょ。と、私はため息を吐くフリをして、うっかりときめいてしまった心臓を鎮めるべく冷たい水をコップ1杯飲み干して誤魔化したのだった。

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