アクアリウムで朝食を
某月某日、小雨。
「…ねぇレオくん」
「なに」
「だから無言でさ、寝顔見てんのやめてくれない…?」
「なんで」
「起こせばいいじゃん」
「いいだろべつに」
よくない。漫画じゃあるまいし、寝顔というものはそんなに綺麗ではないだろう。なのにレオくんは先に起きるとじっと黙って寝顔を見ている。彼のイメージだとお腹が空いたからご飯ご飯と起こしてきそうなのに、実際の彼はじっとわたしが起きるのを待っているのだ。
「まぁいいや…おはよ」
「おはよっ」
彼とは違い今し方起きたばかりの私は頭をぼんやりとさせながら、窓の外の音を聞いた。しとしとと地面を打つ雨音が微かに聞こえている。
「今日は雨かぁ…やだな」
「なぁなぁ、今日学校何時から?」
私の前でパジャマをぽいぽい脱ぐなり部屋着に着替えたレオくんのやや薄っぺらい体をぼんやりと見ながら今日の授業日程を反芻させる。今日の科目はまだ、休んだことがないやつだ。
「サボっちゃおうかな〜…面倒になってきた」
「行きたくない時は行かなくていいと思うけど、親御さんが学費出してくれてることは忘れんなよ」
「わかってるよ」
まぁ、おれ人のこと言えないけど!全然!と朝からフルボリュームで笑うレオくんの声が眩しくて、私は思わず目を細めた。高校の頃何かしらあって学校に行かなかった時期があるとは聞いているので、恐らくその事をいっているのだろう。
「でもなまえがいてくれるなら嬉しいぞ!おれ今日仕事無いし!」
「そう言ってくれるならたまには丸一日サボっちゃおっかな…ちょっと手の込んだ朝ご飯食べたいね」
「いいな!おれも食べる!じゃあ買い物行かなきゃな!!」
ついさっき着た部屋着をわざわざ脱いで、グレーのパーカーとデニムにもう一度着替えた彼はさっと寝室を出て行ってしまった。
部屋着はぐしゃぐしゃなまま、寝室の床に放置されている。
「作るのは私だけど…あっ、脱いだ服畳んでよね」
その丸まって床においてある部屋着は見て見ぬふりをして放置して、私も出かけられるような服へと着替えて寝室を出た。洗面所からは水道を使う音と、電動シェーバーを使う音がする。さっき見た時髭なんてほとんど生えてなかったのにたかだかスーパーに行くだけでもちゃんと剃るのはアイドル時代の癖かもしれない。ちなみに私は面倒だからすっぴんで行く。元々あまり濃いメイクはしないのでそこまで変わらないだろう。
「24時間やってるスーパーどこだっけ?」
「駅の手前。お散歩がてら行こっか」
「うん。はいこれ持ってって」
そう言って渡されたのはレオくんの財布だった。
「お財布係してくれるの?ありがと〜」
「なまえの財布持ってかなくていいぞ!荷物になるだけだから!」
「軽いから大丈夫だけど甘えようかな」
「うん。でもおれ財布すぐ落とすからおまえ持ってて」
「はいはい」
女の鞄に財布入れさせて貰う男最低!みたいなことをよく友人が言っているが、レオくんの場合自分で鞄を持っていようが持っていなかろうが財布もスマホも落とすので私が彼の持ち物を持っている方が安心なのである。
二人で上着を着て、傘を持って家を出た。大学に行くための足はかなり重いくせに、レオくんとスーパーへ行くための足は大層軽いのである。
「寒いね〜今日。朝ご飯何にする?」
「うーん、卵…パン…あっ、一昨日お母さんがおいしい食パン買ってきて冷凍してくれた!」
「じゃあパンにしよ。あとなんか具の入ったオムレツにしよっか」
「おれあれ食べたい!缶詰のコーンスープ!」
「牛乳入れて伸ばすやつ?いいけど…」
よく食べるな、と私は内心思う。男の人にしては大きくない体格だし、体も細いのに彼は食べるときはよく食べるのだ。仕事中は寝食を忘れることもあるから、食べ溜めでもしているのだろうか。
雨の日の朝のスーパーは、案の定あまり人がいなかった。レオくんはさっそく卵を売場から持ってくると、オムレツの具を何にするか野菜コーナーで悩む私のところへと戻ってきた。
「なまえ、かご貸して」
「あ、ありがとう」
「オムレツに何いれるんだ?」
「ナスとかどう?あとベーコンと、チーズ」
目の前にはナスの特売コーナーだ。彼は目を輝かせた。
「いいなそれ!おいしそう!」
「じゃあ決まり。チーズはあったもんね。あとベーコンと、プチトマトでも買ってこうか」
「なぁ!珍しい味のジャム買ってこ!」
「え〜、それちゃんと食べ切る…?」
缶詰のスープもちょうど安売りしていたのでレオくんを追いかけてかごに入れて、小さい牛乳のパックも買う。彼はジャム売場にしゃがんでジャムを吟味していた。
「なぁ、アップルシナモンジャムとレモンジンジャージャム、どっちがいい?」
「お、おしゃれだね…アップルシナモンはアップルパイみたいな味になりそう」
「それいいな!」
ニパーッと笑ったレオくんがジャムをかごに入れた。もはや朝食だけの買い物とは思えない量になりつつある。
「いい加減お腹空いたから、早く帰ってごはんにしよ」
「うん!」
レジを通し、スーパーを出た頃には雨は更に強くなっていた。
「うわ〜、今日は一日雨かな」
ぽつりとそう呟けば、レオくんが楽しそうに鼻歌を歌った。
「雨なのに機嫌いいねぇ」
軽い方の袋を持ちながらそう言えば、レオくんが「ん〜?」と鼻歌の隙間で答える。
「雨の日って、おれ嫌いじゃないぞ!寒い日もあるし濡れたら冷たいけど、なんかテンション上がるっていうか、霊感が湧いてくるっ!いつもと同じ道もちょっと違って見えるだろ!?」
「さすが作曲家って感じの感性だねぇ」
暖かい春の日とかの雨ならいいけれど、基本雨が降ると憂鬱な気持ちになってしまう私とは大違いで、レオくんはそういうところからも霊感を感じて、日々の糧にしているのだと思うと純粋に尊敬する。
「変化は大事だっ!停滞は衰退だぞ!!その時その時でその身を変化させ、進化させていくものが最後には生き残るんだ!その為にはどんなもので変化も受け入れる事が大事っ!雨の日でも雪の日でも!わかるっ?」
「う、うん。その通り」
「まぁ、煩わしいとかはあるけど」
「雨はね」
レオくんは本当に感情がジェットコースターだからたまに振り回されては置いて行かれるけれど、最後には私の隣に着地するのでそれまでは彼の話を聞き続けるのが私の仕事であると同時に、密かな私の趣味である。
「なぁなぁ、なまえの分のオムレツ、おれが作っていい?」
「作ってくれるの?嬉しい。がんばってね」
「その代わりおれのはなまえが作るんだぞ!」
「いいよ〜」
そんな話を雨に揉まれながらするのもたまにはいいな、なんて思う。
その日の朝食のメニュー。ナスとベーコンとチーズのオムレツ、プチトマト、コーンスープ、食パン。食後に彼の好きなコーヒーを入れて、雨が窓を叩く雨の音を効きながらのんびり過ごすのも悪くない。
その隙間にきっと、レオくんの笑い声や話し声が混じるけれど、それがないと意味がないのである。
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